私の線維筋痛症闘病記 診断から初期治療まで4 | 大切なモノひとつ~線維筋痛症を乗り越えて〜

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普通の生活をしていた普通の女の子が、ある日突然激痛に襲われました。
これが私の【線維筋痛症】という病気との出会いでした。

診断され、治療が始まり、ひとまずホッとしました。

落ち着いたのもつかの間…

病状の進行というか悪化が著しく私の生活状況はどんどん悪くなっていきました。

この時の心境を以前のブログから引用しようと思ったのですが…深く悩んだことが具体的に書いてないという。

当時の記憶はおぼろげですが、その中でも強烈に覚えている出来事がいくつかあります。



診断がついた当時、私は25歳で入院中に26歳になりました。

一般的には若々しくて毎日が楽しくてキラキラしている時期でしょう。

結婚や妊娠・出産を意識する年頃でもあるかもしれません。

そんな頃、私は自分の身の回りのことも一人でできなくなりつつありました。

悪くなっていく過程というのは、つまり「失う」という経験の連続です。

「失う」という経験は「信じていたものに裏切られる」という経験でもあります。

しかも一つ、二つでもなく、当たり前のように信じ切っていたものに裏切られました。

それは自分の健康体、走るということ、歩くということ、ぐっすり眠るということ…

本当に両手ですくった幸せが指の隙間からこぼれ落ちていくような感覚にとらわれていました。



その中でも勇気のいる決断となったのが、杖を使用することと車椅子を使用することです。

おそらく、ケガで一時的に必要な松葉杖や車椅子であれば特に抵抗なく受け入れられたでしょう。

でも、その時の私の状況からは一度使うようになれば元の状態に戻れないのではないかという恐怖が強かったです。

もう少し頑張れるのではないかという思いと、痛すぎてしんどいという気持ち。

また、側で見守る家族の気持ちを思うと杖や車椅子を使用するハードルはとても高くなっていました。

しかしそんな葛藤よりも病状が上回る状況となり、杖を使うようになり、移動は車椅子が中心になっていきました。


この時だったかな、母に手紙を書きました。

お母さん、ごめんねって。

それほど私にとっては辛い決断でした。


このブログを読まれている方は患者さん本人や家族、知人、そして医療者の方が多いと思います。

患者さん本人へは、こういった葛藤をしているのはあなた一人ではないよとお伝えしたいし

患者さん以外の皆さんへは、こういった思いを患者さんがかかえているかもしれないということを知っていただければと思います。

気持ちの変化についても今後続けて書いていきます。