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作家養成塾『遊房』の公式ブログ 「めざせ!公募小説新人賞」門座右京監修

公募受賞する作品。売れる作品を量産できるプロ作家を養成しています。
誰でもすぐ使えるストーリーの教科書とレシピで3年でプロデビュー。ここではそんなストーリー構築の発想法を紹介。原則的に受講生対象。

以下のような記事から少し補足やら反論やら。あれこれ。

簡単にいいますと、民というのは昔でいうと奴隷です。
もっといいますと、土着の奴隷を「民」といいます。
さらに他所から連れてきた奴隷を「氓」といい、これは「ぼう」と読みます。
 
宗教戦争を身近に感じない日本人は、いわゆる中近東における難民問題を、あまり理解できていないところがありますが、漂流して流れ着いた人間を受け入れる国家も、日本語風にいうなら、国民ではなく、国氓(こくぼう)ということになり、明らかに民でないのがわかります。
 
日本の場合、この「民」ではなく、「氓」も受け入れて来ました。
アメリカの奴隷制度はアフリカからかっさらってきて、奴隷として使って来ました。
 
ルーツというアメリカの周年記念番組は、日本でも大反響を得ましたが、同じ黒人でも「民」でない「氓」は、家畜以下だったといいますし、日本では四民平等というのが、明治政府以降に定着しましたが、この四民平等というのは、士農工商人が平等であり、伯爵や子爵公爵といった貴族は、民とは言わなかったわけですね。
 
つまり尊い人という意味の「貴族」と「平民」に分けられたわけですが、実は平民の下がありました。
それが「氓」に相当する「非人」です。
 
人に非ず。という意味で、これには過去に犯罪を犯して人別帳に名前の記載がない人間や、今でも2世3世がいる朝鮮人などがこれに当たるわけで、私は今の韓国がどうして慰安婦などという低レベルの話題をいうのかわかりませんが、本来なら韓国や北朝鮮から駆り出されてきて住み着かされた、そういう2世3世を、ことば上ではない「民」と認めさせる運動をすべきだと思うのです。
 
今の日本は「国民」というと、誰も奴隷と思っていません。代議士のバカで無学の人が「国民に申し訳ない」というのは、自分たちも国民であるのに、貴族と勘違いしているからでしょう。
 
では、一般的にいう「国民」にあたることばは何か。
それは「衆」ということばなんですね。
村田英雄の名曲「皆の衆」というのは、まさしく国民を意味する本来のことばです。
 
真田丸というドラマをみたかたは思い出されるでしょうが、国衆といいますね。国衆というのはその国のすべてを意味し、そこには国主も含めて国衆と表現できるわけです。
 
ですから正しくは、といってもあくまで、文字上のことですが、日本国民ではなく、日本国衆というべきなんですね。
 
 

【漢字トリビア】「民」の成り立ち物語

11/26(日) 11:31配信

TOKYO FM+

【漢字トリビア】「民」の成り立ち物語

【漢字トリビア】「民」の成り立ち物語

「漢字」、一文字一文字には、先人たちのどんな想いが込められているのか。時空を超えて、その成り立ちを探るTOKYO FMの「感じて、漢字の世界」。今回の漢字は「国民」「民意」の「民(ミン)」、「民(タミ)」とも読む漢字です。

漢字の起源は、今からおよそ三千年前、中国古代王朝・殷の時代にさかのぼるといわれています。
当時、人々はみな神を崇拝し、神とともに生きていたため、政治もまた、神の存在をうまく利用して執り行われました。
殷の国王は、神と行き来する力をもつことを示すため、占いを中心とした祭祀を催します。
神との合意を得た政の内容は、亀の甲羅や動物の骨に刻みつけ、文字として残したのです。

「民」という漢字は、全体で目を表し、そこに焼いた火箸を突き刺している様子を描いた象形文字です。
この字は、国王の権威を象徴する最たるもの。
ものを見る力を失わせることは、霊力をも奪うこと。
犠牲となったのは、殷王朝を脅かそうとした囚われの部族たちや、国王の言うことをきかない反逆者たち。
そんな彼らの目を傷つけ、力を奪う処罰を示したものと考えられています。
そして彼らは神々や殷王朝へ奉仕するものとしてのみ、生きることを許されました。

つまり「民」という文字には「ものを見る目を失わされた人」、または「神々や国に仕える人」という意味が込められているのです。

日本語の「民」の語源は「田を見る」で「田見(たみ)」という説もあり、田だけを見て稲を作る人のことを「民」と呼んでいたともいわれています。
そこには、稲作を通じて中央集権国家をまとめようとした為政者たちの思惑が窺えます。

ではここで、もう一度「民」という字を感じてみてください。

もの見えぬ民だった先人たちが、地道な努力によって手にした国民としての権利のもろさ。
視力を無理やり奪われたわけでもないのに、私たちの目は、国の政治をしっかりと見つめてきたのだろうか。
真実を見せられぬまま、都合のよい奉仕者になってはいないだろうか。
「民」という漢字のなりたちを知った今、私たちは決して「もの見えぬ民」ではないということを、改めて目を見開いて、自覚すべきかもしれません。

漢字は、三千年以上前の人々からのメッセージ。
その想いを受けとって、感じてみたら……、
ほら、今日一日が違って見えるはず。