あえて言いたい。日本なら中学出たての特別な体躯を持っている訳でもない少年が、まだまだ発展途上の国から1人、祖国を後に大国に来て、どれだけの苦労を重ね、日本文化を受け入れ、身体を酷使し横綱まで上り詰めた事だろう。少なくともこの国で生まれただけで、世界情勢を見渡せばド幸せな事だと思う中、今の日本人の中に大志を抱き、幼い心と身体一つで世界に挑んみ結果を残せる人達がどれだけいるのだろう。日本人横綱も空白期間は長く、国技とも言える相撲の横綱はモンゴル人ばかり。その差の根底は何なのか、他国での伝統や文化を吸収し、そして愛する祖国や大切な人々、魂を必死に背負って来たからこそ成せた結果だと思う。勿論怪我を負わせる程の暴力は許されない。ただ、その自分を奮い立たせてきた心を経験を、よっぽど否定する様な態度、発言を、まして同郷の若造が軽はずみにぶつけたとしたなら。日本人横綱が出ない事を、モンゴル力士の八百長絡みだとか誹謗中傷を頻繁に目にする昨今、日本人力士がなぜ上位に出てこれないのか、それはモンゴル人力士たちより明らかに根底にあるモノから弱くなった日本人ばかりになったからではないのか。顔も出さず名前も伏せられる情報社会で、叩きまくり吊し上げ共感を得るのは簡単だと思う。悲しいかな俺の周りにすら、いわゆるネット弁慶なる者が存在する。綺麗で教科書通りの正論を上げ、あたかも自分なら正しき判断が常に出来ているとうたう。国力しかり、国技とも言えるこの日本の伝統ある相撲さえ、力は降下し他国・外国人に支えて貰っていながら。
支え続けてくれた横綱の功績ももう一度考えて欲しい。
因みに私はパイセンやら先生、親に社会に、必要な時々にぶん殴られ叱られて来た。そして振り替えれば、絶好調で自分しか見えず、言葉や素行は深く人を傷付けたに違いない時に。俺だけが殴られなきゃわからない馬鹿だったのか?いや違う。周りにも少なからず痛い思いをして自分を振り返れる奴は沢山いた!そして痛い目を見なかったがため、今は塀の中の奴さえいる。殴られなきゃわからない時が確かにあった!そしてその今で言う暴力(犯罪w)に感謝や愛すら覚える。例えば未だ幸いな事に成人を迎える娘に手を上げた事はない。ママンからは日頃甘やかし過ぎだと言われてきた。でもどの歳でも可愛い盛の娘にさえ、解らない時は頬を打ってでも叱らなくちゃいけないと心の中で覚悟していた事がある。
道路に飛び出した時。善悪の判断の前に、そこには死があるのだから。
虐めに荷担したり、傍観した時。自分の事と置き換えれば、当事者の痛みも分かるのに、その相手を思いやる気持ちを捨てるという事は、人間を辞めた事に代わらないから。
そう決めて来た。
極端な話、最近snsやネットを覗いていると思う事がある。自分が窮地に追いやられた事を公開した時、それに対して、警察読んだか?弁護士呼べよ!法律上なんたら……そんなのばっかり……。常に誰かに守って貰える事が前提なのか?必ず助けを誰かに求められる猶予のある事ばかりなのか?御時世虐める奴は相手が自ら死を求めるまで追い込み、暴力も死ぬまで殴り続け痛め続ける。せれはきっと、虐められた事も、教育や喧嘩や躾で殴られた痛みも知らない奴のやり口だと思う。そんなばかりの良い子ちゃん、問題簡単クリア発言が多数を占める今の日本人にどうしても?が消えない……。個々そんなに立派な人間になれてるのか?
ネットNEWSやらでも、日馬富士や白鳳を責めるコメに、いいね!が沢山付けばそれで満足なのか?自分はさも世間の代弁者だと錯覚できるのか?そんなものは微々たる力しか生まないと思う。いざ戦うのは自分自身1人なのだから。
何が言いたいかと言えばクドイ様だが、表向けの正論だけかざし、功績にリスペクトもせず、どこまでも追い込む事が当たり前の御時世がとても寂しい……。
あえて俺1人だけでも問いたい。