最近職場の環境が変わり、少し本から遠ざかっているが、僕の昼休みは読書の時間。
学生の頃から変わらず、今でもずっと一人で本を読んでいる。
今回は、本の話。
「ゾンビ」の小説は、二度翻訳されている。
最初は‘79年当時ヘラルド出版から「死者たちの夜明け」という、原題直訳で発売。
これじゃ、売れなかったろうなぁ(笑)。
僕はかつて、映画を見ていない知人に読ませた事がある。
彼は、面白くもないし、ワケが分からないと言った。
無理もない。
映像が勝負の作品だし、話の筋も原因不明だもの。
ただ、僕は映像では描き切れない心理描写がうれしかった。
物語終盤、妊婦をヘリで逃がす主人公は、一人囮となって残る。
直前に妊婦の亭主(よみがえり)を射殺しているので、逃げる気もない。
友を手にかけるのはこれで二人目、もう生きる気力もなく、こめかみに銃を向ける。
妊婦を乗せたヘリが、飛び立とうとしている。
その瞬間、主人公は銃口を迫り来るゾンビに向けて撃ち、ヘリに飛び乗る。
この場面、TVの吹き替えだと内海賢二が「ぶぅわあぁ~!」というオリジナルな叫びを付け加えたおかげで、まるで死ぬのが怖くなって逃げたような印象になっている。
では、小説ではどう表現されているか。
「その時、ヘリコプターの座席に一人ぼっちで座っているフラン(妊婦)の姿が心をかすめた。
手に握っている銃をじっと見つめ、それからいきなりドアを蹴って開けた。
‘自殺するなんて、俺の柄じゃない’」
これですよ、これ。
こうでなくちゃ。
二度目の出版は完全版の公開に合わせた‘94年で、15年後のこと。
ABC出版より発売のタイトルは、「ゾンビ」。
露骨です(笑)。
この2冊、読み比べると実に面白い発見がある。
ある場面での翻訳が、まったく違うんですよ。
主人公の一人、ロジャーがゾンビに噛まれ、それでも必死にトラックでバリケードを作る場面。
作戦中止を口にする相棒(ピーター)に、まだ頑張ると叫ぶ彼。
「‘まだしなくちゃならない事がたくさん残ってる・・・君達が・・・俺を失う前にね・・・’
ピーターはロジャーの顔をまじまじと見た。
ロジャーがそこまで覚悟を決めているとは信じられなかった。
だが、どんな言葉を使っても、自分の気持ちをロジャーに伝える事はできないだろうと思い直し、込み上げてくるものをぐっと堪えた」
僕の胸にも熱いものが込み上げます。
が、二度目の翻訳では以下の様な内容に。
「‘その前にやることがたくさんあるんだ・・・俺を・・・あんたが見捨てるまでに・・・’
ピーターは、彼がそれほどまでに自分を無情と思ったことが信じられず、振り向いて友人をしばらく見つめた。
だがピ-ターは、自分の本心をロジャーが知り得た事は一度もない、と推測した。
ロジャーの言葉を単なる感情的な爆発に過ぎないと忘れ去ることにした」
・・・って、これじゃ違う映画じゃない?
英語に堪能であるはずの翻訳者がこうも正反対の解釈をしてしまうならば、国を超えた相互理解とは実に難しいものなのではないかと、柄にもない事まで考えてしまいますw。
次は、僕からのオススメ。
スティーブン・キングの小説は映画化すると駄作になると言われていた。
心理描写がメインの傑作ほど、実は映画化には向いていない。
日本で言えば、宮部みゆきの「模倣犯」がいい例。
その中でも、「デッド・ゾーン」は当時数少ない成功例と称された。
が、この原作小説を読んだら、そんな言葉は嘘に聞こえる。
主人公の孤独で哀しい生き様が、胸に迫りまくります。
老若男女、好き嫌いのジャンルを問わず、傑作です。
ま、あくまで僕の主観ですが。
ちなみに連続TVシリーズにもなりましたが、あれは別物。
最初こそ忠実に映像化していて期待しましたが、最後はパラレルワールド(!)と化して独自のラストで困り果てました。
あれが好きって方もいるんでしょうけど。
