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ドイツで既に2ヶ月半

ドイツについてはや2ヶ月半。本日ビザも取得、正式にドイツに半年いる事が可能に。
いままで特に何の記録もつけていなかったが、これでは日本に帰って半年もすればすべて忘れ去ってしまうだろう。まあ、それはそれで良いんだけど。
とりあえず覚えていることを年代順に記載しておこうと。

3月30日、日本出発。成田空港出発時に早くもトラブル。まあ自分にも責任あるが。。。
要するに荷物の量が多すぎてかなりの超過料金を取られることが発覚。(荷物を宅急便では送れず、予想外の大荷物となっていた。)
ビジネスならかなりの重量まではチャージされないと聞き、その場でビジネスクラスに変更。値段も15万円程度でここまでは良かったのだが、カウンターでカードが有効でなく、使えないと言われる。そんなはずはないと、カード会社に連絡するも既に営業時間外(後に24時間有効な電話番号ありと確認)、銀行のカードはヨーロッパで使えないから妹に預けてあるし。。。
結局日本円80万円分をユーロにかえてあったが、これを日本円15万円分だけ再換金して、やっと問題解決。と思ったらその手続き携帯に電話、不吉な予感。
クロネコヤマトからで日本からドイツに送ったコンピュータが内部にリチウム電池があって送れないと。デスクトップなのでそれはあり得ないと説明したが、どうしても無理とのこと。結局、後日問題ないことが判明し、無事送られてきたが、送料は日本から7万円、ドイツ受け取り時に通関代として200ユーロ以上を払うことに。。。

さてフライト自体は問題なく、スイスエアーでZurichを経由、現地時間3月31日朝にHamburgに。
ここから予定通りKiel中央駅まで、そこからタクシーで大学病院近くのHotel kieler Kaufman(キールの商人?)に。(1泊180ユーロ位)
翌日4月1日にキール大学医学部付属病院放射線科の(この時はよく理解していなかったが、実際の名前はキール大学ではなく、UniversitaetsKlinikum Schleswig-Holsteinだそうです)
教授室にH教授を訪ねる。
H教授は東京でもGJRAでお会いしたが、とても優しく紳士的。ただし、最初の会話が英語で始まってしまい、後々までドイツ語を少なくとも大学病院で話す機会を失い、その後のドイツ語勉強もさぼりがちになったしまったのは残念。

4月1日は金曜日でもあり、とりあえず挨拶のみ。大学病院の放射線科を見学させていただく。この日にSMA狭窄に対するstent留置の症例があり、初日ではあったが手洗いをして手伝わせていただいた。
この症例の後、教授に車でホテルまで送っていただいたが、車はなんとポルシェ911(type997、要するに最新型)のカブリオレ、教授自身はそれほど車に興味がないとおっしゃっていたが、ポルシェ持っててそんなはずはないよな。

ホテルから大学のゲストハウスにタクシーで移動、外見は立派。
中はベッド、机、トイレ、シャワー。冷蔵庫やキッチンは共同。まあ、耐えられなくはない、が問題なのはこの建物はかなり街の中心からは外れ、周囲2kmほどは殆ど店がない。
この日の夕方あたりから非常に具合が悪くなり、下痢、発熱で外に殆ど動けず、何か食べようにも近所に店もなし。土曜、日曜と殆ど外出出来ず、何も食べず、廃人化してしまった。これは精神的にもかなり来ました。この週末から2、3週間は如何にして東京にすぐ逃げ帰るかを真剣に模索してました、ははは。

しかし、4月4日からはきちんと8時のカンファランスに出席、具合が悪いながらもドイツ語による挨拶を敢行。ちなみに文面はフライト中に考え、暗記。
彼らは英語に寄る挨拶を想定していたらしく、非常に驚いたようであり、かなり受けは良かった。一度ひと呼吸おいたところで盛大な拍手をいただいたが、まだ終わっていません(Das ist nicht Ende!)と、その後さらに続きを。最終的には更なる拍手を!!このドイツ語にによる自己紹介はその後のドイツ人医師達との関係にも良い影響があったかなと。

この日から朝から晩まで(読影しないで)アンギオ室で過ごすことに。まさに僕が求めていた生活がここに!!日本では放射線科における血管内治療はほとんどが血管塞栓術(embolization)
だが、ここでは血管形成術(PTA)が殆どであり、embolization therapyは比較的稀。
早速手技に参加、もちろん患者さんに説明できるドイツ語力はないので、最初は助手の仕事のみ。これでもずいぶん勉強になる。カテーテルの使い方は自分の両手が覚えているので、彼らのStrategyを理解し、彼らが使用し、日本ではあまりなじみのないdeviceに慣れることに集中すれば特にメインの手技施行者にこだわる必要はない。

4月4日の月曜日がドイツにおける実質的な初仕事であり、この日に大学病院における部屋と机を与えられた。そこで同室になったのがGuido Girolami医師。
名前から推測可能ですが、おじいさんがイタリア人であり、イタリア系ドイツ人、かなりの美男子、体格も立派(身長190cm以上)で、何よりも非常に良いやつで面倒見も良い。彼がいなかったら僕のドイツ生活は今とは違う、もっとつらいものになっていただろう。これは今でも同様であり、何かと世話を焼いてくれ、彼のおかげで医学面でも日常生活面でも非常に助かっています。東京にいるとなんだか自分一人の力で生きているような気持ちになりがちだけど、外国にいると人の親切のありがたみをすごく感じる。これはほんとは東京でも同じで、人への感謝を忘れたらいけないなあと。

4月末にはパリの学会へ。ようやくドイツの病院にもなれてきた頃なのでここで1週間離れてしまうのはリスクが大きいと感じたが、日本人の先生方が多数出席される会なので久しぶりに日本語で話してみたいし、まあちょっと偉い先生方と直接お話しできたらなあとか思って思い切って参加。それだけの価値はあり、偉い先生方とお話も出来、阪大のO先生とはパリで一日男2人の観光を!!

しかし参加費840ユーロ、ホテル代合計1000ユーロ以上、飛行機代600ユーロともうのすごい散財。その他にも食事代等あり、後からカードの請求をみてびっくり。5月のカードの請求は80万円をオーバーしてしまった。。。これだけで80万円までいくはずはなく、実はこの請求にはあるトラブルの始末に1/3ほどが費やされている。

それは。。。パリから5月1日にキールに戻るとアパートメントの管理人から不吉なメールが!
曰く、シャワールームから水が洩って壁までぬれているとのこと。特に自分では気がつかないなあと思いつつ管理人事務所にMs.Ritterを訪ねる。初めてあうこの女性、ドイツ人にしては異常に背が小さく、目つき鋭く、そして何故か僕に会うなりものすごい剣幕。

要するに僕がシャワールームの排水溝を壊したと主張。もちろん僕は全く何も触っていないし、意味が分からないと主張。この日は平行線のまま。結局僕は5月5日からほかの部屋に1ヶ月ほど移されることに。ここで与えられた部屋がひどかった。築50年におよぶかと思わせんばかりのぼろい部屋、シャワー、トイレ共同、もちろんキッチン、冷蔵庫共用。こんなとこ住んでられるかってんだといことで病院近くのホテルに自主退去。この頃には排水溝の破損は既に数年前からあったようだと工事関係者からも報告があったようで後にMs.Ritterは謝ってくれたが、ホテル代を弁済できるかどうかがわからない、おそらく難しいと思うとのお言葉。もちろん、こちらが自主的に退去したので、そんなものいりませんよと。
Ms.Ritter曰く、あなたも大変だったけど、私もこの件で胃が痛くなってたいへんなのようと。

結局この1ヶ月間のホテルの支払額が2000ユーロでした。全く無駄使いにもほどがあるが、まあ快適に過ごすためならしょうがないか。。。今更風呂なし、トイレなしの部屋に住めるかってんだ!!!

この様ないきさつでホテルに1ヶ月、ほぼ5月はホテル暮らし。これは快適でした。部屋はいつもきれい、インターネットは使い放題、コーヒーは24時間の見放題。街からも近く、買い物、食事も楽。この間病院にもかなりなれてきました。

ドイツ国内にも週末には小旅行、最初は4月中旬にベルリン。キールから3時間。この街は歴史的な建物、例えばブランデンブルグ門、博物館島、ポツダム広場など見所はあるが、それだけに完全に観光地化されていて少し退屈。何故か街中にはイタリア人観光客多し。
一番良かったのは博物館島。ここの博物館、美術館をすべて見るには1週間あっても足りないでしょう。ペルガモン博物館は必見ですが、その他はまあ時間があればという感じ。1日かけて半分以上は見たけどルーブルと同じでものすごい情報量で全部見ようとすると頭がパンクします。

次は5月末にハンブルグ。特にどうということもない大きな街。ドイツ第二の大都市、高級買物街。市庁舎広場近く運河があって白鳥も。ここは情緒があっていいが、酔っぱらいがこの運河に飛び込んで白鳥と泳いでいたのには笑った。

夕方にはビートルズ博物館、夜はハンブルグで最も古いジャズライブハウスに。夜3時位の電車でキールまで。この時間によく電車あったなあと。ホテルについたら5時近く。この語現在に至るまで夜眠れず、夜行人間に。。。(この後、不眠症が1ヶ月以上、現在も進行中、ははは。。。)




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