こんにちは
麗紅です。
先日、児童発達支援に通わせている息子が、
ついに、ASD(自閉症スペクトラム)と診断がつきました。
「やっぱりそうだったんだ」
という思いと
「嘘でしょ」
「ショック」
と、相反する色々な考えが頭に浮かんできて、
その日は気持ちがざわざわしてました。
IQも高い息子は、
だいたい誰と会わせても「普通の子でしょ??何で自発通わせてるの??」
と言われてきた。
私も、「私の育てかたが・・」「私が頑張れば・・」と、
とにかく自分を追い込む考え方ばかり選択していて。
その結果、そういうメッセージを拾いやすい状況を引き寄せてきていた。
そして、診断が降りた日、
ショックを受けている自分に気がつき、
息子を否定しないつもりでいた自分の本当の思いに気づかされてしまったのです。
「普通であってほしかったんだ・・」
でも、不思議なのは、私は天才が好きなのに。という事実。
息子は、自発の先生やママ友に「天才」とよく言われる。
凸凹ちゃんは、だいたい、どこか秀でていて、だから天才なのだと私は普段から思っているので、
息子が凸凹だろうと、診断がおりようと、
大好きな息子であることには変わりなく、
ショックを受ける要素はないはずなのだけど・・なぜ?と。
きっと、「普通でありたい」というのは、私自身。
どこまでも、自分を肯定できずにいた。肯定したかった。
もちろん、無自覚。
その願いを息子に投影させてきて、
私も、息子も、苦しかったのかもしれないと気がついたのでした。
それは、”普通”として扱われなかった、子どもの頃の私の疎外感が原因で。
他者とわかりあえない、寂しさ。
ありとあらゆる場面で賞をいただき、
本当に華々しい小学校生活だったにもかかわらず、
小学生の女子が好きだったものに興味が持てず、
私が心から好きだったのは、めだかの産卵。それを眺めている時に心が動いていた。
グループを作る高学年女子の輪になかなか馴染めなくて
頑張って、疲れて。
寂しい。
そんな思いを持っていた小学生の頃から思春期。
きっと、その頃思っていたのが
「おだてられなくて良いから、ただ、みんなと仲良くしていたい。普通の子でありたい」
贅沢にもそんな思いを持っていたのでした。
そして、そうなれない自分を否定し続けて
気がつけば
「いつも自信なさそう」「いつも眠そう」
なんて言われるようになっていた。
嫌われ恐怖がある私も
自己評価が低いと言われる私も
そうやって自分を否定してきたからなのだと。
そして、あえて他者から能無しと否定される状況を引き寄せて。
活躍するような場面になると、なぜか逃げ出したくなったり。
実際、倒れたり逃げ出したり。
今回の一件で、
そのことにリアルに気付かされて。
どこまでいっても、
人生は、気付きの連続なのであって。
自分のこと、人生のこと
わかったフリをするには、人生は短すぎるのだろうなと感じるんです。
それでも、一つ一つの知識と経験が、
以前の自分に比べて、
とても生きやすくなったし、
自分も他者も許せる場面が増えた。
”自分を知ること”
幸せに生きるヒントって、どこまでもこれだと感じる。
数秘と占星術と心理学と学んできたから、いろいろな気づきにつながっている。
出会った人に届けたいと感じるのは、こういう瞬間。
気づきをくれた、息子への愛おしさを感じるとともに、
また一つ成長していける希望を感じました。
だから、
上から目線で高みの見物をしている人ではなく、
今の自分をそのまんま見つめ、一緒に成長していける人と、
この人生では、時間をともに過ごしたいなと私は思うわけであります。