エヴリディコラージュ border=




うーん






今日はこんなにもいい天気なのに。




対照的に陰鬱な気分。






自分のことなら兎も角。






他人の気持ちに押し潰されそう。








でもきっとだいじょぶ!!!



と、思いたい。

落ちた後は上がるのみ!!!




きっとここから急上昇!!!




わたしの周り、みんな良くなる!!!


この飛行機雲のように

回帰曲線!!!



回帰曲線…??言葉あたってるかわかんないけど(笑)



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台風の報道をみながら、




この国は交通機関を攻撃されたらひとたまりもないなー




と考えてました。








最近、特に悲しいこと嫌なことも無い代わりに


めっちゃ胸がときめくほど嬉しいことも無いな。




年をとるにつれて感動の沸点は上がってくるものなのでしょうか。






それともやっぱり人生にどんな色がつくかは自分の努力次第ということなのかな。






心入れ替えて頑張ります。



エヴリディコラージュ border=






って、髪切っただけですけど。








最近寒くなってきた上に天気悪い日が続いてて・・・↓








台風も近づいてるようですが




南国育ちのわたしにとっては




台風を怖がった記憶よりも




台風=休校




で不謹慎にもドキイドキワクワクしていた思い出のほうが強かったりします。


エヴリディコラージュ


恋は人を凡庸にする、





か否か。


エヴリディコラージュ




 或る朝、夏子が朝食の食卓で、
「あたくし修道院へ入る」
 といい出した時には一家は呆気にとられてしばらく箸を休め、味噌汁の椀から立つ湯気ばかりが静寂のなかを香煙のように歩みのぼった。
 
 夏子は廿歳である。子供の時分から、こういう宣言をおっぱじめて家人をおびやかす癖がある。

(中略)

 男たちにとって困ることは、夏子がたえて偏見というものをもっていないことであった。この天使は、赤十字の天使のように博愛主義を奉じていたのである。何かにつけて、「甲よりも乙のほうがいい」ということを決して言わない。あれもよし、これもよし、である。もちろん青年たちは自分一人の長所をみとめてもらいたくてあくせくしていたが、夏子は特別扱いを罪悪と心得ているように思われた。どの男をも半ば軽蔑し、半ば尊敬し、半ば愛し、半ば嫌っていた。

 彼女は人を愛することはできないが、その代りに仁慈の天分があるのだと、口惜しまぎれに言う男があった。それでも夏子の目の潤みや漆黒の髪を見れば、彼女のどこかに情熱家の血が眠っていることを疑うわけにはゆかなかった。夏子の情熱というやつは、誰もが信じているくせに誰一人見たことのないお化けみたいなものであった。

(中略)

 『ああ、誰のあとをついて行っても、愛のために命を賭けたり、死の危険を冒したりすることはないんだわ。男の人たちは二言目には時代がわるいの社会がわるいのとこぼしているけれど、自分の目のなかに情熱をもたないことが、いちばん悪いことだとは気づいていない。・・・・・・』

 夏子はこうして或る朝のこと、突如として修道院入りを宣言したが、それには永い思慮が費やされ、いくら探しても望む男はいない以上、神に仕えて浮世と絶縁して暮らそうという、まことに勇敢な結論に到達したものであった。

 修道院。・・・・・・そこだけは多分袋小路ではない。


----------------三島由紀夫『夏子の冒険』(1951)より抜粋




夏子は充足することを知らず


理想を、情熱を追い続ける。



「ええ、まさに、わたしは春を追う夏のようなものです」


夏子は春を追い続ける。