ノマドランド

 

監督:クロエ・ジャオ

 

 

アメリカの広大な大地の中で車中泊をしながら移り住むノマドをテーマにした作品。

壮大な風景が美しく、人間と自然との調和が描かれていた。

 

幸せに生きるためには?人間にとっての幸せとは何なのか?

最近はさらに個人にフォーカスして、それを人生のテーマとして問う流れを感じる。

 

余命数ヶ月の高齢の女性放浪者スワンキーは

ファーンと親しくなるうちに自分の病気と余命残りわずかなことを打ち明けた。

そこで今までノマドとして生きながら見てきた様々な景色や光景を事細かに語った。

美しい自然の景色を見た瞬間”もう死んでもいい、もう満足”そう思ったと。

 

 

いい人生だった

カヤックを漕いで美しいものをたくさん見た

アイダホの川でヘラジカの家族に出会ったり

大きな真っ白いペリカンが目の前に舞い降りたり

角を曲がると崖一面に何百というツバメの巣があって

無数のツバメが舞ってたり

それが水面に映って私もツバメと一緒に飛んでる気がした。

ヒナが孵化して小さな白い殻が川に落ちて流れていく

あまりに美しくて”もう十分”って

この瞬間に死ねたら幸せって

 

 

生きている間に、そういう気持ちになれるような経験ってあと何回できるのだろう。

美しいものを美しいと思える感性はいくつになっても失いたくない。

 

ノマドの人々の生活がリアリティをもって描かれていた。

一人でいるときの気楽さ、孤独さ。

人と触れることの温かさ、面倒臭さ。

それぞれが抱える過去や信念。

放浪者たちはそれぞれ自分にとっての幸せを追求していく中で、

強い意思を持ってノマドという生き方を選択しているようにみえた。

 

人の多くは、会社に入って、家を持ち、家族がいることが普通とされている。

金をもらい、それに執着して、金が無くなるのは不安だから働く。

毎日同じ時間に起きて、多くの時間を労働に費やし、

年老いて退職したら何をしていいかわからない。

そんな人も多いのではないか。

ではもし、世界からお金が無くなったらどうか。

不平等性が消えて貧富の差がなくなったら?

人は何を幸せと思うだろうか?

もしそうなったなら、”裕福な人”の概念は、金を持っている人に代わり、

自分にとっての幸せは何かについて、より多く、

詳しく知っている人になるのではないか。

自分にとっての幸せや好きなことを

様々な経験を通してより明確化したり、より多く発見することが、

自分の人生にとって大きな財産となるのだろう。

 

夫を亡くし放浪するファーンを通して、

残された人が大切な誰かの死とどう向き合っていくか、

ということもこの作品の大きなテーマになっている。

ファーンが若者に語った詩や、

ノマドの集いの主催者であるボブが息子の自殺を打ち明けたシーンから

人の死は永遠の別れではなく、思い出の中で永遠に生き続け、

ノマドの仲間たちとまた再び巡り会うように、きっといつかまた会える日がくると

そんな人の死に対する考え方を表現していた。

 

 

君は夏の日よりも

美しく穏やかだ

風が5月のつぼみを散らし

夏の輝きはあっけなく終わる

太陽は時に照りつけ

かと思えば暗く陰る

どんな美しいものもいつか衰える

偶然か自然の成り行きによって

だが君の永遠の夏は色あせず

美しさが失われることもない

ましてや死神が君を死の影に誘うこともない

君は永遠に詩の中に生きる

人が息をし、目が見えるかぎり

詩は生き続け、君に命を与え続ける

 

 

ノマドのいいところは”さよなら”がないことだ

別れる時はいつも”またね”と言い、決してさよならとは言わない

そして本当にまた会える

だからいつかまた会えると信じていられる

私はまた息子に会える

君はまたボーに会える

 

 

そしてファーンはかつて夫と生活した地エンパイアに向かうが、

家や職場には埃がかぶり、街全体もゴーストタウンと化していた。

物質としての思い出の物や場所は、時間が経てば無くなってしまったり、

退化して消えてしまうかもしれない。

しかし、人の心の中にある思い出は決して消えない。

最後は思い出の場所に背を向けて歩き出すファーンの後ろ姿で終わる。

 

物質として残るものは脆くて儚い。

例えば美しい風景を写真に残そうと

カメラのレンズ越しの小さな枠を必死で見つめてしまうけど

しっかりと自分の目で見て、心の中に焼き付けておかなければならない。

全ての瞬間を自分自身の心で目一杯感じる。

たくさんの美しいものを見て、聴いて、感じて、

自分が好きなものや幸せに感じることは何かを探求していきたい。

 

 

 

ココ・アヴァン・シャネル

 

アンヌ・フォンテーヌ監督 2009年公開

 

 

1900年代のフランスの風景、建物、洋服がとにかく美しい。

ガブリエル、通称ココの半生は、現在の煌びやかなシャネルのブランドイメージ

に反して、孤児院からナイトクラブ、お針子、愛人といった地味で退屈な

世界の中にあった。

その中でも、自身の洗練されたセンスや強い意志をしっかりと貫き通した。

当時の女性の服装は動きにくくかさばるドレスの装いが主流で、

パンツにシャツのスタイルで現れたココの着こなしは一段と印象的だった。

 

ココの若い時は負けん気の強い女性ではあるものの、

男性に頼る生活や不安な表情から未熟さを感じ取れたが、

ファッションデザイナーとしての地位を確立した終盤の場面では

様々な経験からなる凛とした強い女性の空気感が伝わり、

1人の女性が自身にとっての本当の幸せを模索し、掴み取るまでの様子が

繊細に描かれていた。

最後のショーの場面では、自らの作品を満足げに見つめ、

陶酔するようなココの表情が描かれた。

走馬灯のように流れた映像には初めて恋に落ちたボーイと過ごした日々や、

ナイトクラブでの思い出が蘇り、過去の全ての経験も含めて

今の自分を形作っているのだと考えているよう。

 

自分の美的感覚や価値観、何を美しいと思い、何が嫌いか。

自分がどうありたいか、という軸はブラしてはいけない。

何かに頼っている人生はきっとつまらない。

人に介入させない、ありのままの自分を受け入れてくれる人と付き合う。

つらく、悲しい経験こそ奥深い人間性や価値観を形成する。

ココのようにかっこよく歳を重ねていきたい。

 


 

ショーシャンクの空に

スティーヴン・キング原作 フランク・ダラボン監督 1994年公開

 

 

人はどう生きるか、なぜ生きるか

改めて考えさせられる作品だった。

 

刑務所内での生活や人間関係など知らないことばかりで面白い。

刑務所の中では塀の外と同じように社会がある。

あり余る時間をどう使うかは各々に自由がある。

無口で何を考えているのかわからないアンディがだんだんと人間関係に溶け込み、

受刑者たちの中にも良心があり絆が生まれていた。

アンディがレッドたちにビールを奢るシーンは素晴らしかった。

 

アンディは本や音楽といった教養を刑務所内に輸入した。

”音楽は決して人から奪えない。

心の豊かさを失っちゃだめだ。心の中には何かあるから。

誰も奪えないあるものが。希望が。”

 

アンディはどれほど理不尽な目にあっても希望を捨てなかった。

対してレッドはアンディの口から希望、の言葉を耳にした瞬間

唯一怒りの感情を表した。

長い刑務所生活を送る中ですっかり希望を捨てきってしまっていたレッドに

アンディは希望を自らの行動で見せることになった。

 

人は誰かの役に立つこと、この世に何かを作りだすこと、それをこの世に残すこと、

自分がここにいた、という証を刻むことのために生きている。

刑務所の壁あるいは学校の机にある名前の彫刻こそがその例だろう。

それだけに限らないだろうが、生きる意味、の一部を占めているのは

こんなところだろう。

 

なぜこの世に労働や文化があるか。何かに楽しみや喜び

あるいは生きがいを見つけなければ人生は退屈すぎるから。

時間があり余りすぎているから。

 

人によって生きる意味、なんとなく死なないで生きている意味って

色々あるんだろう。

守るべき家族がいるから、好きなアイドルがいるから、

毎週楽しみにしているアニメがあるから。

そうやって何かに理由をつけて人は生きている。

人にとって生きる希望になるその何か。

それを自分がこの世に作り出せたら最高だろうな。

 

 

 

 

 

ドライブマイカー

濱口竜介監督 2021年8月20日公開

 

 

本当の意味で相手を知ることはできない。

しかし自分がどう感じたかに耳を傾けて自分自身を知ることはできる。

自分の感情を無視し続けて相手と接することは

時に相手を傷つけているかもしれない。

 

車内で高槻から結末を知らされた、音が生前語った物語。

好きな人の家に空き巣に入り、殺人を犯してしまったにも関わらず

誰にも見つからず責められることもなかった女子高生の話。

自分が犯した罪の意識に耐えられず、自分が殺した、と訴える。

 

音の浮気現場を目撃したにも関わらず、

関係を変えたくなかったため見て見ぬふりをした家福。

本当は耐えられないほど苦しかった。

自分といるときの音という存在が真実、

数多くの男性と関係を持っていたという事実が自分に対する嘘、裏切り

という家福の考え

 

2重人格の母がいたドライバーのみさき。

暴力を振るう母としての人格、8歳の少女の人格

どちらも嘘ではなく紛れもない母という存在だった。

 

家福は高槻とみさきの話から

音の行動や嘘に対して生まれた自分の感情を見て見ぬふりをしていたことに

気づかされた。

自分を愛してくれていた音も、浮気していた音も、紛れもない音という存在の真実。

音にもう一度会って自分の感情を素直に伝えたい、と心から思った。

 

生活する中で、自分の感情、特にネガティブな感情を表に出すことはほとんどない。

ましてや相手にぶつけることは絶対にしないようにしている。

空気を読んで我慢する。自分が我慢すればその場はやり過ごせるから。

特に仕事をする上で感情はかなり邪魔になることが多いから。

重要な判断をするときには感情を介さない数値的で論理的な考え方が必要だから。

 

しかし人と関わるということにおいて、

相手が自分に対して何か我慢していると感じることはかなり苦痛なのではないか。

自分が我慢することが相手のためだと思っていないだろうか。

人と真剣に向き合うこと、それは自分の感情と向き合うこと。

しかしそう思いながらもどうしても空気を読んでしまう。難しい。

感情を素直に吐き出せる人、羨ましい。

自分の感情に素直になること、それは自分のためだけでなく

相手のためにするべきこと。