少し前のことになりますが、とても刺激的な、それでいて大いに賛同できる本を読みました。「英語化は愚民化―日本の国力が地に落ちる」という本です。
著者の施 光恒さんは、まだお若いのに、この問題についてとてもよく調べており、説得力があります。是非、今の政府や政策運営に深く関わる方々にも読んでいただき、これに真っ向から反対する政策を推し進めるのであれば、この本にしっかりと反論できてからにしていただきたい。正直、反論はできないでしょう。いわゆる「英語化」に賛同する方々にとっては、「聞こえないフリ」をせざるを得ない、なんとも耳の痛い話だと思います。
私はフィリピンで生きています。ただの旅行者ではなく、中途半端な期限付きの派遣社員でもなく、フィリピンという国で、フィリピン人に囲まれて、日々もがきながら働いています。フィリピンという国がとても好きです。国民の多くは英語を話し(英語人口は世界第3位の国だそうです)、平均年齢が28歳と若く、人口は1億1千万人を超え、昨年も6.9%程度の経済成長率をキープしている、有望な国です。ですが、日本はこんな国になってはいけない、と日々思っております。
この本の中で、著者は「英語化」によって何が起こるのか、要約すると、以下のような点を指摘して警鐘を鳴らしています。
①英語化により、「日本らしさ」が失われる。「思いやりの道徳観」が喪失し、公正やルール、個人の権利を最優先にした欧米的な価値観が優越する、押し付けられる社会になってしまう。
②日本の科学技術、文明を支える知的・文化的基盤が失われる。英語が公用語となるということは、高度で学術的、職業的分野のコミュニケーション、議論、研究が英語によってなされる、ということ。これにより日本の高度な文明は崩壊する。
③良質な中間層の喪失。知的格差、経済格差の拡大。「英語を話す層=知的層=支配層」、「英語を話せない層=非知的層=被支配層」という分断ができ、世代を超えて経済格差が拡大する。
④日本語や日本文化に対する自信が失われる。「英語ってカッコいいよね。」
「英語話せる人って頭よさそうだよね。」
「漢字覚えるより、英語の発音がきれいな方がよくない?」
「私たち両親は海外なんて行ったこともないけど、子供は英語を話す人に育てたいね。」
・・・なんていう日本人が溢れる。これはもう始まってますね。
以前もブログで書きましたが、芸能人などの程度の低い成り金が、子供をインターに入れて喜んでます。アホの典型ですが、彼らは学歴コンプレックスがあり、お金を手にしたため、子供をインターに入れて、日本人らしくなくてもガイジンに育てられれば、子供の将来は明るいと安直に考えています。
これは実は、米国・英国が自国の支配的地位を維持し続けるために意図的にやっている国家戦略です。日本にも英国くらい長い目で国の将来を考えられる政治家が現れると良いのですが・・・。イギリスの文化戦略を担う機関「ブリティッシュ・カウンシル」が発行した「英語の未来」という本の中で、次のようなことが記されているそうです。
「世界の人々が、母語で教育を受け、生活する権利、つまり『言語権』の考え方に目覚め、『子供が母語で教育を受けることは人権のひとつである』と主張しはじめたらどうなるか。『英語の世界的隆盛のせいで少数言語が数多く亡び、言語的多様性が失われた』という批判が高まることは『悪夢』であり、そうならないようにイギリス英語の『ブランド・イメージ』を慎重に守っていく必要がある。」
私は常々、英国、イギリス人という人々のしたたかさには畏敬の念を抱いています。日本が真に見習うべき国家は、この英国という島国だと思ってます。彼らが大航海時代、帝国主義時代に行った侵略行為、植民地支配にも関わらず、英国によって長らく支配された国はすべからく英国、イギリス人を尊敬し、お金持ちは子供を英国に留学させ、ブリティッシュ・イングリッシュ(クイーンズ・イングリッシュ)が話せれば、母語など話せなくても良い、と本気で思っています。日本が第二次世界大戦中に一時的とはいえ植民地化した国々は、日本に対してこのような尊敬の念は一切持っていませんよね。
あらためて、英国および「ブリティッシュ・カウンシル」の先見性、綿密性、そして長期的な視座に立った戦略のすばらしさがうかがえます。
さて、上記の「英語化」によって引き起こされる重大な問題に話を戻しますが、実はこれ、すべてフィリピンで起こってしまった事象です。
①失われた「フィリピン人らしさ」、アイデンティティーフィリピン人は、OFWに代表されるように、英語が話せることから世界中の英語圏で労働力として重宝されています。また歌やダンスなど、エンターテイメントの世界でも高く評価されています。(といっても、全てが米国文化のコピーですが。)良く言うと社交的で人懐っこいんでしょうけど、「フィリピン人らしさ」は完全に失われています。アイデンティティーを失ってしまったんです。
②失われた知的・文化的基盤私はよく、同僚のフィリピン人やタクシー運転手に、タガログ語で「楕円形」「長方形」「紫色」「肝臓」をなんと言うか、という質問をしますが、答えられる人はまずいません。こんな言葉すら母語(もうすでに母語とは呼べませんね)で表現できないのですから、当然タガログ語だけで裁判もできませんし、医者という職業も成立しません。1億1千万人が米英に完全に支配される「植民地」に安住しているわけです。
③知的格差、経済格差の拡大フィリピンの富裕層、およびその子供たちは、きれいな英語を話す人がたくさんいます。しかしながら、反対にタガログ語は話せなかったり、片言の日常会話だけしか話せなかったり、中には一切タガログ語が分からない子供もたくさんいます。そして親はそれで良しとしています。英語を話す層は学術的、職業的な高度な情報にアクセスでき、当然これが富へのアクセスとなります。英語が話せない層は、情報へも富へもアクセスできません。このため1%の富裕層が残りの99%を支配する極端な経済格差が起こり、世代を超えてこの格差が再生産することになります。
④フィリピン語、フィリピン文化への自信の喪失これは明らかですね。上記の結果、米国文化(ハリウッド映画、ドラマや音楽)や科学技術(Facebook、Instagram、Uber、Google、iPhoneなどのアップル製品等)を信奉し、自分たちの言葉、文化は恥ずべきもの、というなんとも嘆かわしい事態に陥っているわけです。
これでも「日本は『英語化』すべき」と言い続けますか?京都大学大学院教授の藤井 聡氏と評論家の中野剛志氏は、ある対談の中で、「結局、日本が現在進めているグローバル化とは、アメリカのような国になりたいと強く望んで、その実、フィリピンやインドのような発展途上国に堕ちてしまうことだ」という趣旨のことを述べているようですが、まったくその通りだと思います。上に貼付した「英語支配の序列構造」の中の「労働者表現階級」に落ち着くのがせいぜいですね。こんなことで良いのでしょうか?
米英の人々は、きっとこの「下の層50億人」を「猿」と呼んでいるでしょう。