なぜ今回、久々にブログを書こうと思ったのか。

 当時(2010年代初頭)に大学生だった私が、その後大学を卒業し、社会人になってから約10年の歳月が流れています。

 

 きっかけは、昨年秋の、ある友人の不意の訃報でした。

 出会ったのは十数年前、一緒に過ごしたのはたった十日前後。
 それでも忘れがたい出会いをくれた人の不在は、自分が思っていた以上に衝撃でした。


 文章を書く人でした。
 いつも、端正な文章を書いていて、その一文一文の中に、祈りのようなものが込められているのが、とても印象的でした。
 滲み出るような優しさが、気品が、温かさが溢れる文章を書く人でした。
 この世代にもまだ、ヘミングウェイのような、ナボコフのような人が残っていることに、安堵の思いを抱きながら、その人のブログを読んでいました。
 妻子を心から愛し、世界情勢を憂い、それでも少しでも世界を良くするために何が出来るか、考えながら毎日のように文章を紡ぐその姿勢が、私にはとても眩しかった記憶があります。

 一緒に過ごしたのはわずか数日だったため、その人となりを100%知らなかったものの、その人が亡くなってから、その人のSNSに寄せられている数々のを読んで、彼はさながらサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の主人公のような人だったと学びました。
 精一杯、両腕を広げて、この世界の崖からこぼれ落ちていきそうな人を抱きとめて、現世にそっと押し戻すような、そんな門番だったのだと。

 40代、まだまだお子さんたちも幼く、あまりにも若すぎる、早すぎる訃報に呆然として、昨年末は過ごしていました。
 あのように優しい人を失って、世界はこれからどうなってしまうのだろうと涙に暮れていたけれど、泣いていたところで何も始まらないと思いました。
 

――残された人たちは、それぞれの胸の中で対話を続けなくてはならない。
――世界はもっともっと、優しさが必要な場所だ。
 そんな気持ちから、改めて今回、ブログを書こうと思い立ちました。
 文章を書くこと、それを発信することは自己満足と言われればそれまでですが、それでも何かしら、自分が信じるところ、美しいと思ったものを発信し続けることに意味があると、彼ならば言ってくれるだろうと信じて。
誰か1人にでも、どのような形ででも、この文章がいつか届くことを願って書いていきます。

 ということで、この記事は、そんな人の思い出に捧げます。

 

 タイトルの「大麦畑でつかまえて」ですが、当時留学していたNewcastle(ニューカッスル)出身の歌手、ポリスのStingの名曲"Fields of Gold"から思い出して取りました。

 Sringの歌は、イギリス留学中に異邦人の気持ちに苦しみ、戦っていた自分に寄り添ってくれたものであり、また"Fields of Gold"は、その留学の前、上に書いた友人と出会ったアメリカの大地にもぴったりな歌で、当時からよく聴いていました。

(そのアメリカ旅行が、のちのイギリス留学の決定的な影響を与えることになる、人生で初めての1人での海外渡航でした)


 「Fields of gold」に登場する畑は、barley=大麦 なので、さしずめ「大麦畑でつかまえて」かなと思います。
 精一杯腕を広げて、温かな笑顔を浮かべていたその人のことを思いながら、書いていこうと思いますのでお付き合いください。