余り休日の昼に、人の集まるところへ行かないのだが、ふと目にする家族連れの傾向に、ちと共通項があることに気付く。
愚図る子供に、怒りつつも、疲れて辟易としているお母さん。注意の出来ない、お父さん。
駄目だろ、それ。ここまでってところで、無言で子供を圧することもできなかったら、男親の立ち位置ないぞ。
怒ってるお母さん。優しいお父さん。
これじゃあ、社会でオトナを舐める子供になりますよ。だって大概、女の怒りは底が浅い。
こう扱っておけば怒られない。目が届かなければ平気。
子供は大人を値踏みする。でも、普段茫洋として寛容で、見てないようで見ている父親が、雷を落とす家庭は、
大人は侮れない
と、認識する子供が育つ。
家庭は社会の縮図なのだ。子供が最初に触れる社会なのだ。
甘やかし放題で無秩序で放任でが、子供がいる家庭ではない。
経営者が、上司が、従業員や部署内の家族をもてなす時、子供を見る。躾をなされている子供の親は、部下を差配することの基本は理解出来るだろうと踏む。未成熟な子供を管理出来るなら、未成熟な社員の機微を見逃すまいと期待する。国内外、この見識は暗黙にある。
どんなに取り繕っても、家庭で足元すくわれることは多々ある。共稼ぎ家族が増え、父親も母親も、それぞれに社会的評価に晒される時代である。
親に恥かかせない子は親の鏡親は子の鏡
それが次の世代にも受け継がれる良識であると、改めて認識する必要があるであろう。
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午後9時のシンデレラ
