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オタクとスピと日常

肩こりに気付いたのは先月だったかな。
気付いたら肩に力が入っててぬけない状態になってた。
気付いたら力入ってる、みたいな。
昨年迄は確かにそんなんではなかったので
(肩の力ぬいて仕事できてました)
では原因はとなると、
思い当たる事はガッツリと!!!!
あったのですが、もんもんと悩んでおりました。
消すのか。消さないのか。
感情を消して消してどうなるのかと。


結局最後は
それは執着であるからはいでみようぜ!とtry。
ではその出来事がどうなれば満足なのか。
変性意識でどっぷり思考。展開。
ついでにその執着どこにあるの?
で胸にあるやつをべりべりはいで、浄化して消すのも良いけど記録に変換、で記録。
で、大体どうなるのかが理解できたら寝てまして。

寝て、起きて、
では、と私を客観視。
(↑この客観視が、胸のガリガリベッタリ執着がある間はできなかったんです)
のっかってます、肩にガッツリそのモヤモヤ!
でっかい、ゴーレムみたいな形!
ありてなきもの、で浄化して、
終了です。

結果としては、
相手の「信頼して欲しい」の心ががっつりのっかってて、
をれをがっつり受け取ってた。

更にとっぱらった結果としては、
んなもんなくても信頼してるっつーの。みたいな。
そんで、今日は二ヶ月ぶりぐらいに!
肩が軽くなりましたよ、よかった~
はあ、つかれたわ~。
憑かれてた、とでもいうんでしょうか。

反省として、いくら信頼できる相手からだとはいえ
受け取ったらあかんもんはあるというか。
信頼できる相手からだからこそのっけられてしまうというか。
ひょいとかわすスキルは必要というか。
肩こりって、肩を動かさないからだ稼働域だからだ、とかゆってますけど、
やはりこうして他人の感情也なんなりを受け取って
勝手に乗っけてる場合ってのは存在した訳で、
きづければこそよっこいしょができるわけで、

大変だな、と。(ん?ひとごと?)
今度そういうのきたら、
ひとまず横にどっかり置きましてさ(笑)
そしてそしたらどうして信頼して欲しいのココロがあるのかナ?をみつめることが大切なんであってさ。
その初動ができるかな?どうやるのかな?
いう記録。
ちょっとずっと大変だったのですが(私の内部限定)

昨日母と台湾の占い師について話をしていると

きゅうにごわっ!と何かがやってきて

なん!?憑依!?!?(はつたいけん?)

とか思ってると


ガイドさんのチェンジらしきことが起こってました。

はーはーはーはーはじめましてー



そして最近がっつり肩の上にずっとのっかってたものを
きちんとよいしょでどけることができましたよ。


あー、つかれてた!

おもかった!!

とれた!


もーいらん!



なんです、1対多のほうが自然かもしれん。
(もともとそういう性質のはず)


模索するのもたいぎいぜー(するけど
アンインストールとインストール。

このセットがとてつもなく大事なのです。

それは新しい常識のプログラミングだと思っていた。



「身内である社内の人間を攻撃することにより、
 花粉症がおきる」
という症状がおきた。

内で起こることと外で起こることは類似である。

自然治癒の講座へ通って、新しい考えをプログラミングする。

無意識(顕在意識)へ新しい「常識」、「アプリ」がインストールされていく。
という知識のインストール。が繰り返し行われ。


そしてそのプログラミングがはしる。

今まで、私の中では外と中はリンクしていなかった。
私には、「あれ」が「病気」という形になりえないのならば、
私には「心→病気になる」ということは生涯おきないだろう。
そう思っている過去が有る。
そしてその考えは全く以て正しく、ろくに病気にはならない。
しかし、ひとたび新しい考えがインンストールされて、

その結果、

現象は起き、
発症したか、とみえた。


すごい、その通りの現象が起きた!というよりも。
これは新しい考えがインストールされたことによって「起きてしまった」
現象なのではないか?
そう、見えていた。


コンディショニングで佐藤先生がいっていた。
意識が物質をつくるのだと。
これが逆だとあべこべの現象がおこる。
(すなわちそれが現在の世間一般で認識されている、是とされている世界である)


そしてさとう式リンパケアのさとう先生が今日ブログでのべていた。
体幹やインナーマッスル等ないと。
言葉って本当に大切で コアという言葉を使うだけで
コアになってしまいます、と。

脳は言葉でプログラムされているんですね
プログラムのとおりに 動くのです。

と。


そしてようやく気付いた。
是とした言葉で、その言葉の全てで、世界がつくられてくんだと。
小さなころからその「言葉」という葉っぱを一枚いちまい受け取って、
それを身につけて、その現象を起こしていきていっているんだ、と。
無いものを在るとしてそれを是としてインストールしたそのプラグラミングを
走らせているんだと。
だからアンインストールとインストールが大事で、
だからその葉の一枚一枚をちまちまとかましていても意味がない、といわれるのだと。

最近事故を色々して、
その一日があまりにも「マンガ的」であると指摘されて。
それに気付いたとき、
それはまるで「私のオタとしてのマンガ的な脳が起こした現象」ではないか。と思っていたのだ。
そしてそういう世界に変わるのが次のはじまった世界なのだと
占星術のサイトではのべてられてる。


となると、
私は私の夢を叶える為に新しい健康というものへの考えをインストールしたいと思っていた。
それは心を病気がつくりだすということ。
「薬」が治すのではないこと。
すなわち、これを推進するならば、
すなわち、これは新しい常識への切り替え。
現象の切り替え。
その一端を担うことになる。
私はその片棒を担ぐのか。


プログラミング言語が「言葉」そのものであるならば
まだ道はあるのではないか、

そう考えることによって
道はまた
更にうまれていってしまう。


在りはしない道を産むことになる。
なるほど、産む、は有無なんだな。

あーあーあー


とか考えた 土曜日のお風呂場にて。