1月4日、GHQは、軍国主義者の公職追放および超国家主義団体27の解散を指令しました。
1月19日、マッカーサーは、極東国際軍事裁判所条例を承認し、戦争犯罪人(平和・人道に対する罪、戦時法規違反の罪)を審問・処罰のため裁判所の設置を命令しました。
 1月21日、自由党の鳩山一郎は、憲法改正要綱を発表し、天皇は統治権の総攬者であることを明記しました。
 2月3日、マッカーサーは、GHQ民政局に対して、(1)天皇は国家の首部にある(2)戦争を放棄する(3)封建制度を撤廃するという3原則に基づく日本国憲法草案の作成を指示しました。
 2月8日、憲法改正要綱(松本試案)がGHQに正式に提出されました。松本試案とは、国務相の松本烝治の私案を憲法問題調査委員会委員の宮沢俊義が要綱化した草案に、さらに、松本が加筆したものです。

2月10日、GHQは、日本国憲法草案を完成しました。これをGHQ草案といいます。
 2月13日、GHQは、松本試案を拒否し、GHQ草案を日本政府に手交しました。これを日本国憲法はアメリカの押し付けという議論を生みました。しかし、日本の指導者の作成した草案は、明治憲法とほとんど変わらない内容でした。「日本人は内圧では変わらず、外圧によって変わる」しかなかったといえます。
 2月14日、進歩党の町田忠治は、天皇制を護持する憲法改正要綱を決定しました。
 2月19日、昭和天皇は、神奈川県を巡幸しました。これを天皇の巡幸といいます。
 2月19日、GHQは、刑事裁判権行使に関する覚書を発表しました。その内容は、占領目的に有害な行為に対し連合国軍事占領裁判所も裁判権を行使するというものでした。
 2月22日、幣原内閣は、閣議で、GHQ草案の受け入れを決定しました。
 2月23日、社会党片山哲は主権在国家・天皇は儀礼的代表という憲法改正案要綱を発表しました。
 2月23日、戦犯として裁かれた山下奉文の死刑が執行されました。
 2月26日、第1回極東委員会は、ワシントンの元日本大使館で開かれた。会議は非公開で、米・英・ソ・中の4ヵ国には拒否権が与えられました。また緊急事態が生じたときは、アメリカ政府は、連合国最高司令官に中間指令を発することもでき、委員会が取消し決定を行なわない限り有効であるため、アメリカの主導権は確保 されることになりました。
 極東委員会は冷戦の激化による米ソ対立で弱体化しました。
 3月4日、幣原内閣は、GHQ草案に趣旨に基づく憲法改正草案を作成し、GHQに提出しました。
 3月6日、幣原内閣は、(1)主権在民(2)天皇象徴(3)戦争放棄を規定した憲法改正草案要綱を発表しました。マッカーサーは、全面的承認を声明しました。
 3月20日、極東委員会は、最終憲法草案に関する極東委員会の最終的審査権を留保し、「新憲法の制定過程で日本の世論を尊重せよ」とのマッカーサー宛指令を全会一致で決定しました。
 4月5日、第1回対日理事会が東京で開催されました。
 4月10日、@22衆議院議員総選挙が新選挙法により実施され、自由党141人、進歩党94人、社会党93人、協同党14人、共産党5人、諸派38人、無所属81人が当選しました。
 4月10日、極東委員会は、新憲法の採択過程に関与したいと全会一致で要望しました。
 4月28日、東条英機ら28人のA級戦犯容疑者の起訴状を発表しました。
5月3日、極東国際軍事裁判所が開廷しました。これを東京裁判といいます。
5月13日、極東委員会は、新日本国憲法採択の3原則を決定しました。その内容は、(1)審議に十分の時間と機会(2)明治憲法との完全な法的持続性(3)国民の自由な意思表明というものでした。
 5月15日、対日理事会で、アメリカ代表のアチソンは、「共産主義を歓迎せず」と言明しました。
 5月22日、@45吉田茂内閣が誕生しました。
 6月12日、連合国占領軍の占領目的に有害な行為に対する処罰等に関するポツダム勅令を公布しました。その内容は、違反者は、連合国軍事占領裁判所において裁判に処せられるというものでした。
 6月14日、アメリカ政府は、マッカーサーの「4月13付拒否回答」を極東委員会に通達しました。
 6月18日、極東国際軍事裁判のアメリカ側主席検事のキーナンは、ワシントンで、「天皇を戦争犯罪人として裁判しない」と言明しました。
 6月20日、憲法改正案が帝国議会に提出されました。
 6月21日、マッカーサーは、極東委員会の決定に基づき議会における憲法改正案討議の3原則に関する声明を発表しました。
 6月26日、吉田茂首相は、衆議院で、「憲法第9条は自衛権の発動としての戦争も交戦権も放棄したものである」「過去の戦争というものはみな自衛の為といって始められたものだ」と言明しました。

7月2日、極東委員会は、新日本国憲法の基本諸原則を全会一致で採択しました。
 7月6日、大日本帝国を日本国と改称しました。
 7月12日、蒋介石の国府軍50万人は、解放区への攻撃を開始しました。これを中国の全面的国共内戦の開始といいます
 8月24日、衆議院は、憲法改正案を修正多数で可決しました。賛成は421人、反対は8人でした。
 8月26日、皇太子の家庭教師にアメリカ人のヴァイニングと発表されました。イギリスからアメリカの教育制度が採用されたことを意味します。
 10月1日、ニュルンベルク国際軍事裁判で判決がり、12人に絞首刑が宣告されました。
 10月7日、衆議院は、憲法改正案の貴族院修正案に同意して、日本国憲法が成立しました。
 10月16日、自殺したゲーリングを除いて、11人が絞首刑に処せられました。
 11月3日、日本国憲法が公布されました。
 12月24日、枢密院・皇室会議は、皇室典範増補中改正の件を可決しました。

1947(昭和22)年3月4日、GHQは、南方軍事裁判で絞首刑30人と発表しました。
 3月12日、米大統領のトルーマンは、上下両院合同会議で、ソ連封じ込めと共産勢力拡大阻止をねらうトルーマン・ドクトリンを発表しました。
 5月3日、日本国憲法が施行されました。
 5月13日、東京裁判で南京虐殺事件が審議されました。
 5月24日、@46片山哲内閣が誕生しました。
 10月7日、片山内閣は、財界・報道関係991人の公職を追放しました。
 10月13日、戦後初の皇室会議を開催しました。その結果、3直宮家を除く内親王・女王が勅旨・請願により臣籍降下出来るようになりました。

1948(昭和23)年1月5日、米陸軍長官のロイヤルは、サンフランシスコで、「日本を共産主義に対する防壁にする」と演説しました。
 2月16日、アメリカ政府は、岸信介らA級戦犯容疑者の裁判を放棄すると声明しました。
 3月2日、中国検察当局は、ソ連抑留中の元満州国皇帝である溥儀を反逆罪で起訴しました。
 3月6日、米・英・仏など西側6ヵ国会議は、西独の西側組み込みを決議し、その結果、ドイツの東西分裂が決定しました。
 3月10日、@47芦田均内閣が誕生しました。
 8月15日、大韓民国が樹立され、大統領に李承晩が就任しました。
 9月9日、朝鮮民主主義人民共和国が樹立され、首相に金日成が就任しました。
 10月19日、@48第二次吉田茂内閣が誕生しました。
 11月2日、アメリカの大統領選でトルーマンが再選されました。
 11月9日、蒋介石は、アメリカ大統領のトルーマンに対して、緊急軍事援助を要請しました。
 11月12日、東京裁判で最終判決が出され、東条英機ら7人に絞首刑が宣告されました。
 12月16日、中国共産党軍は、北京に無血入城しました。
 12月23日、東条英機ら戦犯7人は、巣鴨拘置所で、絞首刑が執行されました。
 12月24日、岸信介・笹川良一・児玉誉士夫らA級戦犯が釈放されました
力を蓄えて備えて人を大切にしてチャンスに備えよう。
チャンスは待っていてもだめだから自分から作り出さなきゃ。
出会いを大切にしたいと思います。
ありがとうございます。
読んだり書いたり話したりは物事を考えて相手に伝えるのにとても大切なこと。困っている事も気持の許せるひとに話してみると一人で考えているより楽になります。
このブログも書いているこの時間がとても楽しい。
読んで発表する力をつけるには、読み合わせをする。
対話しながら書込み練習をするのがとても良いと思います。
だからこそ、対話の相手選びが大切です。
大切なのは親力。
問題を解くには基礎をきちんと学んでからたくさん類題を解いてみよう。
なるべく早く自分の受験校の問題をみて過去問題と類題の解説コーチを受けよう。
新年度の東大合格対策生を募集します。
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おはようございます。夜遅くまで勉強をしてまだまだ眠いのではないですか。
大学受験の推薦入試が近付いてきましたね。
戦略で勝負。
歴史でも戦いで勝つには戦術と戦略が大切ですね。
力がなくても合格点にはどどきます。
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