ニューヨークからおはようございます。出口 浩子です。いでぐち、と読みます。
現在、マンハッタンにあるアメリカのある生命保険会社に勤めています。
今勤めている会社に入社したときは、別に英語の試験を受けたわけではありません。アメリカの会社ですから、書けて当然、しゃべれて当然で普通に面接を受けました。
別にすごい才能があるわけでもない、日本生まれ日本育ちの私が、ニューヨークにあるアメリカの会社で14年も働いて、お給料をもらって、きちんと生活していけてるのは、“コミュニケーションとして”英語を話しているからです。
それはどういうことなのでしょうか?
毎日の生活の中で、私は、英語で、仕事もしているし、友達と恋愛の話で盛り上がって泣いたり笑ったり、お店では自分のサイズが裏にあるか見てもらったりします。
それは、日本語も同じですよね。ただ、言語が違うだけであって。
私も公立の中学校、高校と、英語の勉強、計6年間やりました。 私は短大で英文科でしたから、さらに2年間、英語を勉強しました。外国文学が日本語で訳されたものを読んで、日本語でレポートを書きました。音読して、訳しました。単語の発音を音声学の授業のときに、声を張り上げて、発音しました。教室の前に座っている先生に聞こえるように大声で発音するのでは、アクセントも何もありませんでした。
つまり、英語をコミュニケーションとして、使ったことがなかったんです。
日本人が日本語を使うように、アメリカ人が英語を使っている。それだったら、日本人だって、英語をコミュニケーションの道具として、使えるはず。
このブログでは、英語を学校の教科ではなくて、生活の中にあるもの、として捉えてもらえたい、と思ってニューヨークでの生活の中の英語に関することを書いていきたいと思っています。
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