その後の研究では、聖句から答えを与えられることが、まさに「真理」に飢えた心に染み渡るようで、のめり込んでしまいました
そして子どもに、答えをや希望を与えられること、
人は死んでもお星様になってずっとお空から見守ってくれるんだよ、というようなまやかしや適当な慰めを言う必要なく、神が完全な解決を約束してくれていると

集会や大会やらどんどん大変になっていって、おかしな教えに「ん??」となったり、
誕生日など、やれなくなった事柄で家族で悲しいトラブルや諍いが勃発したりということがあっても、子どもとは「ずーっと一緒だね、楽園がたのしみだね」と、心の平安は得ていたのです

会衆の兄弟姉妹との絆が「霊的パラダイス」と言われていましたが、私にとってはなんか変な独特な言い回しや、なんでもかんでも「励まされた」とかいう言葉で変な関わり方する会衆より、よっぽど「愛の神」と出会えたことの方が、心のパラダイスでした

しかし、バプテスマが見えてきた頃には、自分の良心が「組織はおかしい!」とざわつくようになりました
「神=愛」と教えながら、集会や大会で言われる内容には愛もなにも感じられません

エホバの証人とは、結局はサタニックな人間の組織を崇拝し、自らの思考や良心を捨て盲従するよう鍛え上げられる活動をしていて、そこには愛の神はいないとわかりました

しかし、それがわかったのは良かったのですが、やはり空虚がポッカリとできてしまい、心のバランスを取るのが難しいです
研究生の私ですらそうなのですから、長年奉仕してきた方々が、その喪失感に屈することなく冷静に事実を見極め、人生を立て直そうとされてることには、本当に敬意を抱きます

会衆の中は、この喪失感を恐れてあえて現実を見ようとせず小さな集団にしがみつく人ばかりです
みんなで集っては「お互い盲目でい続けましょうね」と言わんばかりに固く励まし合っています
私の司会者なども、絶対無理でしょうね
何にもする事がなくなるでしょうし、これまでどんな世の仕事よりも尊い、命を救うというすごい業をなしてきたのに、それが無意味だなんて生き甲斐全てなくなりますもんね

私は娘たちに与えた希望を奪い去ることはしたくないですが、JWの教理の「誰得楽園」なんて嫌なだけだし!残酷だし!
娘たちも「楽園はいいけど。。。なんかひどいいよねー」と疑問だらけ(あの滅びゆくひどい挿絵ね(- -;))
愛の神ならそんなちんけな楽園、考えもしないはず

「良心の危機」の著者のフランズさんは、その後もクリスチャンとして信仰を失わなかったようですね
私もそのように生きていきたいと思います
でも実際、どうしていこうかな…と思っています