今日は、広島原爆が落ちて70年目の年です。

記念日と言うのは、あとの思い出として何かを残しておくもの、
あるいはそれによって残されたものです。(Wiki参照)

また、その記念日として、きちんと続けていけているのは、
各年代において、その人たちの意思と努力による物だと思います。

人々は、常々、悲惨なこと、目を背けたいと思う側面もありますが、
広島の方々は、豊かになった今も、心の礎として、語り続け、
きちんと見続けている姿勢が、今日までに至るのだと思います。

国の平和を思い、核兵器を拒否する姿勢は、他県の者も見習わないといけないと思います。

各国の方々が、この様な場面にご参加いただけるのも、意思としてありがたい事。

続ける事、見る事、語る事、その一つ一つの姿勢が大事なんだと思います。


『言論が武器』だと昨今言われますが、
余りにも、短絡的な言葉、表面的な言葉の応酬が続く場面が多くなっております。

ネットワークによって、様々な情報が共有できるようになって、
真の民主主義の環境が出来てきたように思います。

報道は、やはり、人の手が加わっているため、意思が感じます。
ほんの少しの意思によって、言葉の意味は、すぐに変わっていってしまいます。

もちろん、このネットの世界でも、そのような動きがあります。

、、だから、それが当たり前であるという事を、情報を提供されるという事は、
そういう可能性があるという事を認知できてない人が、まだまだ多くいるように感じます。

私は、この時代に生まれて来てよかったと思います。

諸先輩方が居たから、この時代に生まれ、そして、
この日本の現状の技術発展の恩恵を受けていると思っております。

その恩恵に関して、畏敬も尊敬もなくなってしまっては、
きっと同じことを繰り返す事になってしまうと思います。


この「平和」って言うのが、どういう人たちが築きあげて、
どういう人たちが、尽力してきたか。

そういう人たちの努力を無視して、「表面的な言葉」のみで平和をうたう人たちには、
最近不快感を覚えます。



戦時中、情報が人々を間違った方向に向かわせました。



戦争は、もちろん賞賛されるべきものでもなく、
「正義」「悪」と言う概念はありません。


すべては、「不条理」なんです。


戦争を考える時、今の「自由」「平和」は、そんな「不条理」から、
命を懸けて我々に与えてくれた人々の事を思い、
あのような状況、環境にしないと考えないといけないと、私は思います。



まあ、70年目は、私も含め、色々考える年になったのは、間違いないですね。


改めて、そんな時代も大事だと思います。


考えるのをやめてはいけません。
それは、戦時中の方々の努力を無駄にすることだと思います。
1つの考え方だけでなく、様々な意見、論理的に考えてほしいです。

感情は、大事ですが、感情だけに流された結果が惨劇を生みます。


変化には、魂が必要です。
しかし、誤った方向にミスリードされていることを、しっかり見極めなければいけません。
戦時中に報道機関が行った事、「プロパガンダ」と言う形での国民の視点偏向行為
私は、許せないと思っております。




。。。まあ、とりあえず、原爆の日に改めて、
色々思い、考える機会にできればと思います。