「このままでも生きていけないことはないけど、もう自分を騙し騙し生きていくのイヤなんです。」
と、おっしゃってました。
『自分らしく』とか『自分を大事に』とか最近よく言葉を聞きますが(僕も言ってたりしますが)、そう生きることって自分と向き合わずには選べない生き方なんだと思います。
そもそも自分らしさとか、自分を大事することがどういうことなのか?も、選んでなかったり、基準がなかったりしてわからないし、
何かを妥協して、何かを諦めて生きていくことの方が、悲しく辛いこともあるんだけど『楽(らく)』なんですよ。
さらに辛さや悲しみは感じないようにすれば感じないように出来ますからね。
(もちろんそれをすればするほど、比例して喜びや楽しみも感じにくくなりますが。)そうなれば諦めてたりする自覚もなくなります。
自分に気づけるチャンスになるのは、感度を落として感情に蓋をしても蓋仕切れないぐらいの言葉に出来ないモヤモヤや、どうしてこんなに怒ってしまったのだろうと思うぐらい必要以上に怒ってしまったりして自己嫌悪、自己否定するぐらいのたまにの出来事の時ぐらいにしかチャンスはない。
でも、やっぱり自分が心の底から、それこそ魂が震えるような喜びを感じて生きていこうと思うとそれなりに覚悟がいったりします。
覚悟って書くと大層ですけど、方向性を間違ってはいけないです。何より大事なのは、自分の感じることを大事にして、自分が本当に奥から喜ぶ選択をする覚悟です。
何かの為でもなく、誰かの為でもなく、本当の自分の為に選ぶ覚悟。
それは勇気ともいうかもしれないですね。
そもそも人は『変化』そのものが嫌なのです。(何故かは割愛しますが。)
変わりそうになったら無意識全力で抵抗しますし、一瞬変わったぐらいだと元に戻ります。本を読んでもなかなか変化しないのはこの辺もあります。
だから僕がいつも決めてるのは、僕をサポーターとして選んで下さり、それなりの金額を支払って、それなりの時間をかけてでも変わることを選んで下さった方には全力で関わらせて頂くこと。
時に、一般の人の基準で言うと厳しいことや耳の痛いかもしれないこともお伝えするし、その人が変化の縁にいると嬉しくてニヤニヤもしてしまいます。(この辺がドSと言われるのかもしれません)
自分のセッションが最適解かどうかはわからないですが、僕は必要と思ってるからこそそのタイミングで何かをお伝えするわけで、もしかしたら他の方の何かのセッションを受けた方が早いのかもしれません。(そう思える何かを知っていればご紹介することもあります)
でも、そうやってご縁あって一緒に人生を自分の甲斐あるものにしていこうといって下さる方には感謝と全力をもって、日々関わらせて頂くのです。
※写真は撮り忘れたので、子ども達の保育園の夏祭りの時のワンシーン