今日はとあるランチ会に参加してきました。
その会が何の会だったのかは良く知らず、
なんとなく、必要な気がして、
タイミングもあったので、
急遽参加させて頂くことにしました。
結論からいうと、ネットについての勉強会兼ランチ会だったのですが、
少人数の参加だったので、
様々な観点を互いにシェアしあっていくという
場が生まれていました。
その中で印象的だったことが、
ネットの【虚像】と
現実の【実像】の話。
フェイスブックの登場で
ネット世界もある種、虚像を作ることが
難しくなってきています。
実名、顔写真を載せる。
これだけでも、かなり昔に比べると
プライバシー的な観点からいくと
公開していることになる。
調べようと思うと、ある程度相手のことを調べることができるのです。
だからこそ、虚像で創った自分を
現実の実像部分でも
あわせないと他人の目から
矛盾が生じてしまうことになる。
ここで、ポイントとなるのが、
虚像と実像がどれほど乖離(かいり)しているかということ。
離れていれば、離れているほど、
苦しくなるし、トラウマは増大していくでしょう。
虚像が=実像であれば、
(この場合は虚像ではなくなる。)
実像を知って、つながってくれるので、
そのままのあなたで存在することができるのだ。
これは、ネットに限った話ではない、
実像という部分を
本来の自分・魂が喜ぶ自分と
解釈するならば、
虚像はどこにだって存在し得る。
会社の自分、
グループの中の自分
両親の子どもである自分、
パートナーである自分、
様々な場所に存在している、あなたは
本来のあなたなのか?
魂が喜んでいるあなたなのか?
それすらももしわからなくなっているとしたら、
それはとても危険なことである。
今一度、しっかりとご自身を観察してみてほしい。
あなたの魂が喜んでいる状態であることを
願っています。