こんにちは流れ星ことりんです。









ずっと書けていなかった治療経過書いてみようかなと思います。








2017.12  心タンポナーデ 心不全を起こし救急車搬送


2018.1    心嚢水より癌細胞  肺腺癌 EGFR
               脳転移あり ステージ4


2018.1    ファーストライン ジオトリフ


2018.9    セカンドライン  
カルボプラチン+アリムタ3週間おきに点滴→アリムタ維持療法


2019.1    セカンドラインも早くも耐性
               主治医の勧めで2度目のセカンドオピニオン
               (病院 医師指定)

ここでことりんは希望する薬や検査とうをやってくれない事に大泣きします




20191    セカンドオピニオン


2019.3     ガンマナイフ


2019.4      治験に参加


2019.8      ガンマナイフ


                  脳転移の為に治験終了



2019.9    フォースライン開始 タルセバ








今年の初めにどっぷり落ち込んでいたのは、告知やっと一年なのにサードステージの治療に入ってしまう事にでした。





フォースラインのジオトリフは中央値には全く届かず僅か半年にて耐性


気持ちを切り替えて挑んだセカンドステージ
カルボプラチン+アリムタは私の場合3週間おきに4回打っており、
その後アリムタ維持療法は僅か2回で耐性と言われました。

耐性後 追加で2回アリムタを打っています。






セカンドステージ耐性後
ことりん 主治医とトラブります。


この際直ぐに気管支鏡検査は決まりましたが、
病院システム的にリキッドバイオプシーは同時にはできなかったりともたつきます。
LCスクラムもダメ。
なんで?指定病院なのに。
リキッドバイオプシー毎月検査している方もいるのになんで?


T790Mが出たら迷わずタグリッソ
では、出なかったらどうするのか?


主治医はドセタキセル一択でした。


分子標的薬へのリチャレンジもダメ。
TS-1もダメ。


気管支鏡検査は直ぐ日程を決めましたが、
私の希望する検査は他は全て通りませんでした。
希望した薬も全て却下でした。


私が納得いく説明はありませんでした。
ダメ ダメ ダメ
何度も言われました。




「使わせてあげたい気持ちはあっても、病院のカンファレンスで通らない。やらせてあげたくても出来ない事もここでは多いんだよ。」

「ことりんさんはまだ若い。体力もある。もう一度セカンドオピニオン行ってみてはどうだろう。
行くなら○○先生に。
日本のトップの話を聞いてきて。
この病院で出来ない治療もあるかもしれない。
同じレベルの病院に行くのは意味なし」








主治医からセカンドオピニオンを強く勧められました。
その為には同じレベルの病院ではなくとの事で、
病院も医師も指定でのおススメでした。



いつもの抗がん剤日のつもりで行ったこの日。
まだ始めて4ヶ月。
耐性のショックと、
余りにダメダメ言われたショックと、

プラスしてセカンドオピニオン。

ただ私はこの時 主治医から見放された感に物凄く落ち込みました。




もう病院を変えるつもりでいました。
誠意を感じない主治医に命を任せるつもりはない。
この時点で主治医への信頼は崩れ落ちました。




この日も私は1人です。
いつも1人です。

だからこそ担当がん専門看護師さんがついてくれているんだと思います。

この日も診察にも同席。
会話は全て聞いてくれています。ん




この後別室にて担当がん専門看護師さんと話をしました。
ボロボロ状態の私が自宅に帰っても1人で動けないだろうと、
その場でがんセンターの予約までしてくれました。




「ことりんさん、ここの病院では本当に出来ないことが多いんです。(←ガチガチの標準治療と言う事です。)

病院や医師を決めるのは患者側ことりんさんです。いくつかセカンドオピニオン受けて良いと思います。」




直ぐに夫に経緯をメールをしました。
夫から息子に連絡。



がんになってから初めて家族の前で大泣きしたかもしれません。



もう、この病院には行かない。
受け入れ先も決まっていない。
私がん難民になっちゃうんだ。 
もうがんばれない。
もういやだ。



がんになっても、落ち込んでも、
1人持ち直してきました。
告知3ヶ月後には自分で調べた患者会に参加し、
行ける講演会や勉強会には全て参加しました。



たぶん夫も息子もそんな私をみて、
心配ながらも安心していた部分もあったと思います。



2人とも大慌てとなります。



がんセンターの予約以外に病院を探し、
気管支鏡検査は何とかこの病院で受けようと促され、



私が見放されたと落ち込んでいる事やセカンドオピニオンの相談や、書類の受け取りの事で、
息子が担当がん専門看護師さんに電話を入れました。



数日後の気管支鏡検査の入院の際に主治医が時間を作り話し合いがありました。
勿論担当看護師さん同席です。



自分の言い方が悪かったと謝ってくれました。
見捨てるつもりなど全くなく、これからも勿論治療していくこと。
私が提示した検査や薬は病院的に出来ないこと。
こんなに強くセカンドオピニオンを勧めることはないこと。
理由はやはり年齢と可能性。

主治医も他の病院にいた時には違う選択肢もしていたがここでは出来ない。

効果がないからとか、私と薬の相性とかの理由をきちんと話してくれたならばと思いましたが、
この際の主治医な話はこの病院では次はドセタキセル一択でした。










その後がんセンターへ。
がんセンターでは3つの治験を紹介されました。
その中で1番おススメの物は遺伝子検査が必要でしたが、元々の病院にてT790Mの為にとった検体が使えるとの事でした。




T790Mが出たら迷わずタグリッソ。
出なかったら検体を持っておいでとの事。





T790Mは出ませんでした。
EGFRのみ。





検体は通常病院間のやりとりらしいですが、私は自分で持参しました。
元々主治医が勧めてきたセカンドオピニオンですし、主治医同士は学会等で顔見知りな事もあり急な対応でしたが持参できるように手配してくれました。







この間 
耐性を言われた日にセカンドオピニオン予約
翌週気管支鏡検査とセカンドオピニオン
約3週間後にT790Mの結果が分かり、即日検体受け取り、数日後にがんセンターに初診として持ち込み。
がんセンターからアメリカに検体が飛び、
約2週間後に新たな遺伝子変異陽性。





がんセンターのセカンドオピニオンだけは息子についてきてもらい録音を頼みましたが、
他は全て1人でやりました。
心細かった、、、





この検査にて、たぶんブログを読んでいる皆さんが想像していないだろう治療に
ことりん進みました。







遺伝子検査にて、
EGFR陽性
MET陽性







この二点が陽性対象の治験に進みました。
EGFR+MET 第二相試験です。









EGFRの方々、ご自分にはT790M以外ゲノムは無関係と思っている方も多いと思いますし、そう言う声も実際何人からも聞きました。
でも新たな遺伝子変異がでる可能性が少しですがあります。


EGFRの約60%にT790Mが出て、
出なかった40%の内の約30%程にMETがでるそうです。


T790M耐性後や、EGFR以外の方々にも.
今持っている遺伝子にプラスしてでる遺伝子変異もあると言う事です。



ただまだ保険適用の薬はありませんから、うまく治験に乗れなければ治療薬は使えません。


私もMETの認可済み
薬があればと思いましすあせる






第二相治験であり、EGFR+MET陽性が出る方が少ない為人数はかなり少なかったです。
というか、セカンドステージ、サードステージの時点でEGFRがありMETの可能性にかけて検査する人が少ないのだと思います。






2週間おきに単剤点滴






私に強く出た副作用は
視力低下
筋肉の痙攣
肝機能障害
手足のしびれ
その他色々







視力低下は1.2ほどあった視力が約10日程で0.3まで落ちました。
急な視力低下に体がついていけません。
メガネは作りましたが、視力低下が急すぎてかけると歩けませんでした。
眼圧が上がっていたので、急に視界が真っ暗になったら、近くの眼科に飛び込むようにと がんセンターの眼科で言われ怖かったです。






肝機能障害は本当に手こずり
2週おきの抗がん剤が6週空いたりしました。



治験は6週おきに効果判定があり、丸々打てないのは恐怖でした。


肝機能障害により抗がん剤は減薬となりました。





手先足先は常に痺れるようになりました。





タキサン系の抗がん剤の場合、点滴時に手足を冷やすと良いと言われますが、私の使った抗がん剤は体内に留まる性質から打っている最中に冷やしても意味はないとの事でした、、、







それでも この治験薬は私にとても良く効いてくれました。
たぶんがんセンターの他の治験者の中でも1番効いていたと思います。
主治医がこの薬こんなに効くのか!と何度も驚いていましたから。


肝機能障害が起きスキップが続いても
体の中に長く留まるタイプの抗がん剤との事で、私の癌は小さくなっていきました。



ビビリの私も、この薬はスキップしたり減薬しながらも私には合っているのではないか。
1年、1年以上続けられるのではないか。と思い始めていました。






これを読む皆様が同じ薬が1年以上、2年3年効いている方も多いですが、私はどの薬も数ヶ月で、1年効くのは憧れでした。
こんな思い分かるかな、、、







でも、思いもよらないところで治験は終了になりました。
脳転移です。






脳転移が現れるまでに8ヶ月かかると言われているので、
たぶん治験前に3ヶ月ほど休薬にで準備期間があったのですが、その間に現れ始めていたのかもしれません。







肺には良く効いていましたから、アメリカの製薬会社に主治医も治験コーディネーターさんも交渉してくれましたが、残念ですが治験終了となり、







先日2度目のガンマナイフを受けてきました。





最後に打ったmet阻害薬から1ヶ月半
これは2週間おきに打つ薬です。




肺は縮小ですが、脳転移←ガンマナイフ済み
と心嚢液がまた溜まってきました、、、




脳転移は1個のつもりで行った多発転移でした。
前回30分で終わった手術は3時間以上かかり、
全て売ってくれまさた。
1週間経つ今でも傷は痛く頭は重いです。




ここで前回の主治医からの言葉に繋がります。




私の場合の遺伝子変異は

EGFR L858R

MET

PD-L1   75%

今出ている遺伝子変異です。

EGFRがある以上 T790Mが出てタグリッソが使えたらと思わずにはいられません。







心タンポナーデから始まった闘病
心タンポナーデの方々がブログでも何人かいらっしゃいますが自力で歩けた方やら即ドレーンにはならなかったり、



心不全まで起こして全く動けなく死にかけた私は最初から余命宣告は厳しいものがあり、




やはり闘病も難しいのかなと落ち込んだりします。





わりと元気な見た目に見えますし、
新宿の学会、京都の学会やらと出席し治療が上手く行っていると思っている方も多いと思いますが、






実際はなかなか上手くいかない治療に
この理不尽な世界に
かなり落ち込み
それでも私としては精一杯前向きに色々な可能性にかけて、
使える薬
治験だってやれるものならチャレンジしたい。






でも生きる意味を見失いかけ
何故私は生きるのか?
何のために生きるのか?
がんばっても前を向いても報われないこの世界に
どうしたら良いのか
今は途方にくれる毎日です。









前向きに治療を頑張る気は今でもありますし、
私なりに薬を繋げていきたい気持ちはあります。




でも悲しくて虚しい気持ちも、、、







ことりんちゃん、METで治験すぐ終わっちゃったんだって、可哀想だよね。


リアルにそんなセリフを言いそうな人が思い当たり、
ノミの心臓の私は心がきゅーっとなります
  








カエル
流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星カエル







↑上記は九月頭に書いた物で、だいぶ前に書いておいた物で、まだ希望がありますね。







只今ことりん、入院17日目


入院前とは別人のように体が弱ったしました。

両肺胸水、心囊すい
胸水の中には栄養素が沢山あり抜くのもリスクがあります。
でも、呼吸困難でやばい私には抜くしか選択肢は無かったんだと思います。
だって、沢山のブロ友さんがしてる、、、



でも私歩くのはフラフラ
血圧計測不可、たぶん脈より見るに上が80くらい。




昨夜は心嚢水の方の処置で、たぶん39°くらいまで発熱、寒い❄️

その後心臓が痛くなり当直ドクターに処置をしてもらい落ち着き、
心臓って痛みが恐い。
苦しかった
心臓 たんに、息ができなかった。



、、、そのとき あんなにも、自分は頑張らなくてはいけないのか?
もう、頑張り意味が分からない、、、、、










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