今日、8月15日は終戦記念日。
先日、在日の語り部の方を
紹介しましたので、
今回は日本人の語り部、
沼田鈴子さんの話です。
沼田さんは、原爆で左足を
失いました。その治療中に
婚約者を戦争で失ったことを
知りました。
人間として全てを失った
と絶望し、死ぬことだけ考え
毎日を過ごしていた沼田さん。
その時、勤務先でいつも見ていた
アオギリの木と再会します。
そのアオギリも被爆し、全身に
大やけどを負っていました。
広島では今後70年は草木も
育たないと言われていました.
しかし…
そのアオギリの木からは、
細い枝が伸び、小さな葉っぱが
生えていたのです。
彼女は語っています。
「 その姿をじっと
みつめている中に、
自殺への思いを
生きることへの思いに…
アオギリの樹が
教えてくれたのです。
それは私の立ち上がりへの力でした。 」
沼田さんは被爆体験を
語ることについて、次のように
言っています。
「 証言は、
私の平和の一粒の種まきです。
多くの方々が手をとりあって
一粒ずつの種まきの輪を
ひろげましょう。
美しい地球、
素晴らしい未来のために、
身近なところから、
心の種をふやして
まいりましょう。
最高の幸せは平和であること、
…。
国と国が理解し、
民族と民族が信頼し、
愛し合えば、
心と心は通じあうのでは
ないでしょうか。
世界すべての人達が
平和で幸せに
安心して暮らせるように
願いながら、
歴史への旅をつづけています。」と。
185曲目は USA for AFRICA 「 We are the world 」
there comes a time when we heed a certain call
when the world must come together as one
there are people dying
and it's time to lend a hand to life
the greatest gift of all
we can't go on pretending day by day
that someone, somewhere will soon
make a change
we are all a part of god's great big family
and the truth, you know,
love is all we need
※we are the world, we are the children
we are the ones who make a brighter day
so let's start giving
there's a choice we're making
we're saving our own lives
it's true we'll make a better day
just you and me※
send them your heart so they'll know that
someone cares
and their lives will be stronger and free
as god has shown us by turning stones bread
so we all must lend a helping hand
※くり返し
when you're down and out, there seems no
hope at all
but if you just believe there's no way
we can fall
let us realize that a change can only come
when we stand together as one
※くり返し
<以下、超意訳>
今こそ あの声に耳を傾けよう
世界が一つにとなる時がやってきた
人々が死んでゆく…
“命”のために手を差し伸べる時がきた
それこそ、この世の中で最高の贈り物
私たちはこれ以上見て見ぬ振りを
続けるわけにはいかない
誰かが、いつか変化を起こさなければ
僕らはすべて、大きな家族の一員なんだ
本当さ
すべての人に必要なのは愛なんだ
僕らは仲間、僕らは一つの家族
輝く未来を創るのは 僕らの仕事
さあ今こそ始めよう
道を選ぶのは君さ
それは自分の“命”を救う道でもあるから
そしてもっと素晴らしい世界を創るんだ
きっとできる
君と僕で…
自分自身の心に耳を傾けてごらん
皆が一人一人、自分の行動の重要さに気付く
そうすれば自分の人生も
より強く、自由になれるだろう
神が石をパンに変えて示してくれたように
私たちも救いの手を差し伸べていこう
絶望の淵にいると、何の希望も持てなくなる
でも、“絶対に負けない”と信じれば、
絶対に負けない!
そう!
全ては変えることが出来ると気付いたなら
私たちは一緒になって立ち上れるんだ
先日、「 ZED 」を観に行きました。
そこでは、日本人としてはただ一人、
稲垣 正司という人が出演していました。
他の出演者の演技もさることながら、
やはり同じ日本人として、
彼の演技は感動しました。
稲垣さんの演技はバトンを
使ったものでした。
何と6才からバトンを始めたそうですが、
当時は、120人いた教室で、
男子は一人だけだったそうです。
その後ジュニア大会で大活躍し
1995年以降、世界大会男子
シニア部門で11連覇。
獲得した金メダルの合計も
23個と史上最多です。
小さい頃からバトン一筋の稲垣さん。
青春の全てをバトンに捧げ、
バトンで人々に感動を与えることが
できると信じ、
ついにシルク・ドゥ・ソレイユ という
世界最高峰の舞台に立つことが
できました。
「 私ができることは
バトントワラーとしてバトンの良さを
人々にも知ってもらうこと。 」
前人未到の道を切り開く
彼の努力は、まだまだ続きます。
昭和の作家 堀田善衛は
次のように言っています。
「 青春は、身のほど知らぬ
冒険でもありうるのだ。
目的地に達しうるかどうかは、
頭のよしあしなどにかかわらない。
信じて 持続出来るものを
見つけたか否かにのみ かかわる。」
184曲目は プリンセスプリンセス 「 Diamonds 」
冷たい泉に 素足をひたして 見上げるスカイスクレイパー
好きな服を着ているだけ 悪いことしてないよ
金のハンドルで 街を飛び回れ 楽しむことにくぎづけ
ブラウン管じゃわからない 景色が見たい
針がおりる瞬間の胸の鼓動焼きつけろ
それは素敵なコレクション もっともっと並べたい
眠たくても 嫌われても 年をとっても やめられない
ダイアモンドだね AH AH いくつかの場面
AH AH うまくいえないけれど 宝物だよ
あの時感じた AH AH 予感は本物
AH 今 私を動かしてる そんな気持ち
幾つも恋して 順序も覚えて kissもうまくなったけど
初めて電話する時には いつも震える
プレゼントの山 埋もれもがいても まだ死ぬわけにいかない
欲張りなのは生まれつき パーティはこれから
耳で溶けて流れ込む 媚薬たちを閉じ込めろ
コインなんかじゃ売れない 愛をくれてもあげない
ベルトをしめて プロペラまわし 大地をけって とびあがるぞ
ダイアモンドだね AH AH いくつかの場面
AH AH うまくいえないけれど 宝物だよ
あの時感じた AH AH 予感は本物
AH 今 私を動かしてる そんな気持ち
何も知らない AH AH 子供に戻って
AH AH やり直したい夜も たまにあるけど
あの時感じた AH AH 気持ちは本物
AH AH 今 私を動かすのは ダイアモンド
そこでは、日本人としてはただ一人、
稲垣 正司という人が出演していました。
他の出演者の演技もさることながら、
やはり同じ日本人として、
彼の演技は感動しました。
稲垣さんの演技はバトンを
使ったものでした。
何と6才からバトンを始めたそうですが、
当時は、120人いた教室で、
男子は一人だけだったそうです。
その後ジュニア大会で大活躍し
1995年以降、世界大会男子
シニア部門で11連覇。
獲得した金メダルの合計も
23個と史上最多です。
小さい頃からバトン一筋の稲垣さん。
青春の全てをバトンに捧げ、
バトンで人々に感動を与えることが
できると信じ、
ついにシルク・ドゥ・ソレイユ という
世界最高峰の舞台に立つことが
できました。
「 私ができることは
バトントワラーとしてバトンの良さを
人々にも知ってもらうこと。 」
前人未到の道を切り開く
彼の努力は、まだまだ続きます。
昭和の作家 堀田善衛は
次のように言っています。
「 青春は、身のほど知らぬ
冒険でもありうるのだ。
目的地に達しうるかどうかは、
頭のよしあしなどにかかわらない。
信じて 持続出来るものを
見つけたか否かにのみ かかわる。」
184曲目は プリンセスプリンセス 「 Diamonds 」
冷たい泉に 素足をひたして 見上げるスカイスクレイパー
好きな服を着ているだけ 悪いことしてないよ
金のハンドルで 街を飛び回れ 楽しむことにくぎづけ
ブラウン管じゃわからない 景色が見たい
針がおりる瞬間の胸の鼓動焼きつけろ
それは素敵なコレクション もっともっと並べたい
眠たくても 嫌われても 年をとっても やめられない
ダイアモンドだね AH AH いくつかの場面
AH AH うまくいえないけれど 宝物だよ
あの時感じた AH AH 予感は本物
AH 今 私を動かしてる そんな気持ち
幾つも恋して 順序も覚えて kissもうまくなったけど
初めて電話する時には いつも震える
プレゼントの山 埋もれもがいても まだ死ぬわけにいかない
欲張りなのは生まれつき パーティはこれから
耳で溶けて流れ込む 媚薬たちを閉じ込めろ
コインなんかじゃ売れない 愛をくれてもあげない
ベルトをしめて プロペラまわし 大地をけって とびあがるぞ
ダイアモンドだね AH AH いくつかの場面
AH AH うまくいえないけれど 宝物だよ
あの時感じた AH AH 予感は本物
AH 今 私を動かしてる そんな気持ち
何も知らない AH AH 子供に戻って
AH AH やり直したい夜も たまにあるけど
あの時感じた AH AH 気持ちは本物
AH AH 今 私を動かすのは ダイアモンド
今日は、原爆の被爆者の話です。
今から66年前の8月6日には広島に、
8月9日には長崎に原爆が投下されました。
多くの日本人が犠牲になりましたが、
被爆者には在日韓国人の方もいました。
その中の一人が郭福順(かくぽくすん)さんです。
郭さんは広島で被爆しました。
被爆後、髪が抜け、どす黒い異臭を放つ出血が
40日間も続いたそうです。
原爆症で一日として元気な日はなく、
後遺症に怯えながら過ごす毎日。
原爆スラムといわれた場所で
お好み焼き屋を開きますが、失敗…。
死ぬに死に切れず、生きるには辛すぎる…
そんな日々が続きました。
しかし、そんな中でも、彼女は結婚し
4人の子供をを産み育てます。
そして87年には、あることきっかけに、
40年以上拒否していた被爆体験を語る
平和運動を始めました。
彼女はこう語ります。
「 原爆を生き延びた私には、
戦争の悲惨さ、命の大切さを語る使命がある。
人を傷つければ、自分に消えない傷跡が残る。
平和と言っても、身の回りに優しさを広げることから
始まると思うんよ。
それを若い人に伝えたくて、
今も語り部をやっとるんよ。 」
約10年後の98年、郭さんは悪性の膀胱がんと
診断されました。
しかし、入退院を繰り返しながらも、
彼女は語ることをやまめせんでした。
「 今、皆さんがいる場所が平和なら、
家族や先生、仲間に感謝して、
自分を立派に育ててほしい。
もっと平和な世界になっていくけぇ。 」
がんと診断されて13年。
郭さん現在83歳。
今日も平和を語り続けています。
そして、今回の大震災についても
こう言っています。
「 大震災に遭った人も大変じゃけど、
立ち直って、いつか語れるように
なってほしい。 」と。
189曲目は 竹内まりや 「 人生の扉 」
春がまた来るたび ひとつ年を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば五十路を 越えた私がいる
信じられない速さで 時は過ぎ去ると
知ってしまったら
どんな小さなことも 覚えていたいと
心が言ったよ
I say it's fun to be 20
You say it's great to be 30
And they say it's lovely to be 40
But I feel it's nice to be 50
満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度 見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じる重さを
ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ
I say it's fine to be 60
You say it's alright to be 70
And they say it's still good to be 80
But I'll maybe live over 90
君のデニムの青が 褪せてゆくほど
味わい増すように
長い旅路の果てに 輝く何かが
誰にでもあるさ
I say it's sad to get weak
You say it's hard to get order
And they say that life has no meaning
But I still believe it's worth living
今から66年前の8月6日には広島に、
8月9日には長崎に原爆が投下されました。
多くの日本人が犠牲になりましたが、
被爆者には在日韓国人の方もいました。
その中の一人が郭福順(かくぽくすん)さんです。
郭さんは広島で被爆しました。
被爆後、髪が抜け、どす黒い異臭を放つ出血が
40日間も続いたそうです。
原爆症で一日として元気な日はなく、
後遺症に怯えながら過ごす毎日。
原爆スラムといわれた場所で
お好み焼き屋を開きますが、失敗…。
死ぬに死に切れず、生きるには辛すぎる…
そんな日々が続きました。
しかし、そんな中でも、彼女は結婚し
4人の子供をを産み育てます。
そして87年には、あることきっかけに、
40年以上拒否していた被爆体験を語る
平和運動を始めました。
彼女はこう語ります。
「 原爆を生き延びた私には、
戦争の悲惨さ、命の大切さを語る使命がある。
人を傷つければ、自分に消えない傷跡が残る。
平和と言っても、身の回りに優しさを広げることから
始まると思うんよ。
それを若い人に伝えたくて、
今も語り部をやっとるんよ。 」
約10年後の98年、郭さんは悪性の膀胱がんと
診断されました。
しかし、入退院を繰り返しながらも、
彼女は語ることをやまめせんでした。
「 今、皆さんがいる場所が平和なら、
家族や先生、仲間に感謝して、
自分を立派に育ててほしい。
もっと平和な世界になっていくけぇ。 」
がんと診断されて13年。
郭さん現在83歳。
今日も平和を語り続けています。
そして、今回の大震災についても
こう言っています。
「 大震災に遭った人も大変じゃけど、
立ち直って、いつか語れるように
なってほしい。 」と。
189曲目は 竹内まりや 「 人生の扉 」
春がまた来るたび ひとつ年を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば五十路を 越えた私がいる
信じられない速さで 時は過ぎ去ると
知ってしまったら
どんな小さなことも 覚えていたいと
心が言ったよ
I say it's fun to be 20
You say it's great to be 30
And they say it's lovely to be 40
But I feel it's nice to be 50
満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度 見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じる重さを
ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ
I say it's fine to be 60
You say it's alright to be 70
And they say it's still good to be 80
But I'll maybe live over 90
君のデニムの青が 褪せてゆくほど
味わい増すように
長い旅路の果てに 輝く何かが
誰にでもあるさ
I say it's sad to get weak
You say it's hard to get order
And they say that life has no meaning
But I still believe it's worth living
今日、夏の甲子園が始まりました。
その開会式には、“がんばろう日本”の
横断幕を持って入場する
高校球児の姿がありました。
彼らは、被災地の球児代表です。
その中の一人は南相馬市の小高工業の選手。
福島原発の警戒区域でもある同校の生徒は
1/3が転校し、残った生徒は5つの高校に
移動しています。
彼の自宅は津波で流されました。
震災で家族を失った部員もいました。
アパートで共同生活しながら、
練習に参加した部員もいました。
野球部全員が集まった練習はたった一度だけ。
それでも、それぞれの野球部員が
「 心を一つ 」にして練習に励みました。
そんな彼に母はこう言いました。
「 あきらめたら終わりだよ。
野球を続けなさい。 」
この母の言葉と、
父の遺影に後押しされ、
県大会で彼は4番打者として
大活躍したそうです。
小高工業は快進撃を続け、
堂々のベスト4まで勝ち上がりました。
あっと一歩で県大会での優勝は逃しましたが、
甲子園での開会式に臨んで
彼はこう言ったそうです。
「 共に戦った皆の想いを胸に
甲子園の土を踏みしめたい。 」と。
182曲目は FUNKY MONKEY BABYS 「 あとひとつ 」
あと一粒の涙で ひと言の勇気で
願いがかなう その時が来るって
僕は信じてるから 君もあきらめないでいて
何度でも この両手を あの空へ
あの日もこんな夏だった 砂まじりの風が吹いてた
グランドの真上の空 夕日がまぶしくて
どこまで頑張ればいいんだ ぎゅっと唇を噛みしめた
そんな時 同じ目をした 君に出会ったんだ
そう 簡単じゃないからこそ 夢はこんなに輝くんだと
そう あの日の君の言葉 今でも胸に抱きしめてるよ
あと一粒の涙で ひと言の勇気で 願いがかなう その時が来るって
僕は信じてるから 君もあきらめないでいて
何度でも この両手を あの空へ のばして あの空へ
いつもどうしても素直になれずに 自信なんてまるで持てずに
校舎の裏側 人目を気にして歩いてた
誰かとぶつかりあうことを 心のどこかで遠ざけた
それは本当の自分を 見せるのが怖いだけだったんだと
教えてくれたのは 君と過ごした今日までの日々
そう 初めて口に出来た 泣きたいくらいの本当の夢を
あとひとつの坂道を ひとつだけの夜を
越えられたなら 笑える日がくるって
今日も信じてるから 君もあきらめないでいて
何度でも この両手を あの空へ
あつくなっても無駄なんて言葉 聞き飽きたよ
もしもそうだとしても
抑えきれないこの気持ちを 希望と呼ぶなら
いったい 誰が止められると言うのだろう
あと一粒の涙が ひと言の勇気が
明日を変えるその時を見たんだ
なくしかけた光 君が思い出させてくれた
あの日の景色 忘れない
あと一粒の涙で ひと言の勇気で
願いがかなう その時が来るって
僕は信じてるから 君もあきらめないでいて
何度でも この両手を あの空へ のばして あの空へ
その開会式には、“がんばろう日本”の
横断幕を持って入場する
高校球児の姿がありました。
彼らは、被災地の球児代表です。
その中の一人は南相馬市の小高工業の選手。
福島原発の警戒区域でもある同校の生徒は
1/3が転校し、残った生徒は5つの高校に
移動しています。
彼の自宅は津波で流されました。
震災で家族を失った部員もいました。
アパートで共同生活しながら、
練習に参加した部員もいました。
野球部全員が集まった練習はたった一度だけ。
それでも、それぞれの野球部員が
「 心を一つ 」にして練習に励みました。
そんな彼に母はこう言いました。
「 あきらめたら終わりだよ。
野球を続けなさい。 」
この母の言葉と、
父の遺影に後押しされ、
県大会で彼は4番打者として
大活躍したそうです。
小高工業は快進撃を続け、
堂々のベスト4まで勝ち上がりました。
あっと一歩で県大会での優勝は逃しましたが、
甲子園での開会式に臨んで
彼はこう言ったそうです。
「 共に戦った皆の想いを胸に
甲子園の土を踏みしめたい。 」と。
182曲目は FUNKY MONKEY BABYS 「 あとひとつ 」
あと一粒の涙で ひと言の勇気で
願いがかなう その時が来るって
僕は信じてるから 君もあきらめないでいて
何度でも この両手を あの空へ
あの日もこんな夏だった 砂まじりの風が吹いてた
グランドの真上の空 夕日がまぶしくて
どこまで頑張ればいいんだ ぎゅっと唇を噛みしめた
そんな時 同じ目をした 君に出会ったんだ
そう 簡単じゃないからこそ 夢はこんなに輝くんだと
そう あの日の君の言葉 今でも胸に抱きしめてるよ
あと一粒の涙で ひと言の勇気で 願いがかなう その時が来るって
僕は信じてるから 君もあきらめないでいて
何度でも この両手を あの空へ のばして あの空へ
いつもどうしても素直になれずに 自信なんてまるで持てずに
校舎の裏側 人目を気にして歩いてた
誰かとぶつかりあうことを 心のどこかで遠ざけた
それは本当の自分を 見せるのが怖いだけだったんだと
教えてくれたのは 君と過ごした今日までの日々
そう 初めて口に出来た 泣きたいくらいの本当の夢を
あとひとつの坂道を ひとつだけの夜を
越えられたなら 笑える日がくるって
今日も信じてるから 君もあきらめないでいて
何度でも この両手を あの空へ
あつくなっても無駄なんて言葉 聞き飽きたよ
もしもそうだとしても
抑えきれないこの気持ちを 希望と呼ぶなら
いったい 誰が止められると言うのだろう
あと一粒の涙が ひと言の勇気が
明日を変えるその時を見たんだ
なくしかけた光 君が思い出させてくれた
あの日の景色 忘れない
あと一粒の涙で ひと言の勇気で
願いがかなう その時が来るって
僕は信じてるから 君もあきらめないでいて
何度でも この両手を あの空へ のばして あの空へ
「 ヒロシゲ・ブルー 」という
言葉があります。
欧米において“藍色”の美しさで評価が高い
歌川(安藤)広重(ヒロシゲ)の作品に
使われている“青色”をそう呼びます。
広重の作品は、ゴッホやモネなど
多くの画家や、芸術家に
大きな影響を与えたと言われています。
藍色の“藍”と言えば、藍染めの染料となる
タデ科の植物。
ちょうど今頃が収穫時期です。
“藍”という植物は、
過酷な梅雨の時期の雨を
吸収すればするほど、
そして真夏の厳しい太陽の光を
浴びれば浴びるほど
その葉は厚く、そして大きくなるそうです。
その“藍”の葉から生まれる“青色”。
何度も何度も染め直すことによって
“藍”の葉の色よりも
もっと鮮やかで濃い“青色”に
なります。
ここから生まれたのが
「 従藍而青(じゅうらんにしょう) 」
という言葉。
「 藍よりして而も青し 」と読む
この言葉は、人間関係のあり方としてよく使われます。
この言葉が意味するところは、
仕事など色々なことを教えて貰った恩人を、
一生懸命努力し、失敗しても何度も何度も挑戦し、
そして超えていくことが、
その人に対する、最高の恩返しに
なるということでしょうか。
又、勝手な解釈が許されるならば、
何度も何度も染めることによって
元の色を凌ぐ“青”になることから、
何度も何度も努力を重ねることによって
元の自分も凌ぐ“自分”にも
なれるんだ。
こんな意味も含まれているのではと思います。
大切なのは、“あきらめないこと”。
ちょっと弱気になった時には、
こんな歌もいいです。
EXILE の 「 Yell 」は
あきらめそうになる自分を
きっと応援してくれます。
勇気を出すこと 忘れかけていた
いつも分かっていても 一歩目が踏み出せない
繰り返してきた 同じような過ちは
二度としたくないから 今心に決める
とどかない思いさえも 何か変えると信じて
どうしても弱気になる 自分にエールを
僕らは この夢をきっと叶えてゆけるだろう
答えなら わかってるんだ 追いかけ続けると
新しい今日を始めよう 今しかないこの時
この夢が また一つ 今日もほら 僕を変えてゆく
あたりまえの事 見失っていた
いつも準備ができたらと 後まわしにしてた
いつになっても何にも 変わるはずがないのに
くだらない いいわけで逃げ続けていた
君なら その夢をずっと追いかけてゆけるだろう
答えなら わかってるんだ あきらめたくないと
どんなに小さなことでも がんばる君の姿が
僕たちに また一つ 今日もほら 希望をくれるよ
どこまでも続く この長い道は
どんなことがあってもずっと 君のもの
僕らは この夢をきっと叶えてゆけるだろう
答えなら わかってるんだ 追いかけ続けると
新しい今日を始めよう 今しかないこの時
この夢が また一つ 今日もほら 僕を変えてゆく
言葉があります。
欧米において“藍色”の美しさで評価が高い
歌川(安藤)広重(ヒロシゲ)の作品に
使われている“青色”をそう呼びます。
広重の作品は、ゴッホやモネなど
多くの画家や、芸術家に
大きな影響を与えたと言われています。
藍色の“藍”と言えば、藍染めの染料となる
タデ科の植物。
ちょうど今頃が収穫時期です。
“藍”という植物は、
過酷な梅雨の時期の雨を
吸収すればするほど、
そして真夏の厳しい太陽の光を
浴びれば浴びるほど
その葉は厚く、そして大きくなるそうです。
その“藍”の葉から生まれる“青色”。
何度も何度も染め直すことによって
“藍”の葉の色よりも
もっと鮮やかで濃い“青色”に
なります。
ここから生まれたのが
「 従藍而青(じゅうらんにしょう) 」
という言葉。
「 藍よりして而も青し 」と読む
この言葉は、人間関係のあり方としてよく使われます。
この言葉が意味するところは、
仕事など色々なことを教えて貰った恩人を、
一生懸命努力し、失敗しても何度も何度も挑戦し、
そして超えていくことが、
その人に対する、最高の恩返しに
なるということでしょうか。
又、勝手な解釈が許されるならば、
何度も何度も染めることによって
元の色を凌ぐ“青”になることから、
何度も何度も努力を重ねることによって
元の自分も凌ぐ“自分”にも
なれるんだ。
こんな意味も含まれているのではと思います。
大切なのは、“あきらめないこと”。
ちょっと弱気になった時には、
こんな歌もいいです。
EXILE の 「 Yell 」は
あきらめそうになる自分を
きっと応援してくれます。
勇気を出すこと 忘れかけていた
いつも分かっていても 一歩目が踏み出せない
繰り返してきた 同じような過ちは
二度としたくないから 今心に決める
とどかない思いさえも 何か変えると信じて
どうしても弱気になる 自分にエールを
僕らは この夢をきっと叶えてゆけるだろう
答えなら わかってるんだ 追いかけ続けると
新しい今日を始めよう 今しかないこの時
この夢が また一つ 今日もほら 僕を変えてゆく
あたりまえの事 見失っていた
いつも準備ができたらと 後まわしにしてた
いつになっても何にも 変わるはずがないのに
くだらない いいわけで逃げ続けていた
君なら その夢をずっと追いかけてゆけるだろう
答えなら わかってるんだ あきらめたくないと
どんなに小さなことでも がんばる君の姿が
僕たちに また一つ 今日もほら 希望をくれるよ
どこまでも続く この長い道は
どんなことがあってもずっと 君のもの
僕らは この夢をきっと叶えてゆけるだろう
答えなら わかってるんだ 追いかけ続けると
新しい今日を始めよう 今しかないこの時
この夢が また一つ 今日もほら 僕を変えてゆく
私の父は、“JAZZ”が好きです。
その影響?で娘も今吹奏楽部でサックスを
演奏しています。
JAZZという単語には、
「 威勢のいいこと, 元気, 活気, 熱狂 」
という意味もあるそうです。
顧問先にJAZZ喫茶があるのですが、
そこにポスターが貼ってあった
あるジャズピアニストは、
こんなことを言っています。
「 音楽には、何が起ころうと、
それを生かして、春のように
花を咲かせていく力があります。 」
「 音楽には、人生のあらゆる課題に
挑戦し、勇敢に、前に踏み出すよう、
人々を励ます力があります。 」と。
本当に、その通りだと思います。
「 幾千の言葉を重ねたところで、
文学は音楽にはかなわない。
優れた音楽は、疲れた知性に清涼感を与え、
そして悩める感情に慰めをもたらしてくれる。 」
これはイギリスの哲学者
ポール・ブラントンの言葉です。
180曲目は ウルフルズ 「 それが答えだ! 」
「あーなんて言うのかな、
この胸のモヤモヤは…
あまーい、にがーい
そしてグッとこみ上げる想い
くり返すこのエンドレスな日々に
フト頭をよぎるものは…」
それが答えだ! エンヤコラ明日へ大爆走
それが答えだ! 足並みは快調
エブリバディ、強引でも不安じゃねぇ
今は世界がぬるくて 流されそーです そーなんです
今宵も浮かれて やっちまいそーです そーなんです
バンと胸を張れ
そう、グッと足を出せ
どんな青いケツでも いーじゃない いざ行こう
あれでもない これでもない
人知れず 迷えど
おノリなさい はじまりはこれから
それが答えだ! ナンダコラ明日へ大爆走
それが答えだ! まちがいは愛嬌
エブリバディ、強引でも不安じゃねぇ
どこへ行くのか 誰かれ 忙しそーです そーなんです
ひとりじゃ 情熱も チョチョぎれそーです そーなんです
もっとドジをふめ
自分を好きになれ
げに しょーもないことも いーじゃない ドンとこい
来てくれない レスキュー隊
親知らず 悩めど
おヤリなさい 楽しみはこれから
うんと飯を喰え
ガハハと笑い飛ばせ
答えは風まかせ 人生は ステキー Oh, yeah!
そーです そーなんです まさに そのとーり
そーです
それが答えだ! まだまだ地球はまわる
それが答えだ! 燃えやがれ太陽
エブリバディ、ド派手に Find your way
それが答えだ! そーです そーなんです
それが答えだ! そーです そーなんです
それが答えだ! そーです そーなんです
それが答えだ!
エブリバディ、強引でも不安じゃねぇ
その影響?で娘も今吹奏楽部でサックスを
演奏しています。
JAZZという単語には、
「 威勢のいいこと, 元気, 活気, 熱狂 」
という意味もあるそうです。
顧問先にJAZZ喫茶があるのですが、
そこにポスターが貼ってあった
あるジャズピアニストは、
こんなことを言っています。
「 音楽には、何が起ころうと、
それを生かして、春のように
花を咲かせていく力があります。 」
「 音楽には、人生のあらゆる課題に
挑戦し、勇敢に、前に踏み出すよう、
人々を励ます力があります。 」と。
本当に、その通りだと思います。
「 幾千の言葉を重ねたところで、
文学は音楽にはかなわない。
優れた音楽は、疲れた知性に清涼感を与え、
そして悩める感情に慰めをもたらしてくれる。 」
これはイギリスの哲学者
ポール・ブラントンの言葉です。
180曲目は ウルフルズ 「 それが答えだ! 」
「あーなんて言うのかな、
この胸のモヤモヤは…
あまーい、にがーい
そしてグッとこみ上げる想い
くり返すこのエンドレスな日々に
フト頭をよぎるものは…」
それが答えだ! エンヤコラ明日へ大爆走
それが答えだ! 足並みは快調
エブリバディ、強引でも不安じゃねぇ
今は世界がぬるくて 流されそーです そーなんです
今宵も浮かれて やっちまいそーです そーなんです
バンと胸を張れ
そう、グッと足を出せ
どんな青いケツでも いーじゃない いざ行こう
あれでもない これでもない
人知れず 迷えど
おノリなさい はじまりはこれから
それが答えだ! ナンダコラ明日へ大爆走
それが答えだ! まちがいは愛嬌
エブリバディ、強引でも不安じゃねぇ
どこへ行くのか 誰かれ 忙しそーです そーなんです
ひとりじゃ 情熱も チョチョぎれそーです そーなんです
もっとドジをふめ
自分を好きになれ
げに しょーもないことも いーじゃない ドンとこい
来てくれない レスキュー隊
親知らず 悩めど
おヤリなさい 楽しみはこれから
うんと飯を喰え
ガハハと笑い飛ばせ
答えは風まかせ 人生は ステキー Oh, yeah!
そーです そーなんです まさに そのとーり
そーです
それが答えだ! まだまだ地球はまわる
それが答えだ! 燃えやがれ太陽
エブリバディ、ド派手に Find your way
それが答えだ! そーです そーなんです
それが答えだ! そーです そーなんです
それが答えだ! そーです そーなんです
それが答えだ!
エブリバディ、強引でも不安じゃねぇ
今日は 青年時代、
東北の仙台に留学した経験を持つ
中国の作家、そして革命家である
魯迅の話。
諸外国に蹂躙されていた中国へ
帰国した魯迅。
彼は、絶望感と無関心に支配された
母国を変革する為、ペンを執ります。
「 国民の精神を変えなければ、
不幸は無くならない! 」
との想いを胸に、140もの名前を使い、
政府による弾圧を潜り抜け、
国民を啓発し続けます。
魯迅の最大の武器は強靭な精神力。
“ねばり”こそ彼の真骨頂であり、
晩年、結核に侵されながらも
執筆し続けました。
その精神力で、病気をも克服し
アメリカ人医師をして
「 ヨーロッパ人なら、五年前に死んでいる 」
と言わしめるほどのものでした。
ある記事に、魯迅が青年に贈った言葉が
紹介されてました。
「 深林に出会ったら、
伐りひらいて
平地にすることができるし、
荒野に出会ったら、
樹木を植えることができるし、
砂漠に出会ったら、
井戸を掘ることができる。 」
これこそ魯迅の精神を表す言葉だと思います。
その記事には続けてこうありました。
「 どんな逆境も、無理だと諦めない限り
強い意志の力を持ち続ける限り
変えていける。 」と。
最後に魯迅の言葉をもう一つ。
「 路とは何か。
それは、路のなかったところへ
踏み作られたものだ。
荊棘(いばら)ばかりのところに
拓き作られたものだ。」
179曲目は DREAMS COME TRUE 「 OLA! VITORIA 」
※燃えよ 心のCHAMA 来れ VITORIA, ESPERANCA
吠えよ 心のまま 摑め VITORIA 今こそ※
△FORCA! VAMOS! FORCA! VAMOS! FORCA! VAMOS!
SEREI VENCEDOR DA MINHA VIDA!△
力抜いていこう いつもの通り
でも上げていこう! 夢見てた通り
勝利携えて微笑む 誇らし気な自分
想像だけじゃなく今日こそ 現実になれ
(※くり返し)
(△くり返し)
肩回して 腕をぶらぶらぁ BRAVURA! BRAVURA! BRAVURA!
燃え上がる目で 刺しておらおらぁっ! OLA! OLA! OLA!
勝利携えて微笑む 女神がいるのなら
絶対捕らえたい今日こそ 現実になれっ!
(※2回くり返し)
東北の仙台に留学した経験を持つ
中国の作家、そして革命家である
魯迅の話。
諸外国に蹂躙されていた中国へ
帰国した魯迅。
彼は、絶望感と無関心に支配された
母国を変革する為、ペンを執ります。
「 国民の精神を変えなければ、
不幸は無くならない! 」
との想いを胸に、140もの名前を使い、
政府による弾圧を潜り抜け、
国民を啓発し続けます。
魯迅の最大の武器は強靭な精神力。
“ねばり”こそ彼の真骨頂であり、
晩年、結核に侵されながらも
執筆し続けました。
その精神力で、病気をも克服し
アメリカ人医師をして
「 ヨーロッパ人なら、五年前に死んでいる 」
と言わしめるほどのものでした。
ある記事に、魯迅が青年に贈った言葉が
紹介されてました。
「 深林に出会ったら、
伐りひらいて
平地にすることができるし、
荒野に出会ったら、
樹木を植えることができるし、
砂漠に出会ったら、
井戸を掘ることができる。 」
これこそ魯迅の精神を表す言葉だと思います。
その記事には続けてこうありました。
「 どんな逆境も、無理だと諦めない限り
強い意志の力を持ち続ける限り
変えていける。 」と。
最後に魯迅の言葉をもう一つ。
「 路とは何か。
それは、路のなかったところへ
踏み作られたものだ。
荊棘(いばら)ばかりのところに
拓き作られたものだ。」
179曲目は DREAMS COME TRUE 「 OLA! VITORIA 」
※燃えよ 心のCHAMA 来れ VITORIA, ESPERANCA
吠えよ 心のまま 摑め VITORIA 今こそ※
△FORCA! VAMOS! FORCA! VAMOS! FORCA! VAMOS!
SEREI VENCEDOR DA MINHA VIDA!△
力抜いていこう いつもの通り
でも上げていこう! 夢見てた通り
勝利携えて微笑む 誇らし気な自分
想像だけじゃなく今日こそ 現実になれ
(※くり返し)
(△くり返し)
肩回して 腕をぶらぶらぁ BRAVURA! BRAVURA! BRAVURA!
燃え上がる目で 刺しておらおらぁっ! OLA! OLA! OLA!
勝利携えて微笑む 女神がいるのなら
絶対捕らえたい今日こそ 現実になれっ!
(※2回くり返し)
ロシアの国技でもある格闘技“サンボ”。
今日は、そのサンボにおける
日本人選手、千葉さんの話です。
彼が(前人未到の全日本選手権3連覇の
かかる)大切な試合に挑んだ時、
自分に言い聞かせたのは
「 この怖さは
自分にしか感じることができない
特権だ。 」
という言葉。
何かに向けて一生懸命頑張っている時、
その目標が高ければ高いほど、
そして困難であればあるほど、
苦しくなり、逃げたくなったりする
のは当然です。
でも、千葉さんのように
“怖さ”を“頑張っている人の特権”だと
自分に言い聞かせて
何かに挑んで行く事ができれば、
その時点で、すでにその人は、
自分自身に勝利している。
と言うことができるのでしょう。
千葉さんは、私鉄会社に勤め、2日に一度は
夜勤をこなしながらのトレーニング。
恵まれた環境ではない中での戦いは、
困難を極めたそうです。
しかし、彼は
「 限界まで戦うのは誰だってできる。
限界からの挑戦こそが、俺の使命。
だから相手じゃない。
自分に勝つことだけを考えた。」
と信じて戦い抜きました。
彼はその試合で見事勝利し、
3連覇を成し遂げたそうです。
古代ギリシャの哲学者プラトンは
こう言っています。
「 自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である。 」
178曲目は 平川地一丁目 「 夢見るジャンプ 」
「いつになれば僕は大きくなれるのかな」
芽を出した種が言う
空の上にもまだ空があると思ってた
大きな世界の真ん中で
一番になりたくて
今も、いつまでも
大きくなりたくて精一杯ジャンプする
あなたの姿とても輝いている
どんなに辛くても どんなに苦しくても
がんばるあなたこそが一番さ
ある日僕は 僕と同じくらい小さな
枯れた木と出会った
細い枝を空に向かってのばしてた
耳をすませば せせらぎが聞こえる
後ほんの少しでたどり着けそうだ
大きくなりたくて精一杯ジャンプする
あなたの姿とても輝いている
どんなに辛くても どんなに苦しくても
がんばるあなたこそが一番さ
大きくなりたくて精一杯背伸びする
あなたの姿とても輝いている
どんなに辛くても 小さな存在でも
がんばるあなたこそが一番さ
今日は、そのサンボにおける
日本人選手、千葉さんの話です。
彼が(前人未到の全日本選手権3連覇の
かかる)大切な試合に挑んだ時、
自分に言い聞かせたのは
「 この怖さは
自分にしか感じることができない
特権だ。 」
という言葉。
何かに向けて一生懸命頑張っている時、
その目標が高ければ高いほど、
そして困難であればあるほど、
苦しくなり、逃げたくなったりする
のは当然です。
でも、千葉さんのように
“怖さ”を“頑張っている人の特権”だと
自分に言い聞かせて
何かに挑んで行く事ができれば、
その時点で、すでにその人は、
自分自身に勝利している。
と言うことができるのでしょう。
千葉さんは、私鉄会社に勤め、2日に一度は
夜勤をこなしながらのトレーニング。
恵まれた環境ではない中での戦いは、
困難を極めたそうです。
しかし、彼は
「 限界まで戦うのは誰だってできる。
限界からの挑戦こそが、俺の使命。
だから相手じゃない。
自分に勝つことだけを考えた。」
と信じて戦い抜きました。
彼はその試合で見事勝利し、
3連覇を成し遂げたそうです。
古代ギリシャの哲学者プラトンは
こう言っています。
「 自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である。 」
178曲目は 平川地一丁目 「 夢見るジャンプ 」
「いつになれば僕は大きくなれるのかな」
芽を出した種が言う
空の上にもまだ空があると思ってた
大きな世界の真ん中で
一番になりたくて
今も、いつまでも
大きくなりたくて精一杯ジャンプする
あなたの姿とても輝いている
どんなに辛くても どんなに苦しくても
がんばるあなたこそが一番さ
ある日僕は 僕と同じくらい小さな
枯れた木と出会った
細い枝を空に向かってのばしてた
耳をすませば せせらぎが聞こえる
後ほんの少しでたどり着けそうだ
大きくなりたくて精一杯ジャンプする
あなたの姿とても輝いている
どんなに辛くても どんなに苦しくても
がんばるあなたこそが一番さ
大きくなりたくて精一杯背伸びする
あなたの姿とても輝いている
どんなに辛くても 小さな存在でも
がんばるあなたこそが一番さ
今日は、米紙ロサンゼルス・タイムズ誌の
“小学一年生”という記事を映画化した
「 おじいさんと草原の小学生 」の話。
物語の場所は、アフリカのケニア。
政府による無償化制度が始まった
小さな小学校でのこと。
そこにやってきた、84歳の老人が
この映画の主人公です。
彼は、今まで教育を受けたことが
ありませんでした。
何故なら彼は50年前から、ケニアの
独立戦争を戦ってきたから。
その戦争の中で、彼は愛する妻や子供、
仲間たちを目の前で虐殺され、
強制収容所で拷問にかけられるといった
悲惨な過去を経験していました。
でも、そんな過去に打ち勝つため、
そして未来を変えるために、
“学びたい、学び続けたい”という
彼の熱意が、やがて校長に伝わり
特別に入学が許可されます。
(なんと言っても84歳ですから。)
そして、彼のその熱意はさらに
歴史を知らない幼い級友たちや
政府までも動かしていくことになります…。
2004年には最高齢小学生としてギネスに認定。
2005年9月には国連のサミットに出席し、
初等教育無料化の重要性を訴える
スピーチも行っています。
彼は2009年に、90歳で息を引き取る瞬間まで、
“獣医になる”という夢や
“誰もが教育を受けられる世界”が訪れることを願い、
勉強を続けたそうです。
この映画を通して、一番伝えたかったこと、それは
「 彼の、どんな時も
覚悟と決意をもって
行動する姿、行き方です。
過去に囚われなくてもいい。
過去は乗り越えられる。
いくつになっても自分、そして
運命は変えられるんだ。」ということ。
こう、監督は言っています。
私が読んだ記事は、こう締めくくっていました。
「 マルゲ氏の波瀾万丈の物語は、
学ぶことの喜び、
そして最後まで夢をあきらめない
不屈の精神の尊さを
国や世代を超えて、
あらゆる人々に教えてくれる
人生の教科書となるに違いない。 」
177曲目は 武内千佳or橋本夏果「 夢は終わらない 」
この歌、CDになってない、ただのCMソングです。
かばんに詰めた溢れる夢を
君は誰にも伝えられない
泣きたいくらい冷たい空が
見上げるほど遠くに見える
たったひとつの君の世界
誰よりも特別な明日がきっとあるから
※いつまでも いつまでも 夢を追いかけ
壊れそうな時もあきらめたりしないで
何処までも 何処までも 果てしない空
信じている限り夢は終わらない
ポケットいっぱい夢を集めて
地図を持たずに飛び出してみよう
まぶしいほど輝く瞳
君だけの大切な何かを知っているから
いつまでも いつまでも 夢に向かって
挫けそうな時も走るのを止めないで
限りない 限りない 君の世界を
その手に掴むまで夢は終わらない
※繰り返し
“小学一年生”という記事を映画化した
「 おじいさんと草原の小学生 」の話。
物語の場所は、アフリカのケニア。
政府による無償化制度が始まった
小さな小学校でのこと。
そこにやってきた、84歳の老人が
この映画の主人公です。
彼は、今まで教育を受けたことが
ありませんでした。
何故なら彼は50年前から、ケニアの
独立戦争を戦ってきたから。
その戦争の中で、彼は愛する妻や子供、
仲間たちを目の前で虐殺され、
強制収容所で拷問にかけられるといった
悲惨な過去を経験していました。
でも、そんな過去に打ち勝つため、
そして未来を変えるために、
“学びたい、学び続けたい”という
彼の熱意が、やがて校長に伝わり
特別に入学が許可されます。
(なんと言っても84歳ですから。)
そして、彼のその熱意はさらに
歴史を知らない幼い級友たちや
政府までも動かしていくことになります…。
2004年には最高齢小学生としてギネスに認定。
2005年9月には国連のサミットに出席し、
初等教育無料化の重要性を訴える
スピーチも行っています。
彼は2009年に、90歳で息を引き取る瞬間まで、
“獣医になる”という夢や
“誰もが教育を受けられる世界”が訪れることを願い、
勉強を続けたそうです。
この映画を通して、一番伝えたかったこと、それは
「 彼の、どんな時も
覚悟と決意をもって
行動する姿、行き方です。
過去に囚われなくてもいい。
過去は乗り越えられる。
いくつになっても自分、そして
運命は変えられるんだ。」ということ。
こう、監督は言っています。
私が読んだ記事は、こう締めくくっていました。
「 マルゲ氏の波瀾万丈の物語は、
学ぶことの喜び、
そして最後まで夢をあきらめない
不屈の精神の尊さを
国や世代を超えて、
あらゆる人々に教えてくれる
人生の教科書となるに違いない。 」
177曲目は 武内千佳or橋本夏果「 夢は終わらない 」
この歌、CDになってない、ただのCMソングです。
かばんに詰めた溢れる夢を
君は誰にも伝えられない
泣きたいくらい冷たい空が
見上げるほど遠くに見える
たったひとつの君の世界
誰よりも特別な明日がきっとあるから
※いつまでも いつまでも 夢を追いかけ
壊れそうな時もあきらめたりしないで
何処までも 何処までも 果てしない空
信じている限り夢は終わらない
ポケットいっぱい夢を集めて
地図を持たずに飛び出してみよう
まぶしいほど輝く瞳
君だけの大切な何かを知っているから
いつまでも いつまでも 夢に向かって
挫けそうな時も走るのを止めないで
限りない 限りない 君の世界を
その手に掴むまで夢は終わらない
※繰り返し
今週、ほとんどブログを更新しませんでした。
実は、私と長年一緒に仕事をしてきた
先輩が退職することになりまして、
色々と所内で問題が発生しています。(T▽T;)
あまり詳しいことは書けませんが、
ちょっと精神的に参っている状況です。
「 元気が出るブロク 」を書いている人間が
元気がないのでは、まさしく本末転倒なので、
少なくとも自分自身に“負けない”よう、
何とか頑張って行きたいと思ってます…。
その私の事務所の話ですが、
残念ながら今では自分の理想と
するものとは、かけ離れたものに
なってしまってます。
でも、考えてみれば
理想通りの職場など現実的には
ほとんど存在しないでしょう。
又、震災など様々な理由で
職場自体がなくなってしまった人も
大勢います。
働ける仕事場があるだけ、
幸せなのかもしれません。
そして、もっと重要なことは、
「 自分自身で今の職場を
変えていけるよう
努力し続けることである。」ということも
分かっているつもりです。
しかし、現実の壁は厚く、高く、
跳ね返されては落ち込む日の連続です。
少し前の話ですが、高校野球の宮城県大会
での開会式で、自宅を津波で失った選手が
こんな事を言ってます。
「 いつまでも下を向いていては
何もかわりません。
勇気や感動を与えられるよう、
全力プレーで正々堂々
戦います。 」 と。
自宅を失った高校生が、他の人に勇気や
感動を与えたいと頑張っているのは、
本当にすごいことだと思います。
同じ東北出身の詩人、石川啄木の信条は
「 ただまさに、獅子の勇あるのみ 」
という言葉。
この二人のように
“絶対に負けない”という気持ちで、
明日からも頑張っていきたいです。
176曲目は TOKIO 「 自分のために 」
走れ!走れ!明日のために!
進め!進め!自分のために!
繰り返して行く 変わりばえのない毎日
もどれない日々を 少しばかり後悔して
目の前を遮るカベは
自分の力で超えてゆけ
終わらない詩を唄おう
どんなに辛くとも
走れ!走れ!明日のために!
進め!進め!自分のために!
作り笑いとか 傷つかないズルさとか
大人と少年を 朝と夜に使い分けて
飾らない言葉はいつも
自分のココロを映すから
果てしない夢を描こう
たとえ険しくとも
走れ!走れ!明日のために!
進め!進め!自分のために!
夢やぶれた?胸イタめた?
それでも立ち上がれ
振り返るな!ごまかすな!
生まれた意味を探すんだ
目の前を遮るカベは
自分の力で超えてゆけ
終わらない詩を唄おう
どんなに辛くとも
飾らない言葉はいつも
自分のココロを映すから
果てしない夢を描こう
たとえ険しくとも
届け!届け!はるかな空へ!
響け!響け!未来のために!
走れ!走れ!明日のために!
進め!進め!自分のために!
実は、私と長年一緒に仕事をしてきた
先輩が退職することになりまして、
色々と所内で問題が発生しています。(T▽T;)
あまり詳しいことは書けませんが、
ちょっと精神的に参っている状況です。

「 元気が出るブロク 」を書いている人間が
元気がないのでは、まさしく本末転倒なので、
少なくとも自分自身に“負けない”よう、
何とか頑張って行きたいと思ってます…。
その私の事務所の話ですが、
残念ながら今では自分の理想と
するものとは、かけ離れたものに
なってしまってます。
でも、考えてみれば
理想通りの職場など現実的には
ほとんど存在しないでしょう。
又、震災など様々な理由で
職場自体がなくなってしまった人も
大勢います。
働ける仕事場があるだけ、
幸せなのかもしれません。
そして、もっと重要なことは、
「 自分自身で今の職場を
変えていけるよう
努力し続けることである。」ということも
分かっているつもりです。
しかし、現実の壁は厚く、高く、
跳ね返されては落ち込む日の連続です。
少し前の話ですが、高校野球の宮城県大会
での開会式で、自宅を津波で失った選手が
こんな事を言ってます。
「 いつまでも下を向いていては
何もかわりません。
勇気や感動を与えられるよう、
全力プレーで正々堂々
戦います。 」 と。
自宅を失った高校生が、他の人に勇気や
感動を与えたいと頑張っているのは、
本当にすごいことだと思います。
同じ東北出身の詩人、石川啄木の信条は
「 ただまさに、獅子の勇あるのみ 」
という言葉。
この二人のように
“絶対に負けない”という気持ちで、
明日からも頑張っていきたいです。
176曲目は TOKIO 「 自分のために 」
走れ!走れ!明日のために!
進め!進め!自分のために!
繰り返して行く 変わりばえのない毎日
もどれない日々を 少しばかり後悔して
目の前を遮るカベは
自分の力で超えてゆけ
終わらない詩を唄おう
どんなに辛くとも
走れ!走れ!明日のために!
進め!進め!自分のために!
作り笑いとか 傷つかないズルさとか
大人と少年を 朝と夜に使い分けて
飾らない言葉はいつも
自分のココロを映すから
果てしない夢を描こう
たとえ険しくとも
走れ!走れ!明日のために!
進め!進め!自分のために!
夢やぶれた?胸イタめた?
それでも立ち上がれ
振り返るな!ごまかすな!
生まれた意味を探すんだ
目の前を遮るカベは
自分の力で超えてゆけ
終わらない詩を唄おう
どんなに辛くとも
飾らない言葉はいつも
自分のココロを映すから
果てしない夢を描こう
たとえ険しくとも
届け!届け!はるかな空へ!
響け!響け!未来のために!
走れ!走れ!明日のために!
進め!進め!自分のために!
