Willkommen zu meinem blog.
Ich führe Leben in meinem Deutschland ein.
Ich versuche sowohl die Liebe als auch die Arbeit schwer.
4年ぶりのup ♡♡
このblogを始めたきっかけの元気くん🙌🏼
結婚するそうです!!!🙌🏼🙌🏼
おめでたい!!!
彼は今年32歳かな?𓀃
出会ったのは19歳だったなー。。ww
久しぶりに彼の今を知って
振り返ってしまったこのblog!!!
なにこれ!恥ずかしい!!!
でもこの青春も私には素敵な思い出と美化しよう!!!www
元気くん
おめでとうございます!!!
このblogとか見てるはずないけどww
幸せになって欲しいな
ちょこちょこまたblog書こうかな。
ドイツ歴も10年目に突入したよ。
https://profile.ameba.jp/me?device_id=e5ecc80a787c414997e6eb95cffc4146
病院。
病院。
大きな病院に週に3回…
毎回毎回針を刺される。
今日から抗がん剤治療…
とても辛いと思ってた。
長い長いと思ってた。
でも、抗がん剤治療のためいつもと違う病棟へ。
私ばっかりなんて思ってた。
違ったよね。まじで。
同じ抗がん剤なんだろうと思う患者さんも沢山居たけど。
私とはレベルがちがう。
でもそれと同時に抗がん剤の怖さも目の当たりにした。
入院してた階と1階しか違わないのに
重病度合いが違いすぎる。
怖くもなったけど。
悲しんでばっかりいるのはやめようとおもった。
私ばっかりなんて、思えないよね。
とりあえずがんばろう。
大きな病院に週に3回…
毎回毎回針を刺される。
今日から抗がん剤治療…
とても辛いと思ってた。
長い長いと思ってた。
でも、抗がん剤治療のためいつもと違う病棟へ。
私ばっかりなんて思ってた。
違ったよね。まじで。
同じ抗がん剤なんだろうと思う患者さんも沢山居たけど。
私とはレベルがちがう。
でもそれと同時に抗がん剤の怖さも目の当たりにした。
入院してた階と1階しか違わないのに
重病度合いが違いすぎる。
怖くもなったけど。
悲しんでばっかりいるのはやめようとおもった。
私ばっかりなんて、思えないよね。
とりあえずがんばろう。
facebookでのもと彼。
いやーーー毎回思うけど
彼女が出来るたびに友達から切られてるなwww
あいつなんやねんwww
どうでもいいんやけど。。。
なんかむかつくww
元気くんwww
なんなんやろか。。。。
モトカノっていう位置いらんねんけど。。。。
共通の友達も多いから普通にしてたらいいのに。。。
いや。。。。
わかる気もする。。
彼のいいとこなんやろなーーーと。
思いたいwww
幸せになってくれたらいいなと思ってるよ。
facebookって微妙。
こーゆうのあると無駄に少しだけ凹む。
無駄にwww
さぁ無駄に発見してもたし。
無駄に凹んでも仕方ないし映画でもみよう。
彼女が出来るたびに友達から切られてるなwww
あいつなんやねんwww
どうでもいいんやけど。。。
なんかむかつくww
元気くんwww
なんなんやろか。。。。
モトカノっていう位置いらんねんけど。。。。
共通の友達も多いから普通にしてたらいいのに。。。
いや。。。。
わかる気もする。。
彼のいいとこなんやろなーーーと。
思いたいwww
幸せになってくれたらいいなと思ってるよ。
facebookって微妙。
こーゆうのあると無駄に少しだけ凹む。
無駄にwww
さぁ無駄に発見してもたし。
無駄に凹んでも仕方ないし映画でもみよう。
ドイツにも春。
春のお祭りが始まる。
オクトーバーフェストと同じ場所で。
春は好きだ。
自分の誕生日もあるし。
いつから自分の誕生日が嬉しくなくなったんだろう。。
現在に満足している人間はきっとそんなこと思わないだろう。
今月は1日程度しか仕事をしていない。
かといって何かをしているわけでもない。
ならなきゃいけない事は沢山あるのに。
こうして4月が終わって行くんだろう。
来週こそはいろいろ動こう。
学校にも登録しなくちゃ。
ビザも取りに行かなくちゃ。
ドイツ語手紙も友人に読んでもらわないと。
旦那さんは頼りにならない。
はぁ。
日本に帰りたいな。
友達もいるしなにより日本はとても楽しい。
私はいつまでここに居なくちゃいけないんだろう。
来月でまる5年。
私は今でも日本に帰りたいって気持ちを持ち続けている。
このまま私は何をしながらドイツで生きていくんだろう。
オクトーバーフェストと同じ場所で。
春は好きだ。
自分の誕生日もあるし。
いつから自分の誕生日が嬉しくなくなったんだろう。。
現在に満足している人間はきっとそんなこと思わないだろう。
今月は1日程度しか仕事をしていない。
かといって何かをしているわけでもない。
ならなきゃいけない事は沢山あるのに。
こうして4月が終わって行くんだろう。
来週こそはいろいろ動こう。
学校にも登録しなくちゃ。
ビザも取りに行かなくちゃ。
ドイツ語手紙も友人に読んでもらわないと。
旦那さんは頼りにならない。
はぁ。
日本に帰りたいな。
友達もいるしなにより日本はとても楽しい。
私はいつまでここに居なくちゃいけないんだろう。
来月でまる5年。
私は今でも日本に帰りたいって気持ちを持ち続けている。
このまま私は何をしながらドイツで生きていくんだろう。
ドイツでの入院。
2015年4月の初めの週・・・
イースター前日。妊娠検査薬が陽性反応。
震えた。。
うれしくて何度も確認。
イースターなので翌日からはどこも閉店。
もう一度検査薬で試したかったので少し離れた大きな駅まで朝いち行き再度購入。。。
陽性。
嬉しかった。
イースター明けの火曜日産婦人科にいく。
インターネットで予約を取った。レビューのいい近くの産婦人科。
7週ですね。と先生。
ドイツと日本では数え方が一週違うので理解。
しかし。。。
胎のう発見できず。。。
排卵日がずれているとかもと言われ血液検査。。
明日には電話するとのこと。
連絡なし。
レビューはいい加減だ。さすがドイツ。
木曜日まだ電話来ず。
職場にも休む報告をしたいので聞きに行くことにした。
予約がないからと触診はなし。。
このときに発見できてたらあの痛みはなかったのかも知れない。
血液検査ではまだ反応が薄いから2週間後に予約を取った。
妊娠はしている。。。
まぁその言葉だけで嬉しかった。
でも不安はあった。
子宮外妊娠。。。
インターネットで調べまくった。
全体の0,5パーセントから2パーセントほど。
安心していた。
金曜日一週間ぶりに仕事。
なんともなかった。
土曜日同じように出勤。
30分ほどして立てなくなった。
すぐに痛みがひくかと思いきや10分15分と全く痛みが引かない。
冷汗。
涙が止まらない。
だめだと思い友人に連絡。
ドイツの救急車は高いとイメージがあったので同僚にタクシーをよんでもらう。
タクシーまでの距離がつらかった。
息を吐きながらゆっくり足を前に出すが痛みで涙が止まらない。
あぁ。。。だめかもな。
タクシーで大きな病院に救急で運ばれた。
ちゃんとタクシーの運転手にチップを渡すことを忘れてはいなかった。
さすが私。
待ち構えてくれていたMさん。
ここはMさんが娘さんを出産した病院でもあるので安心した。
車いすで受けつけに。
それから婦人科に。
イースター休暇中で職員が少ない。
だいぶ待って少し話をしたら尿検査が必要と言われた。
これが今回で2番目にしんどかった。
出そうとすると痛みで子宮がおかしくなるかと思った。
20分以上は格闘。
その時に初めての出血。。。
また泣いた。
そうこうしてたら友人が到着。。。
さっきの尿を出したことつかえていた何かが取れたようにだいぶ腹痛が無くなった。
3人で談話。
人前では泣きたくなかったので明るく振る舞った。
また尿検査。
今回はだ楽だった。
Mさんは家に幼い子供2人居たのでお礼を沢山いって帰宅してもらった。
本当にMさんには感謝している。
頼りがいが半端なかった。
まるで母のようだった。。
42歳の方にそういうのは失礼だけど本当に安心した。
若いきれいな女医さんが検査してくれた。
血液検査もしていたのでその結果聞いてくるとだいぶ長い時間診療台で放置された。
そしたらまたきれいな少し年齢が高い女医さん登場。
痛かった。
本当に痛くて。
あった。ここだ。
おおきい。
ドイツ語の会話を必死に聞いた。
電話し始めた。
手術室の用意の電話。
聞き取れた。
左卵管に大きくなって破裂寸前の妊娠部分が確認された。
すぐさま今日何を食べたか聞かれた。
さっき小さいラスクを食べただけと答えると
よし今日手術するから今から飲み物も食べ物もなしねと言われた。
あったゆうまに私の手術が決まった。
なぜか私は冷静で今日中に帰れるとさえ思っていた。
病室に案内された。3人部屋。
きれいだ。
タブレットがベットに備えつけられている。
入口より一番と多い端が私のベット。
若い女性と年配の方との相部屋だ。
若い女性はそうこうしているうちに退院していった。
二人ともとても気さくでいい人たちだった。
全身麻酔での手術で子宮外妊娠の説明。
ドイツ語だったがわかりやすくさっきの若い女医さんが説明してくれた。
そこで月曜まで入院と聞かされた。
え。
なぜその日に帰れると思っていたんだろうか。
5時間ほど待機して午後6時前にベットのまま運ばれた。
そこでも30分ほど待機。
また手術についての説明や既往歴などについて聞かれた。
全身麻酔は右手の甲から針を刺された。
1度目は失敗。
痛かった。
2度目は成功痛みはあまりなかった。
起きてください。目を開けて。
ドイツ語で間違った苗字を呼ばれて目が覚めた。
ドイツ人は私の苗字が発音できない。
喉が痛くてカラカラで水がほしいと頼んだがだめだと言われた。
寒くて寒くて友人にたのんでもう1枚布団を持ってきてもらった。
その日のことはそのあたりの記憶で終わった。
でも2時間おきに血圧やら注射やらなんやら
全く眠れなった。
ふとももにする筋肉注射は大嫌いだ。
尿管もついてて気持ち悪いで腹からでている管が怖くて気持ち悪かった。
朝旦那さんが8時には病院に来てくれた。
一緒に運ばれたあさごはんを食べた。
いろんな種類のパンにバターやジャムや果物ヨーグルト、ハムにチーズ
思ってたより豪華でびっくりした。
昼ごはんなんてもっと豪華だ。
普通のドイツ料理がでた。
しかも朝も昼も夜もメニュー表があって選べるのだ。
素晴らしいね。
しかし子宮は痛い。
動けないしベットを起こして水を飲むのも一苦労だ。
喉もまだ痛い。
くしゃみや咳なんかはもう本当に勘弁だ。
2日目もMさんも友人もお見舞いに来てくれた。
ありがたい。
尿管が抜かれるときは痛かったし気持ち悪かった。
看護婦さんによって痛み止めが違うからタブレットがいいと言っても点滴してくる看護婦さんがいて手の甲が痛かった。
なにより身体の何に針や管が入ったままというのがいやだった。
尿感が取れてからすぐに歩かされた。
結構強めの看護婦さんで旦那が切れて言い合いになった。
たのむ。
痛むからふたりともやめてくれ。
声もでないので手でアピールした。
体をふかれしかもとれも雑。。。。
歯磨きしてまたベットに。
着替えをするときに入院着にたくさん私の血が付いていた。
寝たきりだ。
旦那さんの無神経な発言にたびたびキレながら2日目終了。
3日目も旦那さんは早起きしてきてくれた。
学生たちに質問されてくれないかと言われた。
すぐに手術してくれたり看護婦さんがいい人達だったしごはんもおいしかったので断る理由もないので引き受けた。
10代のお医者さんの卵は必死に質問してきたのでなんでも答えた。
朝ごはんも食べておなかの管のドレープを抜く時がきた。
インターネットでたくさん調べたけど怖かった。
さぁ・・・
痛いというか内臓が外にひっぱられる感じ。
いや痛い。
涙があふれて呼吸が荒くなって15センチほどの管をうっくり時間をかけて抜いた。
仲良くなった同室のおばちゃんが
心配して近くに来てくれた。
看護婦さんにちゃっとやってあげてよ!
と声をかけた。
あなたのときと場所も長さも違うの。
と言われてた。でもおばちゃんありがとう。
この入院で一番大変だった。
ドレーン抜くなんて事はもう一生したくない。
筋肉注射なんてなんともない。
痛がっていたら看護婦さんがまた手の甲から痛み止めを入れ始めた。
腕がパンパンに張れるイメージで痛くなって腕を押えて旦那にイタイイタイと訴えてた。
飛んで病室からでた旦那は先生を呼んできた。
すぐに外してもらってタブレットを飲んだ。
これで身体に残った異物は縫った糸だけだ。
これも早く取りたかったが2週間後と言われた。
最後の血液検査も以上がなく数値も落ち着いてきたため退院した。
おばさんも同じ日に退院が決まった二人で喜んだ。
ただ歩くのも痛い。
帰り際にまた旦那の無神経発言に怒りがこみ上げた。
男は。。。とよく言うがこうゆう痛みとは本当にわからないんだろうなと思った。
まさか家の逆方向の少し遠いイタリアンに行こうといわれ無言になった。
返す言葉もでない。
あほかこいつは。
今回何度思っただろう。
まぁでもやさしい人ではあるので許してやろう。
帰って今も軽い買い物以外が外には出ない。
ようやく春がきて暖かく天気もいいのにひきこもりだ。
抜糸も来週だし仕事もできない。
今回駄目になった妊娠のことを考えると涙が止まらなくなるので
今は身体を回復させることをがんばろう。
さぁ。
また一からスタートだ。
忘れたくなかったのでここに残そう。
イースター前日。妊娠検査薬が陽性反応。
震えた。。
うれしくて何度も確認。
イースターなので翌日からはどこも閉店。
もう一度検査薬で試したかったので少し離れた大きな駅まで朝いち行き再度購入。。。
陽性。
嬉しかった。
イースター明けの火曜日産婦人科にいく。
インターネットで予約を取った。レビューのいい近くの産婦人科。
7週ですね。と先生。
ドイツと日本では数え方が一週違うので理解。
しかし。。。
胎のう発見できず。。。
排卵日がずれているとかもと言われ血液検査。。
明日には電話するとのこと。
連絡なし。
レビューはいい加減だ。さすがドイツ。
木曜日まだ電話来ず。
職場にも休む報告をしたいので聞きに行くことにした。
予約がないからと触診はなし。。
このときに発見できてたらあの痛みはなかったのかも知れない。
血液検査ではまだ反応が薄いから2週間後に予約を取った。
妊娠はしている。。。
まぁその言葉だけで嬉しかった。
でも不安はあった。
子宮外妊娠。。。
インターネットで調べまくった。
全体の0,5パーセントから2パーセントほど。
安心していた。
金曜日一週間ぶりに仕事。
なんともなかった。
土曜日同じように出勤。
30分ほどして立てなくなった。
すぐに痛みがひくかと思いきや10分15分と全く痛みが引かない。
冷汗。
涙が止まらない。
だめだと思い友人に連絡。
ドイツの救急車は高いとイメージがあったので同僚にタクシーをよんでもらう。
タクシーまでの距離がつらかった。
息を吐きながらゆっくり足を前に出すが痛みで涙が止まらない。
あぁ。。。だめかもな。
タクシーで大きな病院に救急で運ばれた。
ちゃんとタクシーの運転手にチップを渡すことを忘れてはいなかった。
さすが私。
待ち構えてくれていたMさん。
ここはMさんが娘さんを出産した病院でもあるので安心した。
車いすで受けつけに。
それから婦人科に。
イースター休暇中で職員が少ない。
だいぶ待って少し話をしたら尿検査が必要と言われた。
これが今回で2番目にしんどかった。
出そうとすると痛みで子宮がおかしくなるかと思った。
20分以上は格闘。
その時に初めての出血。。。
また泣いた。
そうこうしてたら友人が到着。。。
さっきの尿を出したことつかえていた何かが取れたようにだいぶ腹痛が無くなった。
3人で談話。
人前では泣きたくなかったので明るく振る舞った。
また尿検査。
今回はだ楽だった。
Mさんは家に幼い子供2人居たのでお礼を沢山いって帰宅してもらった。
本当にMさんには感謝している。
頼りがいが半端なかった。
まるで母のようだった。。
42歳の方にそういうのは失礼だけど本当に安心した。
若いきれいな女医さんが検査してくれた。
血液検査もしていたのでその結果聞いてくるとだいぶ長い時間診療台で放置された。
そしたらまたきれいな少し年齢が高い女医さん登場。
痛かった。
本当に痛くて。
あった。ここだ。
おおきい。
ドイツ語の会話を必死に聞いた。
電話し始めた。
手術室の用意の電話。
聞き取れた。
左卵管に大きくなって破裂寸前の妊娠部分が確認された。
すぐさま今日何を食べたか聞かれた。
さっき小さいラスクを食べただけと答えると
よし今日手術するから今から飲み物も食べ物もなしねと言われた。
あったゆうまに私の手術が決まった。
なぜか私は冷静で今日中に帰れるとさえ思っていた。
病室に案内された。3人部屋。
きれいだ。
タブレットがベットに備えつけられている。
入口より一番と多い端が私のベット。
若い女性と年配の方との相部屋だ。
若い女性はそうこうしているうちに退院していった。
二人ともとても気さくでいい人たちだった。
全身麻酔での手術で子宮外妊娠の説明。
ドイツ語だったがわかりやすくさっきの若い女医さんが説明してくれた。
そこで月曜まで入院と聞かされた。
え。
なぜその日に帰れると思っていたんだろうか。
5時間ほど待機して午後6時前にベットのまま運ばれた。
そこでも30分ほど待機。
また手術についての説明や既往歴などについて聞かれた。
全身麻酔は右手の甲から針を刺された。
1度目は失敗。
痛かった。
2度目は成功痛みはあまりなかった。
起きてください。目を開けて。
ドイツ語で間違った苗字を呼ばれて目が覚めた。
ドイツ人は私の苗字が発音できない。
喉が痛くてカラカラで水がほしいと頼んだがだめだと言われた。
寒くて寒くて友人にたのんでもう1枚布団を持ってきてもらった。
その日のことはそのあたりの記憶で終わった。
でも2時間おきに血圧やら注射やらなんやら
全く眠れなった。
ふとももにする筋肉注射は大嫌いだ。
尿管もついてて気持ち悪いで腹からでている管が怖くて気持ち悪かった。
朝旦那さんが8時には病院に来てくれた。
一緒に運ばれたあさごはんを食べた。
いろんな種類のパンにバターやジャムや果物ヨーグルト、ハムにチーズ
思ってたより豪華でびっくりした。
昼ごはんなんてもっと豪華だ。
普通のドイツ料理がでた。
しかも朝も昼も夜もメニュー表があって選べるのだ。
素晴らしいね。
しかし子宮は痛い。
動けないしベットを起こして水を飲むのも一苦労だ。
喉もまだ痛い。
くしゃみや咳なんかはもう本当に勘弁だ。
2日目もMさんも友人もお見舞いに来てくれた。
ありがたい。
尿管が抜かれるときは痛かったし気持ち悪かった。
看護婦さんによって痛み止めが違うからタブレットがいいと言っても点滴してくる看護婦さんがいて手の甲が痛かった。
なにより身体の何に針や管が入ったままというのがいやだった。
尿感が取れてからすぐに歩かされた。
結構強めの看護婦さんで旦那が切れて言い合いになった。
たのむ。
痛むからふたりともやめてくれ。
声もでないので手でアピールした。
体をふかれしかもとれも雑。。。。
歯磨きしてまたベットに。
着替えをするときに入院着にたくさん私の血が付いていた。
寝たきりだ。
旦那さんの無神経な発言にたびたびキレながら2日目終了。
3日目も旦那さんは早起きしてきてくれた。
学生たちに質問されてくれないかと言われた。
すぐに手術してくれたり看護婦さんがいい人達だったしごはんもおいしかったので断る理由もないので引き受けた。
10代のお医者さんの卵は必死に質問してきたのでなんでも答えた。
朝ごはんも食べておなかの管のドレープを抜く時がきた。
インターネットでたくさん調べたけど怖かった。
さぁ・・・
痛いというか内臓が外にひっぱられる感じ。
いや痛い。
涙があふれて呼吸が荒くなって15センチほどの管をうっくり時間をかけて抜いた。
仲良くなった同室のおばちゃんが
心配して近くに来てくれた。
看護婦さんにちゃっとやってあげてよ!
と声をかけた。
あなたのときと場所も長さも違うの。
と言われてた。でもおばちゃんありがとう。
この入院で一番大変だった。
ドレーン抜くなんて事はもう一生したくない。
筋肉注射なんてなんともない。
痛がっていたら看護婦さんがまた手の甲から痛み止めを入れ始めた。
腕がパンパンに張れるイメージで痛くなって腕を押えて旦那にイタイイタイと訴えてた。
飛んで病室からでた旦那は先生を呼んできた。
すぐに外してもらってタブレットを飲んだ。
これで身体に残った異物は縫った糸だけだ。
これも早く取りたかったが2週間後と言われた。
最後の血液検査も以上がなく数値も落ち着いてきたため退院した。
おばさんも同じ日に退院が決まった二人で喜んだ。
ただ歩くのも痛い。
帰り際にまた旦那の無神経発言に怒りがこみ上げた。
男は。。。とよく言うがこうゆう痛みとは本当にわからないんだろうなと思った。
まさか家の逆方向の少し遠いイタリアンに行こうといわれ無言になった。
返す言葉もでない。
あほかこいつは。
今回何度思っただろう。
まぁでもやさしい人ではあるので許してやろう。
帰って今も軽い買い物以外が外には出ない。
ようやく春がきて暖かく天気もいいのにひきこもりだ。
抜糸も来週だし仕事もできない。
今回駄目になった妊娠のことを考えると涙が止まらなくなるので
今は身体を回復させることをがんばろう。
さぁ。
また一からスタートだ。
忘れたくなかったのでここに残そう。





