帰宅してからたった10日で…⑪ | ここから青空

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27日

 

朝7時に 私が義姉に送ったメール

 

“本日はどうぞよろしくお願いいたします

お忙しい中に、来ていただけるのが本当にありがたく心強いです

 

昨日午後の面会での夫さんは落ち着いていました

微熱はありましたが、月曜日に面会したときよりもずっと表情は明るく、

先生の「月単位」も脅かされただけなんでは?と思うほどでした

 

夫さんの感情は乱高下が激しく、それに100%対応しようとすると

私もネガティブ思考になるので、長期戦見据えて気にしない術を会得しなくては!

 

駅までお迎えに行きます

気をつけてお越しください”

 

 

夕方までのフリータイムを

私はスポーツクラブで過ごすことにした

長丁場には自分のメンテナンスも大切だからね

 

スタジオレッスンの開始直前 バッグの中のスマホが振動した

手に取ると 発信元は病院

廊下に出て話した

 

『ご主人の呼吸が朝から荒くなっていて… 来ていただけないでしょうか?』

 

荷物をまとめて すぐに向かった

いっつもそうじゃないか! 落ち着いているなぁって安心すると翌日真逆になる!

いっつもそうじゃないか!

安心からの反転は 辛いんだってば!! 

泣くと運転ができなくなるので 精一杯憤った

 

30分後 到着した病室には 酸素マスクをされた夫がいた

でも 意識はしっかりしていた

泣いたらダメだと気を張った

 

しゃべる言葉はさらに聞き取りづらくなっていたけれど

昨日持参しておいたノートとペンを渡すと 言いたいことを書いてくれた

 

私の到着前にも先生に

“こころぼそいのでオンガクかけていいですか?” と問いかけたようで

ホワイトボードに その言葉と “B`z”の書き込みがあった

 

ベッドサイドのモニターに表示される 心拍や酸素飽和度の数値は安定

それでも私が医師に説明されたのは 

この安定が自動的な供給で保たれている状態であること

決して 危篤という言葉は使わないが

さらに重篤だということは伝えられた

夫には

“今日の午後の検査とリハビリは中止にしますね” と言っていた

 

医師や看護師は 常駐ではなく たまに様子を見に来る程度だったので

私は心の中 持ち直すんじゃないかな?と 考えていた

 

呼吸が荒いのに いろいろと話そうとするのを制して

とにかく言いたいことは書いてもらった

饒舌だった

 

「お姉さんに16時より前に来られないか電話したんだけど 出ないんだ

メールしたから 見たら連絡くれると思う」

『なんどもかけて』

 

いわれてかけた電話に 義姉が出た

スピーカーにして 義姉の声を聞かせた

夫もしゃべっていたが 早く来てだったか全く違うことだったか 

とにかく まだ メールにも気づかず 事情がわからない義姉の明るい声

“なにいってるかわからないけど いそいでいくからね” に救われた

 

その後メールを読んだ義姉から とにかく急ぐと連絡があった

夫に伝えた

 

夫は苦しい息遣いの中でも いろいろ注文をしてきた

『モニターの数字が自分に見えるようにして欲しい』

数字が 自分が呼吸するための ガイドになるんだと教えてくれた

 

ふたりでいる時間は 手を握り たくさん話しかけた

「うちの玄関前はスロープにしてあって良かったよね」

「ベッドは1階にするから あの部屋片づけておくね」

 

「もうすぐ次女わんこの誕生日だから 一緒に祝おうね」

その言葉には とても悔しそうな顔をした

 

到着してから どれくらい経ったのか 午後にはなっていたのか

ちょうど医師が来ていて 少しやり取りをしたときに

夫が 手にしたペンで書いた

『(息が)すえない』

そして

『いしきおちそう』

 

その予告通り 目を閉じて 眠り始めた