戯れ言

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玄秀盛が不定期でつづる、日々の戯れ言。

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≪オフィスGENスタッフより≫
現在、玄秀盛は、月刊誌『MOKU』で、
「世相を斬る!」というタイトルのコラムを連載しています。
(最新号には、連載第15回が掲載されています)
今回の記事は、そのコラムの中からお届けします。

月刊誌『MOKU』の詳細、購読のお申し込みは、
同誌のウェブサイトをご覧ください。
『MOKU』(MOKU出版株式会社)
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『世相を斬る!第14回  ~左手も右手も~』 (文:玄 秀盛)

◆昔の俺が言う「目を開けている間は俺の金」

 つい最近、「俺」に会った。

 俺が「俺」に会ったというのは、おかしな話だが、昔の自分があのまま成長していたら、こんな男になっていただろうと思わせる人に会った。

 渡辺謙主演のドラマ「愛・命~新宿歌舞伎町駆け込み寺~」を見て、本も読んで、俺に興味を持ったという。身なりも、飲む場所も、いたって普通の六十歳だけど、かつてはやくざだった。今は“人夫出し”(建設現場などへの人材派遣)をしている。「億」単位の稼ぎがあると言う。あらゆるものを手にしながら、それでもまだ貪欲に稼ごうとしている。やくざだったこと以外は、かつての俺の姿。仕事まで同じ。

 酒が進むに従って口調も本性を表す。「ボランティアも金がなかったら、何もできへんやろ」と、やっぱり金を軸に展開していく。自分に近づく人間は金が目当てとはなから決めている。「一千万寄付するから九百万バックしてくれへんか」と税金対策に俺を利用したがる。「俺が負けたら三人の女も飯が食えんようになるからな」と、同病相哀れむ関係を金がつないでいる。男とは飯も食わないのは「寝首かかれるかもしれへんやんか」という臆病さ。「家族はいるけれど、どうも馴染まへん」。さもしさと哀れさを感じながらも、昔の自分と向かい合っているような懐かしさがあった。

 自分がそうだったから分かる。こういう人間は孤独や。寂しすぎるくらい独りやねん。信じられるのは金だけ。だけど、本人はこの世を謳歌してると思うてる。博打で三十億円くらいは損をしたと言うように、金を稼ぐだけで、どう使うかが分かっていない。見ているのは金そのものだけ。金の先にあるものなんか見ようともしない。

 しかし、頭は悪くない。原発事故処理の仕事はやらないと言う。「金にはなるけれど、“商品”がズタズタになるからな」。かつての俺よりも一枚上手やと思った。使い捨てにしないで、“商品”が“商品”を連れてくることまで見通している。そして、最後に考えてるのは、生活保護を受けさせることやと言う。アパートを与えて、働けなくなった“商品”が貰う生活保護のその金からも抜くんやと豪語した。しかし“商品”たちからは「最後まで面倒見てくれるええ人や」と言われる。

 そこで、俺は思った。これもまた「人助け」という意味では、かたちとしては俺と同じやんか、と。金の亡者とボランティアが同じなんや。

 俺はこの十年間、ずっと自問してきた。「人助け」と言いながら偽善をやっていないか? 奇麗事言うてても家賃にもスタッフの給与にも金が要るやないか? 援助されながらの人助けというやり方は矛盾してないか? そんなことを考えてきたから、エグイことをやってる男の言葉も「一理ある」と思えた。否定すべきだけのものじゃないと思った。この男は、まるで地球の裏側からものごとを見るように、徹底的に金の側から現実を見ている。

「玄さん、人夫紹介してくれたら、一日一人千円渡すで」と誘う。もちろん、そんな誘いに乗るはずもないから、「俺はもう、左手から右手に変わったんや」と言うと、「そやかて、左手も右手も、玄さんそのものやろ?」と返してきた。ほお! と思いながらも、俺も同じことを言う。「あんたかて、左手も右手も、あんたそのものやないか」。禅問答みたいやけど、たった一言が違いをはっきりさせた。「わしが目を開けてる間が、わしの金や」。これこそ銭(ぜに)の哲学。孤独な人間に共通する考え方。俺のボランティアには「俺の金」とか「目を開けている間」という発想はない。その発想ではボランティアや人助けはできない。

「生まれてくるときも一人、死ぬときも人間は一人やないか」と開き直る。そのとおりや。そのとおりやけれど、でも違う。金はないけれど、人がある人生を俺は知った。

 最後に、そいつが言った。「玄さんが本に書いていた、『餓鬼』や『畜生』を俺はまだ超えられへん。あんたみたいに、馬鹿になりきれへん。俺の星やー」

 なんやねん、上げたり下げたりして、と思ったけれど、そこが、そいつの本音。超えたいけれど超えられない。止まることもできない。「ええんちゃう? そのままで。俺は人夫出ししながら仏心をもったばかりに潰れてしまったんやから」と正直に言った。そうしたら、「なぜ四十五歳で気付いて大転換できたか、裏があるやろ? と思って本も読んでみた。今日、こうして会ってみた。でも、裏も表もない。なんで玄さんはできたんや。俺は俺を超える男にやっと出会えた、やっと出会えた」酔いつぶれて、そうしゃべりながら帰っていった。

◆「生きている」と「生かされている」の違い

 海水に棲んでいた俺という魚が、なぜ真水で棲めるようになったのか? というのがその男の疑問だったんやと思う。たかだか病気ひとつで人間はそこまで変われるんか? と思ったんやろ。なぜ自分は海水から出られへんのかと思ったんやろ。俺にも、正直分からん。ただ、変わったことは確かなだけや。もし、俺のやってることが偽善だとしても、十年間自分に嘘をつくことはできへん。不安定さを支える補助輪のない自転車は、倒れるまで走り続けるしかない。俺には今、いろんな支えが与えられている。あいつは「生きている」。俺は「生かされている」。その差。

 同じ穴から出た狢でも、大きく違ってしまったのは、最初は毛一本の違いだったはずや。それが十年間でまったく別世界で生きていくことになる。その毛一本の違いは何か。持っている金を捨てられるかどうかや。言い換えれば、捨て身になれるかどうか。GDPを価値基準とする国と、GNHを価値基準とするブータンとの違いみたいなもんや。人間の幸福度は、自分一人の満足を得て高まるものではない。相手があって成立するものや。結局最後は「人と人」。「人間なんか信じられへん」と言うやつに幸福が訪れるはずがない。

 最後は人と人、だから俺が今広めたいのは「日本駆け込み寺連絡所」。昔の自分に会ったことを啓示と受け取ったから、考え方を変えた。自動車免許のような資格を必要とする相談員にこだわっていても意味がない。「人助け」という奇麗事だけをやろうとするのではなく、どうやったら誰もが心豊かになるんか、と原点を考えた。だったら一年限定の連絡所を増やせばええやないか。これが俺の「左手も右手も日本駆け込み寺やないか」ということ。あちこちで講演すると、「私は玄さんみたいなことはできません」と言われる。他人と同じことをするほうがむずかしいのは当然や。「あなた自身のやり方でええで」と言っても二の足を踏む。だったら、俺や相談員につないでくれる役目でも十分。

 全国に連絡所を作る意味は、「雨に濡れないで済むように屋根を作りましょう」ということ。連絡所の看板があるだけで、人助けのために動きやすくなる。“野ざらし”“雨ざらし”の状態で人助けをしようとしてもむずかしい。何者か分からないのに助けを求めるほど世の中は成熟していない。だから、看板を掲げてほしい。サラリーマンをしながらでもかまわない。自分が相談に乗らなくてもいい。何か人助けしたい、その思いがまず大事。助けたい人と助けてほしい人がたくさんいても、両者の出会う場がないのが問題なんや。悩みの相談の場が心の安寧の場にならずビジネスの場になっているケースが少なくない。相談料千円だと悩みは消えないで、百万円払えば悩みは消えるのか? 

 ちょっと脱線するけれど、原発を一基か二基止めるには、昼間テレビを消したらええねん。こんな簡単なこと、誰も言わへん。テレビ局はもちろん言わへんし、ほかのメディアも遠慮して言えへん。電気料金値上げでも社員のボーナスを払おうとしている東電のことは文句言ってもやで。スポンサーには何も言えないマスコミの左手と右手は、どうなってるんやろなあ。

 脱線ついでにもっと言うと、選挙の投票率を上げるには、どうするか? 免許証を持参すれば、点数を一点加算すればええ。でも、それをやったら、せっかくの組織票が負けてしまう。できない理由ではなく、やらない理由があるんや。そこに正義はない。犯罪者を五人捕まえれば、警察官は「素晴らしい」と表彰を受けるけれど、困ってる人を五人助けても、誰も表彰してくれないとなれば、進んで助けようとは思わないのは当然。防犯よりも逮捕のほうが価値があるという間違った考えやねん。予防医学よりも“神の手”を持つ医者のほうが脚光を浴びて、高給を得られるのも同じようなもんや。そういうところを見抜いていかないと、金儲け以外に人儲けという世界があることを分からんようになってしまう。

 まず連絡所を全国に、そしてゆくゆくは駆け込み寺を全国に、そう考えて突き進んでる。地産地消ではないけれど、駆け込み寺は身近なところにあるべきだからや。心ある人たちと一緒にやりたい。

7月7日、国分町駆け込み寺を開設する。

語りたいことはたくさんあるが、
東北に拠点を設けること、
仙台に駆け込み寺を作ること、
それが第一。

そこで大事なのが、地名や。
仙台で「国分町」といったら、
東北一の歓楽街。
「国分町の駆け込み寺」と言うだけで、
どこにあるのかがわかるやろ。

仙台出身の二人のスタッフが
中心となってやる。
商売にたとえたら、地産地消。
その土地で生み出して、
そこで消費していくイメージ。

地産地消、あともうひとつ「地創」。
その土地で創っていくことも大事。

仙台にも、ボランティアとかNPOとか、
それぞれのスタイルで活動している人々がいる。
そういった人々をはじめ、
協会、行政などと協力体制を取りながらも、

「何人も受け入れる」
「来る者は拒まず、去る者は追わず」

というウチのスタイルを貫いていく。

目を向けるのは、たった一人の相談者。
そこに焦点を合わせる。

場所は変わっても、
それが駆け込み寺のスタイルや。

 
仙台・国分町にて。

うちのスタッフは、
支援者や相談者から
「玄さんの病気は大丈夫ですか?」
と質問されることが多いという。


今の体調は、健康そのもの。
言ってみれば、
ロウソクの消える瞬間の勢い。


「自灯明」というやつやな。
自らを光り輝かせているんやから。


それが10年くらい続いてる。


死を意識するから、一日一日が愛おしい。
そして一日一日、ケリをつけて生きてる。


皆、一日を引きずって生きてるやんか。
まだ起こらんことに不安になって、
おののいて、脅えながら、
地に足がつかない状態で歩いている。


俺のように、
駆け込み寺というスタンスで
10年生きてきたら、
もう何が起こっても怖くはない。


だから一日一日を断ち切れる。
楽しみも、苦しみも、いわゆる喜怒哀楽も、
すべて断ち切れる。


皆、朝起きても、
昨日の残存物を抱え込んでる。
「宿便」を残したまま生きてるんやろうな。


俺なんか、いつもすっきりや。

 
月に一度、駆け込み寺のボランティアを集めて
「ボランティア集会」を開いている。