ワタシの勤める会社に、ヤンキー君がいる。
彼は武田信玄が好きで歴史好きだと言っている。
ワタシも歴史は好きで、いろんな歴史小説や文献など読んでいる。


そのヤンキー君は歴史小説や文献は全く読んでないようだが、ヤンキーなので最強軍団という響きが好きなようだ。


だが、信玄は果たしてそこまで優秀な歴史的偉人なのか? といつも思う。ヤンキー君は信玄が生きてれば天下を取ったというが(笑)。


ワタシは信玄があの時点で亡くならなくても変わらないと思っている。そもそも天下狙ってた大名なんて、晩年の織田信長以外にいたのか…?


信玄の生まれた甲斐は、もともと父の信虎が地盤を固めていて、信玄(当時は晴信)は豪族や国人衆が統治していた信濃に進軍し、諏訪、高遠、大井、笠原、小笠原、村上といった国衆勢力を破って領地とした。


今川義元が遠江を支配するのと似ているが、今川が国衆をそのまま支配下にするのと違い、それまでの領主を追い払って支配下にする信玄。このことが信濃統治があれこれと問題を起こした。奴隷にしたり、人身売買したり…


そして、数多くの盟約破棄があり、武田家の信用はほとんどない。村上と争ってる時に敵対した北の上杉(当時は長尾)だけでなく南の今川、その今川と同盟を結ぶ東の北条まで敵にしてしまう。


そして、西の徳川にチョッカイ出したのを機に、畿内で大勢力を持ち始めた織田と対立してしまう。地図だけで見ると版図は同じくらいだが、石高や商業地帯や港など、国力に随分と差がある。その織田と対立したのだ。そこで信玄は亡くなったから良いが、その多大なる負債は息子勝頼に大きくのしかかる。


しかも勝頼は正式な後継者ではない。後継者信勝が大きくなるまでの繋ぎだ。これでは、武田の重臣たちが勝頼になびかないのもわかる。


やがて運命の天正3年5月21日(旧暦)を迎える。勝頼を無能とか言ってはいけない。酒井忠次らの別働隊のせいで、前進突破しか手が無くなったのだ。


それから7年後、少し立て直したものの、木曽や穴山の裏切りで呆気なく….。


ワタシはとても優秀とか最強の大名だとは思わないのだけど、なぜ武田No. 1が定着してるのかと言えば、


こういう事でしょうね。まあ、ヤンキー君は歴史なんてチョッカイ出さず、バイク弄りに精を出した方が向いてるんじゃないかと…。