ずっとビースティ・ボーイズに憧れていた。メンバー同士の仲が良く、好きなことだけをやって金を稼いでいるように見えたからだ。ラップの草創期にリック・ルービンに見出され「悪ガキ」のイメージでデビュー・アルバム(「License to Ill」)を 1,000 万枚売り、ロサンゼルスに移ってスケート・ランプのあるスタジオを作ってレコーディングを重ね、自分のレコード・レーベルを経営してジュリアン・レノンやチボ・マットを世間に出したりした。この歳になって、それは起業家としての度胸と才覚があったからこそ得た成功であったことがわかるようになったが、それでもなお羨ましい。

 

 80 年代のニューヨークは特別な場所であった。アイディアとやる気があれば、教育や金がなくてもアーティストとして成功することができた。パンクやアヴァンギャルドのシーンがあって、バスキアやトーキングヘッズを生み出したが、現在に最も大きな影響を与えたムーブメントはヒップホップだろう。パーティを盛り上げるために曲の間奏をループしたり、その上で MC がラップしたのがそのままポップスの主流になったというのは美談だ。金を稼ぐために作られた商品ではなく、楽しむための遊びから生まれたという意味で。ジャズに継ぐ黒人文化になったと言っても、ぜんぜん過大評価ではないだろう。

 

 2枚目の「Paul’s Boutique」ではサンプリング中心の王道ヒップホップを作ったビースティ・ボーイズだが、3枚目の「Check Your Head」と4枚目の「Ill Communication」でロックバンドとラップをミックスしたスタイルを確立した。名曲が多く、全体としても完成度が高いうえに、スパイク・ジョーンズの MV の力も加わった「Ill Communication」を代表作と考えるのがいいだろう。ラップも演奏も「ウマい」のとは違うが、勢いがあってセンスがいい。

 

 ビースティ・ボーイズを聞いていると、「自分より楽しそうに生きている人に憧れる」というのがポップスを聞く唯一の理由に思えてくる。いや、そういう時代だったんだと思う。そうした雰囲気が肥大してセレブ文化に突入していくわけだ。いまどきの若者は「ミュージシャンは華やかに見えるけど、経済的なリスクも高いし、そもそも双極性障害を自ら呼び込んでいるっしょ。さっきのギターソロはちょっとだけ感動したけど」くらいの温度で音楽と付き合っているのかもしれない。