明けましておめでとうございます☆



無事に修士論文を提出出来て、これで本当に明けた感じがします!



まいど、あつしです。



俺は大学院生の中では割と劣等学生で、本当に提出出来るのか、ガチで周りから心配されてたけど、何とか書ききりました(笑)。
(研究が難航してた上に、教員採用のこともあったし、お金の面でバイトが全く減らせず忙しかったこともある。)



たまに、大学院ってどんなことしてるのって聞かれるので、


まあ、論文を書くうえで何が大変かと、
劣等学生の話だけど、学術論文を書くとはどんなもんかという話をば…




まず論文の題目は、

『地域的視点から見る昭和天皇の「戦後巡幸」の考察~大阪行幸を中心として~』
です。



簡単に言うと、「戦後巡幸」ってのは、敗戦直後、失意に打ちひしがれている国民を慰め励ますため、戦災復興状況視察の名目で、昭和天皇が全国を回った出来事だ。



で、ここまでは単なる表面的な歴史事実。


学術論文というのは、これに新たな歴史的側面を見いださなくてはならない。



例えば、この「戦後巡幸」が行われる直前に、いわゆる「人間宣言」が出されており、天皇が「人間」であり、優しく親しみ深い人であることを視覚的に実験的に国民に認識させる、天皇制存続のための「パフォーマンス」としての側面があった…てな感じである。


とにかく、「象徴天皇」制の確立・定着に於いて、最初の段階で、重要な意味を持ったことは間違いない。



まぁこんな感じの先行研究があるわけだ。



さて、ここからが問題だ!

学術論文を書くにはまず、過去に学者さんたちが書いた、そのテーマの数々の研究論文を読まなくてはいけない!


その上で、その学者の業績を批判して、新しい論を立てなければいけないのだ!


まず、なぜ「戦後巡幸」を扱うのか説明しなければいけないから、昭和天皇に関する論文、戦後史に関する論文、象徴天皇に関する論文を読みまくらねばならない。
(「興味があるから」という理由は通らない)


その上で、どこにどういう問題意識を持ったか…というところから初めて「戦後巡幸」など自分の研究したいテーマに行き着く。


そこから、さらに「戦後巡幸」をテーマにした論文、さらに、「戦後巡幸」以外の巡幸・行幸に関する論文を読まなくてはならない。



そして、その学者さん達の研究の至らない部分を見つけだして、反論していくことから、自分の研究が始まるのだ。



では、次に反論していくために何が必要か?



当時の実際の史料を読み込まなければならないのである!



そうやって、史料的な証拠を突き付けて、反論し、新たな説を示す!



それが歴史学の「研究」である。



そう、だから、たまに俺が宮内庁に行ってたのも、宮内庁に眠っている「戦後巡幸」に関する当時の本物の史料を見るためだったのである。


大阪府庁で、当時の書類などの史料をゲットしたりした!



『夕刊 新大阪』という新聞を1946年~1947年の2年分くらいを細かく読んで、天皇、巡幸関連の記事を抽出した。(他にも『大阪新聞』など)


さらに、1947年代に出された数々の雑誌の巡幸関連の記事を集めた。



はっきり言って、かなり膨大な量だ。


宮内庁と大阪府の公文書だけでも、紙5~600枚分あったと思う。



さて、実はここからが本当の苦労が始まるのである!


史料を集めるだけなら何も難しくないのだ!



とりとめもなくバラバラの当時の会議資料や雑誌新聞記事から、何か共通点やら相違点を見つけだし、新たな論を立てねばならない!これが難しい!



だから実は、去年、史料はたくさん持ってるのに、そこから何も導きだせなかったとき、今までやってきたことを捨て、一から別の研究をやろうかと本気で血迷いかけたこともあった。。。



…まぁ、そんなこんなで、何とか論文の形に出来て、提出出来たので、本当に良かった…。

本当に良かった。


後は審査に合格するのを待つのみである!





僕は恋愛がしたい。





ボン。