今日は氷見出身の鎌仲ひとみ監督作品「ミツバチの羽音と地球の回転」がフォルツァ総曲輪さんで封切られ、それを記念して鎌仲監督のトークショー、ならびに最新作「内部被ばくを生き抜く」の上映会があったので突撃ヒューマンしてきました。
「ミツバチの~」は311以前に制作された、山口県の祝島で起きた上関原発建設反対運動のドキュメンタリー映画です。
この映画が完成したとき、経済産業省から大手新聞各社へ「お宅の新聞、あの映画の紹介記事書かないだろうね」などという恫喝電話が行ったそうです。
ちょうど高橋玄監督が「ポチの告白」を完成させたとき、全国の警察組織がそれぞれ地元の単館劇場へ「オマエんとこであの映画かけんやろうな」と恫喝したのと同じ状況が起きていました。
また、学校教科書で原子力に関する記述を載せる際、電力会社の検閲を通さないと文部科学省の認可が下りないという話も初めて聞きました。
何より原発擁護論者というのはツイッターなどでも言葉遣いが汚い、そういう人たちの主張が正しいなどとは到底思えません。
従来、原発でまかなわれてきたのは、全発電量の3割程度、というのは皆さんご存知でしょうけど、それに対し、全発電量に対し実際の消費率はピーク時でも7割行ってないということは意外と知られていません。
連中の常套句である「電力が足りなくなって生命維持装置の必要な病人が死んだらどうするのか」という言いがかりはまったく的外れであるといえます。
「原発反対論者には病人に対する配慮が抜けている」のではなく、「的外れであることがわかっているのでわざわざそこまで触れない」だけなんですね。
擁護論者の思い込み、困ったもんです。
むしろ原発周辺に住んでる人たちは、今殺されているんです。じわじわ、小刻みにね。
「コストもリスクも変わらないなら、寿命まで使い切って発電させればよいのではないか」との一見、中立に聞こえる考えも正直、甘いです。
お上や拝金企業が、僕たちの都合よく考える「ちょうどよいところ」で利潤追求をやめてくれるはずがありません。
コストもリスクも変わらなくても、今すぐ廃炉にするよう「主張すること」は必要なのです。
車のブレーキだって停止ラインに来てから踏んでたら間に合わないでしょ?
まして暴走車なんだから、とりあえずすぐ止めないとダメでしょ?
まして今ブレーキが効かない状況なんですから!
原発が動かないだけでは電気は止まりません。
でも電力会社が世論操作を企めば電気は止まります。
この夏、電力会社は原発反対論者をワルモノにするために、何回ぐらいの「事故停電」を「予定」してるのでしょうか?