There have been a lot of discussions and debates made about how to support equality for all people but I believe this right is brought through the following two methodologies; 

 

First, the information liquidity is the best way to protect the equality for all pepole in the highly developed society. This freedom should be protected more than other rights in the times when the information change goes very fast. The rapid growth in freedom brings changes equaly, the information that the receipients will receive sould be equal. Now we live in a free society where people need to be given the rights that the information is equally received even said that those were refrained by politics and religions for their entire ego in the past. 

 

And the second way to preserve equality, we should not select the receipients, no manipulation should be made on who receives those informations. As same as Freedom of religion, receipiments should choose what information they take. It is quite essential to guarantee the freedom for receipients what they choose. Therefore, information should be open and available to any people. Any pepole should have access to any information in the countires with freedom of religion. 

 

I believe that the authorities could guarantee equality with high liquidity of information and free access to those information by any kind of peple to support equality to all people in the high develped countries as same as freedom of religion.  

 

この分量でぴったり2分。

 

よくわかんないけど、二次試験の練習で書いてみた。

お題は、いかに万人への平等をサポートできるか。そういう内容のお題があるのか知らんけど。

YouTubeで見た動画のカードの中にあった(本当にそういうお題だったかも定かじゃないけど)。

とりあえず、浮かんだことを録音して書いてみた(考えて書くというより、喋っていたら書けた、という感じの私)。

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今生きている人間は皆一瞬を感じて生きています。自由のある人もない人も、今自由を見ていいのです。

選択は二つあります。生き方を平等と言うものに生きるか、平等とは反対の、変化に基づく人生を生きるか。

平等は権利です。

権利を持つと言うことは、誰にでも与えられなければいけません。

平等、それは本来、常にあるべきです。

 

私の考える二つの方法でこの権利はもたらされます。

 

高度に発達した社会においては、情報の流動性です。情報の変化が特に早い時代において、この自由はもっとも大切です。急速な自由は変化を平等にもたらすため、与えられる受け手の情報を公平にすべきです。したがって、過去において政治や宗教がエゴで持ってこれを止めて来ましたけれども、今は自由な社会ですからこれを持つべきです。

 

人は選択をしていいと思います。したがって、与えられる情報は、権利の一つとして生きている限り、フリーアクセスで解放されるべきです。これが一つの方法です。

 

そして二つ目の方法は、与える相手を選択しないことです。選択されるべきは、宗教の自由と同じく、受け手が選ぶべきです。受け手は開示される情報を選択する自由を与えられるべきです。したがって情報は、どのような者にもオープンであるべきです。と言うのが、平等を、宗教の自由がある国では、持つことが与えられるべきだと思います。

 

今日戦争が絶えない国があります。そう言った国ではこの自由は保証されていません。こう言う場所における自由とは、彼らにとっては自由がないことを受け入れることのようです。従いまして、相手による、かはわかりません。多分、これらは情報の遮断がある国においては、勝手に操作されることが普通であって、開示されないものもあるでしょうし、生きている限り本当に知っていい人というのが一部の場合もあると思います。こうして差別的な情報があると共に、バランスが崩れた時に、次に何を根拠に行動していいか、行動原理がわからないはずです。

宗教とは乖離した方法です。これは自由な選択を奪うものです。したがって過去における戦争は、こう言った場所における自由はなく、反対に相手が愛で溢れれば溢れるほど、「生き方が異なる」という気持ちにさせるでしょう。

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とりあえず、浮かんだことをだらだら日本語でそのまま喋ると8分。長い(当たり前)。しかも、曖昧なことも多く話してる(スピーチにするには具体性に乏しい)。どうやって補ったらいいんだ。。補足資料がない。

 

とりあえず、これをスピーチ原稿用にはしょり、英文にしたのが上の文章。でも、多分、とりあえず、文法の間違い(があるであろう)と内容的に英検一級レベルの単語が足りない。なのでもう少しレベルの高い英語にするべき。どうやってやるんだ・・・。こっからの修正方法が独学だと無理だよなあ。フィリピンの英会話学習が安いようだけど、スピーチ練習のみで、ライティングはないんだよなあ。探さないとです。

 

明日かまた今度、内容を更に付け加えて情報をうまく改訂してみようと思います。が、今んとこ、この辺で。

とりあえず、出来の良い悪いは置いておいて、「書いてみる」というのがステップでした。