自己紹介

 

:   伊藤玄一郎     年 齢:62歳


生まれと育ち:    日本生まれで南米育ち。 

1956年9月10日、岩手県の開拓地に生まれる。 

小学5年の11歳の時に両親について南米パラグアイのイグアス移住地に入植。 牧場作りを手伝いながら育つ。 高校、大学はアルゼンチンへ留学。高校の時に父親が亡くなってからは農場経営の責任者として2足わらじで学業を続ける(1年大学へ行き、翌年は休学し農場で働いたあとまた大学に戻ったり)。 
 

仕事:

 ラテン文化圏(中南米とアフリカ)の開発プロジェクトの管理、建設プロジェクトの施工監理と安全管理の仕事での派遣。   約20年以上にわたり、国際協力関係の仕事に従事する。
国際協力機構が途上国において実施する技術協力プロジェクト(ODAの一種)には16年以上係わる。中南米での開発調査の通訳、翻訳から、技術訓練の専門家や、研修監理員などを経て、プロジェクトの運営全体を管理するコーデイネーターを4件勤める。 

 学生時代から長い夏休みや冬休みを利用しパラグアイで日本の調査団の通訳や翻訳の仕事をして学費を稼いでいた。 アルゼンチンの大学をアルバイトの仕事に追われて中退し、通訳や翻訳の仕事を抱えながら、パラグアイの邦人紙「日系ジャーナル」で編集記者の仕事に就く。その後1985年在パラグアイ日本大使館に就職、4年間勤務するが、技術協力を中心に無償資金援助、円借款、社会問題調査から経済問題調査まで広く務め、自分にとって一番大きな財産となる貴重な経験を積む。しかし1989年にクーデターがあり、パラグアイでの35年来の軍事政権が終わったのをきっかけに退職し、次のステップアップを狙ってバブル景気の日本に出稼ぎ渡航する。

 日本ではバブル景気に踊る建設業の土方仕事やガードマンから、コンビニ店員等まで広範囲な仕事を経験するが、1990年に国際協力事業団よりホンジュラスに農業開発プロジェクトに専門家として派遣されたのをきっかけに、ニカラグア、コスタリカ、ボリビア、アルゼンチン、パラグアイ、パナマそしてブラジルとラテンアメリカでのさまざまな開発プロジェクトに携わった。 
 2002年からは日本にNGOを設置してラテンアメリカでのNGO支援活動を目指しながら、2003年8月から1年間マンション総合管理会社で日本の会社勤めも経験。
 2005年はアフリカのカーボベルデに給水設備建設事業の施工監理者として1年間赴任する。
 2006年は半年ほど日本国内のプラント建設現場で仕事をした後、7月よりロシアのサハリンで建設中の世界最大の天然ガス液化プラントの建設現場に応援に派遣される。2007年に九州の大牟田市にある三池発電所改修工事の監理に関わった後、パラグアイでODAで建設中の大学病院プロジェクトの支援のために、派遣されたのを機会にパラグアイに戻り、仕事が終了後そのまま残る。
 以来、パラグアイに小さな事務所を抱え、支援コンサルタントとして、たのまれればなんでも相談にのる便利屋をしている。


宗教、思想、哲学

 生き方の基本的姿勢として、明るく、正しく、力強く、積極的に生きることを教える天風哲学に共感を覚え、2001年に天風会の会員となる。
 途上国の地域開発の理想的な形態として、自給自足的社会創りを考えるようになる。2002年に、白樺派の武者小路実篤の自他共生の精神に共鳴し、その思想を1918年から実践してきた「新しき村」の会員となる。   

 家族:

  逃げられたアルゼンチン人の妻との間にできたパラグアイ生まれの3人の子供が日本とカナダにいる。