My Favorite Things

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おやぢのチカラを改題。気分一新です。趣味や関心のある事柄を綴っていきますが、もし読んでくださる方がいるようでしたら、気長に見てやってください。ちなみにgenanは「ゲンアン」とよみます。ゲンアンとは何か。ひみつです。

先のUSAとイスラエルによるイラン・ハメネイ師殺害について、エミン氏は「戦闘でいきなり国家の指導者を殺害する行為は、かつてはなかった。」という趣旨の発言をされていました。

 

彼の言うことはもっともです。ハメネイ師は対米強硬派で知られていました。しかし、USAとイスラエルとではイランに対する「ゴール」が違っていたと思われます。

 

USAのトランプ大統領は中国への圧力の一環と捉え、ハメネイを殺せば反米政権が倒れ、アメリカに協調する新イランが生まれると思っていたのであろう。

 

イランが経済制裁の結果、国民経済に大きなダメージが出て、政権が崩壊寸前、パフレヴィー朝崩壊時と真逆の革命でも起こるのではないか。ハメネイ師が消え去れば、ここを先途とばかりに政権打倒がイラン国民の間から沸き起こると思ったのではないか。

 

一方、イスラエルは右派のネタニヤフ政権。彼らにとっては、イランは国家の存亡を危うくする存在と見ていたことは想像に難くない。そして、「やられる前にやれ」、攻撃は最大の防御と考えたのではないか。イランにやられるか、いや、その前にイランをたたきつぶす。

 

つまり、イランという国が崩壊すれば、イスラエルの安全はより確かなものになるということである。

 

だが、ハメネイ師を殺害してしまうと、イラン国民の現政権打倒の目標自体が消滅してしまう。さらに、例え批判の対象であっても、その排除が他国の謀略によって当人や家族も含めてなされたのに、その国の行為を恨まない国は存在しない。

 

まして国民の感情として、USAを受け入れる人々がどの程度いるのであろうか。

 

だいたい1979年のイラン革命は、当のUSAへの批判が大きな要素にもなっていたのだ。

 

国内で反イスラーム原理主義的政権打倒の動きが起こっていない状況では、イランの国民感情はUSAに対する敵対心を生み出したと考えてよさそうである。

 

さらに、後継のハメネイ師の次男がさらに強硬姿勢であるとなれば、この「戦争」は長期化する懸念がある。

 

もっと心配なのはイスラエルである。イランへの攻撃が止むのはどの段階なのか。国内でクーデタや革命がおこって現政権が崩壊しない限り、イランは一歩も引かない可能性がある。

 

第3次世界大戦が実は始まっているという見方もあるようだが、核を保有する大国たちも馬鹿ではない。

 

だがその前に第5次中東戦争が展開しそうな気がする。この対応を違えると、第3次の黄色ランプが点灯しそうになるのではないか。

 

日本は、政治も経済も、一つ一つのチョイスが真に試される時代に入ったと思う。

小学生からの英語教育やタブレットのような端末を使ったプログラミング学習は、世界に羽ばたく優秀な人災、人材つくりになるのか。なんてことを入力していた。
一年たってみて、改めて義務教育で時間と金をかけてやることじゃないと思うね。
まず端末だが、使用中にかならずOSのバージョン更新やデバイスの性能低下だのアプリの更新などでコストが大きくかかる。
大体今やこれを家庭で購入するのですからね。これは関係する企業の利益になるものだし、もっといえばソフトウェアは大概アメリカの企業なんで、安くなってる円がアメリカに流出していくだけ。資産の海外流出。日本政府が日本のIT分野に実にお金を掛けないできたことの結果このような具合です。
政治家も三流以下の人材で、現今の参院選の結果から見ても、永田町はお安いお芋の洗い場のようです。いつまでも桶の中でぐりぐりしていると、皮がはがれてドロドロになっちゃいますね。ネトネトした言い回しが得意なひとが言葉を弄しているのとおんなじです。
腐り出したお野菜はとっとと捨てて、新鮮なお野菜にすっかりかえてお客さんをむかえてほしいものです。
わたしたちはすっかりうんざりしています。このようなセンチメントに国民感情が傾いたケースは、過去の歴史における類似した例はなかったでしょうか。なんかあったような気がするのです…。ホントに
ブログを始めたときは、自分の記事がネットで読めること自体が面白いのでチョコチョコしてました。
でも、そのうち様々なSNS商品が登場してきて、よりお手軽で、(実はどうかと思うが)通知がガンガンスマホに入ってくるヤツにいつの間にか取り込まれている昨今です。
してみると、いつの間にやら主催者の術中にはめられているのではと思いますね。
you○○b○などの動画で、TVや新聞などがマスゴミとして批判されているのが見受けられます。これらに限らず、情報を不特定多数に向けて発信する媒体は、運営を維持するためのコストがかかります。故に多くの人々が視聴し、登録し、評価されることで広告料を得る。これが大前提です。
となれば、要は金が稼げる「情報」が、正しいかどうかは二の次で、流布するのが当たり前となるのです。
そういう意味では、たとえば40年前と今とでは情報量が半端なく増えてしまいました。ファクトチェックは大変ですね。
しかし、一方で、自分から情報にアクセスし、吟味することができるという点では、これまた40年前と比べものにならないほどの進歩でもあります。
情報マイニングのスキルを高めることが大切なんでしょうね。
また、これには最近流行のAI、それも生成AIを使いこなせる技量も必要のようです。
これらを使いこなせるようになるためには何が必要なんでしょうね。
小学校の児童に英語勉強させて話せるようにとか、タブレット持たせてプログラミング学習とかですか?
英語話せたから世界で活躍できるなんて、どこのだれが言ってるのでしょうか?
プログラミング学習のゴールは何なんでしょうね?
ちょっと常識で考えたらすぐわかります。
社会を大きく進歩させるのは、優秀な人材によってであることはよくわかります。
そしたら英語とプログラミングが出来ると優秀な人材なんでしょうか?
優秀な人材を育てるなら、そうなりたいと強く思い、そのための実践を地道におこなう人をつくるんじゃないのかな。
ということは、結局は哲学だと思いますね。
コロナが収束しない中、ウクライナ「戦争」が2月24日に勃発。
思いもよらないことから、長期、大規模化することは現代戦には見られます。
それにしてもまさかヨーロッパで。
いや、この大陸こそは、さかのぼれば16~20世紀の前半迄は地球上で最も戦争の頻度が高かった。
歴史は教えている。
一人の人物が権力を長く維持できるシステムは人間を不幸にすると。

なが一い休眠の間に

すっかり世の中変わっておりまして。

いよいよ世界が流動化して来ました。

パンデミック後の世界。

100年前なら、国際協調主義が世界恐慌をターニングポイントに、閉鎖的なブロック経済圏の形成に、

ファシズム&独裁者、そして・・・。

人類の選択は如何に。



…「このように、犯罪人扱いしたような形で、科学の行為を検証するということは、科学にあってはならないことだと思っています」と理研の方はおっしゃっていました。…
 つまり、この問題に関して、メディア側を批判しているのでしょう。
 でも、世界的に権威のある科学雑誌に論文が掲載されて、これをもとに大々的に記者会見を開いた彼女を擁する研究機関の責任を問うているのでもあります。
 というか、私はこちらの方が気になっている。
 彼女を擁護するつもりはないが、彼女に自信を与えた者たちがいると思う。
 しかし、自信を与えた者たちもまた、STAP現象がリアルと思って、その後に自信をつけさせたのでしょう。
 今回のこの一連の騒動で、いの一番に心に浮かんだ言葉は「思いこみ」だった。
 彼女の「思いこみ」に自信をつけさせた者たちの「思いこみ」。
 それを「科学者=プロフェッショナル」ではない私たちには検証する確認するすべがないので、報道の通りと認識するより他にない。
 だが、結局すべてはこの「思いこみ」が、科学ではもっとも大切で基本のはずの実験と検証という行為をないがしろにしたのではないか。
 自他共に認める天下の研究機関の一スタッフがなした「世紀の大発見」で、これは「iPS細胞を超越するぞ」などといった話題性に、関係者全員が惑わされたということなのか。それは違っていてほしい。アリストテレスのイドラを持ち出すまでもなく、それは絶対あってはならない。
 それにしても、このようなきわめてむなしい結果を聞かされると、そのために自ら命を絶ってしまわれた方のことが気の毒でなりません。
 この高名な科学者は彼女の思いこみを自らも信じて、もてる力を駆使して大科学雑誌を信用させるプレゼンをしたのでしょう。最後までSTAPを確信していたのだと思います。
 遺言にまでその存在を世に知らしめてほしいと綴ったとされるのですが、これを彼女はどう受け止めているのでしょうか。
 われわれ一般大衆にいわなくてもいいので、是非墓前では真実を彼に開陳してほしいです。そのような責任は、彼女にはあると思います。
 それにしても、きわめてもやもや感が募るこの騒動。理研は国費を投入してもらって進めているプロジェクトなどもきっと多いことでしょうから、自らの責任の所在はどこに、どういうかたちであったのかを国民に説明する責任がありますよ。
 総選挙が終わりました。投票にいきましたよ。寒かった。戦後の衆院選では最低の投票率を更新したとのこと。メディアがいろいろいってましたね。
 でも投票に関しては、有権者はまよったり立ち止まったりしないことが大事ではないでしょうか。
 ただ、政策や公約に関して政党によっては十分に練る間もなかったというような声も聞かれます。
 そのような状況だった政党には、正直なところがんばってほしかった。自分たちの都合に合わせて首相が解散権を行使するはずもないのですし、常に用意をするのが、政党助成金という名で国民から税金をもらっていることへの答えであると思う。
 政治家に楽をさせるために国民は納税しているわけではない。
 だから政党に属している議員が安易に自分が身を置く党の批判をメディアの前でするのはどうかと思う。
 カメラの前で不特定多数の国民の前でネガティヴな発言を聞かされる側の身になったらどうでしょう。
 建設的な前向きのメッセージを発して国民に希望を持たせるのは、政治家の最低限のつとめではないだろうか。
 私たち国民は決してこの国に失望してないし、将来に明るいビジョンを抱いて前進したいと思っているし、願っている。
 隣の家の父さんの悪口ばかりいっていて、自分の家のことはさっぱりだめな父親では、奥さんも子供もやる気がなくなる。
 どうせ父さん何いってもできないし、やらないでしょ。だから俺も勉強しないんだ。働く気がなくなっちゃうんだ。というのとにている。
 でも家族はやっぱり、父さんが明るく強く懸命に働いて、家族が将来に夢や希望をもって毎日暮らそうよっていってくれるのを期待している。
 だから、文句を言うんです。でも、文句も愚痴も出なくなったら、それは家族の崩壊の危機かもしれません。
 ともかく新しく選ばれ直された「父さん」達には、信じて一票を投じた「家族」の思いをしっかり受け止めて、寄り道したりしないで実直に働いてください。
 家族は待ち続けてきたんです。家族のみんなが生き生きと暮らせる日々の到来を。
 ネットサーフィンしていたら、「札幌市民大ショック! 創業112年、札幌の男子は必ずその扉を開けるという狸小路の模型店『中川ライター店』が閉店へ」という記事にぶつかりました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141205-00000081-it_nlab-sci

 学生時代からアメ横が好きで、勤めてからも休みの日にぶらりと出かけることが多かったのです。あの界隈に沸き立つような庶民的というか、ある種の猥雑さというか独特の雰囲気が好きです。このニュースに取り上げられたお店は、いってみたこともないのだけれども、アメ横に惹かれる私の心にもいってみたい気を十分に起こさせるような雰囲気が感じられます。
 このようなお店は、全国的にも相当少ないのではないでしょうか。というか、東京や大阪などの大人口を誇る所にしか残り得ないのではないでしょうか。人間がひしめき合うような狭い空間の中に、不思議なモノがごちゃまんと存在している世界。わくわく感があるんですけどね。
 むかしむかしの縁日の夜店。3歳前後のころ、親に手を引かれながら歩いた時の景色って不思議でした。大人の腰から下と露店の品物がやたらと眼前に迫ってきて。薄暗い雑踏の中で、おもちゃやらアメやらの品物のちょっとどぎついばかりの強い色彩がよみがえってきます。必死に親の後を追いかけながらもその強烈な色彩やがやがやとした音が懐かしいですね。
 いまや少子高齢社会の地方では、そんな喧噪はなかなか味わえないのです。