全てを失って

燃えてしまった残骸の店舗の後を見ながら

明日にでも店を開きたい主人のやる気とは


必ずしもマッチせず

私にとっても辛い日々が続きました

そんなある日 畑に植えたネギが

収穫できるようになり

これを友達へ送ろうと思い

友人知人たちに梱包し荷物を送っていました


頭で考えるよりまず行動

相手に喜びを与えてこそ仕事

売り上げを維持するために家屋の再建

を待っては遅すぎる

今やれることからやらなければと言うことで

健康マットレスの仕事を始めました

電話とメモ帳片手に

多少 動かせるお金があればできたので

昼はマットの注文を取り夜は荷造り

この売り上げで前年度のレストランの

売り上げを確保

納税申告の時税務署の職員の方の

不思議に思ったんでのでしょう

「店舗もないのによくこんなに

売り上げをあげましたね」

と言っていただけました

主人のこと

主人は旭川郊外東川出身で

お父様は獣医さんでした

高校が現在の野幌学園高等学校に

入学しその後自分で調理の道に進みました

旭川のレストランに見習いに入り

そのレストランでは

食器洗いから掃除でも朝から夜中まで

働き通しだったそうです

当時の使用人の食べ物は非常に粗末で

何日のも前の焦げた飯を水で洗って

干しそれを蒸したものが主食

おかずは魚のアラ 大根のしっぽ 

月に一度 出るカレーライスが

最高の食べ物だったそうです

その後旭川から洞爺湖のホテルに移り

そこで料理長までになり

辛い修行時代を過ごした主人は

「食」それは単に口に入れる食品の

意味ではなく広い意味での生活

つまり「生きる」

ことについて妥協のない

厳しい考え方を身に付けました

そういえば結婚を申し出たとき

主人から

「あなたに食べることに苦労をさせない」

そんな言葉でした

当時の私は食べることの

どこでもできると思ったのですが

主人の「食べることで苦労をさせない」

と言うあの時の言葉は重みを感じ

しみじみとわかるようになりました