当時  火災に実家がなり
バイトをさがす


アルバイト先は
有楽町 銀座ソニービルの中

パスタ屋 
あるでん亭に決めた


決めた要因は

時給と帰宅途中にあったから

あと 田舎者だったから
都会で仕事をしてみたかった
からかもしれない

当時は今考えると
バブル崩壊直前の景気
売り手市場で人手不足
一社に対して10人の求人

そんな時代でした

学業が終わってから

平日は 18時から21時の勤務と
土日は 12時から20時くらいのシフトで
週6日 の勤務 

寮の門限は23時で お風呂が20時に

終わるので 

バイトが終わって電車に乗って 

なんと風呂に間に合うそんな
タイムスケジュールでした

夕飯は バイト先では

 毎食 毎夕食
🎵 パスタ 

🎵 パスタ  

🎵パスタ
賄いは 

全て
🎵パスタでした \(//∇//)\

ナポリタンとミートソースしか
知らない自分にとって  

あの 当時のパスタ屋のあのメニュー

豊富さは

未知のゾーンでしたょ \(//∇//)\

カルボナーラとかタラコ 

クリームソース


だけどね



最初は 

色んな味があるし 
未知の味なんだけど

そのうち 飽きてくる

賄い パスタ🎵

あきるよー
毎食 パスタ \(//∇//)\ なんだもの

たまに 具材が
物凄い パスタを作ってくれたけど

ベーコン
きのこ
アンチョビ
アスパラ
エビ

けど

パスタですからね\(//∇//)\




仕事内容は

接客と皿洗い ナベ洗い
主に皿洗いマシーンでした

オープンキッチンだし
客席 近いし

人気店なので
土日は 客 並ぶし

たまにね

何 粗品を配布してくれると思って
並ぶ方もいてようだょ\(//∇//)\

母体の会社は もちろんSONYでした
あの当時から
イタリアンの兆しは あったんだね


ニックネームは

モラちゃん

なぜかって


それは  モランボン調理専門学校

だったから

モラちゃんなのです(^^)

調理の仕方は 
パスタは 1人前づつ計り

釜で茹であげる方法
円形の大きなパスタ釜
このパスタ釜は特注ですね
ライブ感ある キッチンでしたょ



しそと バジリコで
しそバジリコってパスタ

これで 600円だった
これが一番安かった

高いパスタで 1200円くらい

サラダは グリンピースサラダで
グリンピースと塩 胡椒 オリーブ油で
和えたサラダ 

これのみ
300円くらいでした

パスタは 25種類くらいあった

晴海通りを望める角の

カップシート
あれは 格好の場所でしたね


そんな 30年前のパスタ屋さん

あるでん亭

場所は 

かわり 

まだ 健在でしたょ