誕生日。
成人した日は、母にお礼を言えた。
「20年間育ててくれてありがとう。そして、生んでくれてありがとう。」
そんな簡単なメッセージカードを添えた、たいして大きくもない花束。
宅配にして、当日は外で遊び歩いてきたというのに、
近所の仲良しさんやピアノの先生やおばあちゃんにそのことを自慢していたそうだ。
そんなに喜んでもらえると思っていなくて、母の喜ぶ姿が嬉しかったのとともに、
手渡しして自分の口でお礼を言わなかった自分を恥じた。
でも今年は。
母に何も言えないだろう。
この一年間はいろんなことがあった。
(そりゃ生きてりゃいろいろあるのは当然だけども。)
去年の6月には父が入院し、11月には母が手術をした。
自分はといえばなんとなく鬱なのかな、と思って通ってみたカウンセリング中心の治療を早々にあきらめて、
徐々に病院を転々とするようになった。
当時の恋人との信頼関係はもう破たんしていて、それでも付き合っては泣いてばかりいた。
家に帰れば両親の不仲が気になって、母の愚痴を聞き、父の主張を聞き、どうにか伝えようと気を張っていた。
パニック発作や不眠で薬が増えた。
3月には包丁で手首を切り、家出して、一人暮らしを始めた。
波乱があって、安定しだしたこの一年。
父の手術は全身麻酔で14時間にも及ぶ大手術。
成功率は9割を超えるもので、父自身の体力もあり医者も驚くほどの回復力をみせた。
それでも、心配で心配で、手術が必要だと告げられた瞬間から心配し続ける母。
医者と直接原理的な話をして自力でリハビリをする父。
術後の感染症を過剰とも思えるほどに心配し、心配をくみとってくれない、と泣く母。
すれ違いは、すっかり退院した今も何かしこりを残してしまっている気がする。
変形股関節症だった母の人口股関節代替手術。
どの病院がいいのか?
リハビリはどのペースでやるべきなのか?
どんな雰囲気なら母ができる限りストレスなく入院できるか?
どんな先生なら母は安心するのか?
どんな人工股関節があるのか?
手術法は?
人工股関節の強度は?術後に可能な姿勢は?痛みは?傷の大きさは?
医療の知識なんて父の手術の分しかなく、ほぼゼロに近い状態から、
変形股関節症について父や姉と必死に学んだ。
本を読み、論文を探し、知識と母の感覚と、ベストになるよう知恵を練った。
母にも簡単に、判りやすいように、資料やアイデアをメールで送って意見を仰いだ。
でも、レスは一度もなかった。
両親の不仲はいまだ続く。
家に帰れば母の同じ話だろうが何度でも聞き、
夜中に帰ってきた父にそれを伝え、次の策を練る。
次の日、一緒に住んでいない姉にメールでまた連絡をとる。
毎日のようにそれを繰り返した。
耳が聞こえなくなることがよくあった。
文字が読めなくなって、学校のゼミの資料が作れなくなったりすることが出てきた。
家族に相談できなくて、学校では過呼吸を起こし、電車に乗ればパニック発作が出た。
パンクしそうだった。
当時の恋人とは、別れた。ようやく。
母の手術も120点満点!と言われるほどの出来だった。
ほっとした。
でも、それからがまた大変だった。
人工関節はしょせん人工、自分の関節のようには動かない。
考えて考えて、ベストの道を選んだはずが、
リハビリの辛さで母の神経はこれ以上ないほどに張り詰め、もうどう対応しても八つ当たりされた。
でも話を聞けばどうにかなると思った。
父の思いも、母の辛さも。
尖った声で話す両親を見たくなかった。だから聞いた、聞いて、聞いて、聞いた。
暴力的な言葉で言い合う機会が少しでも減らせたら、自然とどうにかなると思った。
リハビリの方法をもっと調べた。
できるときは、筋トレを自分も一緒にやった。
食事制限にいらつく母をどうにか笑顔にしたくて、いろんな都合のいい楽しい話をした。
ダイエットが上手くいくよう、買い物の仕方や料理を父と考えた。
理不尽だろうが、家族でがんばろうねって。
でもある日。
「焦りとイライラで自分のことだけでいっぱいいっぱいになったお母さんを誰も受け止めてくれなかった」
「薬に頼ってふにゃふにゃしてるお前に言われたくないね」
「こどものくせに、おやの間に入ってくるんじゃねぇよ」
なにか限界がきた。
初めて自分の部屋に鍵をかけた。
ドアを開けろと何度もドアを叩かれ、開ければ勝手な主張を押し付けられた。言葉はもう耳に入ってこなかった。
無理やりドアを閉め、ぼけっと座って泣いたあと、余っていた睡眠導入剤を一気に飲んだ。
そして毎日手首にカッターをあてるようになって、3ヶ月を過ぎていたその日、
もっと切ってしまいたいと思って、風呂場で包丁を手首に突き立てた。
薬が効いて眠くなって来たころ、夜遅く帰って来た父に見つかった。
次の日の朝には、姉の家に連れて行かれた。
まだ薬が残っていて、頭がよく働かなかったけれども、
自然に接してくれる姉夫婦+2歳になる姉の息子の「ふつう」な家庭の雰囲気に、なぜか涙が出た。
「こんなに、何にも耐えなくていいんだ・・・」
そうつぶやけば、そうだよ、いままで、本当によく頑張ったね、ちょっと休もっか、と姉が頬を撫でてくれた。
手首の傷は思ったより深く切れていなかった。
ただ、ちょっと膿んでしまっていたので病院に連れて行ってもらった。
「あと5ミリで神経切っちゃってましたよ、もうやめましょうね」
手の傷なんかより、医者の言葉を頷きながら聞く姉の表情のほうが、何倍も、痛かった。
同時に、一人暮らし計画が発動した。
あちこちを転々しながら超特急で準備をして、
父に朝早く姉の家へと連れて行かれた日から10日で新しく一人暮らしを始めた。
10日間、一度も母と会わなかった。
一人暮らしを始めてから一度、今度はリストカットとオーバードーズで一晩入院した。
両親が、来てくれた。父に、母に、申し訳ないと感じた。私にも何か変化が生じているんだと思った。
今は、ウツやら自傷癖を早く治したいと、前を見れるようになりたいという思いが出てきた。
引っ越してからもう3ヶ月近くたつなんて、信じられない。
体も頭もまだまだ完全回復はしていないけど、半年前よりは確実に良い方向に向いているだろう。私も、母も、父も。
母が嫌いなわけではない。
母に愛されていないと感じるわけでもない。
でも、なにか、近づきすぎてしまったのかもしれない。
「誕生日、ありがとう」
今年はその言葉が言えない。
感情がもっともっと複雑だから、そして、受け取る母の気持ちも安定していないから。
ごめんね。
来年か、再来年か、定かではないけれど、産み育ててくれたあなたに
また素直にお礼を言えるようになりたい。
今年こそは前を向く年に。
回復し、貼りつけない笑顔を。
周りにいてくれるすべての人に、心からの感謝を。
シンプルな目標を、確実に達成しようと思う。
高校の同級生が出産した
年齢的にはさほど珍しくないことかもしれないけど、
中高が進学校で
唯一公立だった小学校の同級生とはほとんどもうつながりがないから
あたしの周りでは結構珍しい
十月十日おなかのなかで育てて
今は寝る間もないくらい忙しく子育てをしている
かわいいかわいいって言いながら
毎日の成長を なんて貴重なんだろう なんて幸せなんだろうって言いながら
同い年なのに、こうも違うものか
「ものはいいよう、考えよう」
と題された彼女の日記は、毎日毎日できることが増えていく息子をみて
どれだけ幸せなのかを再認識したと綴られていて
そんな文章からは同時にまた一歩成長した彼女の姿が垣間見えた
かなりいいところから内定をもらえていたくらい優秀な彼女は、
母として女性としてまたさらに輝いてくのだろう
それに比べて、自分は
なんて出来の悪い人間なんだろう
こんな感じ方は
ものは考えよう、と書いた彼女の本意でないことは明らかだけれども
自分があまりにもなにもできなくて
まだ甘ったれたこどもで
やっぱりうつなんてただの甘えで怠けだ
病気だなんだと周りに甘えている場合ではない
できないのは自分のせいだ
まわりがどうがんばっても追いつけないほど優秀?
ちがう、自分の頭が悪すぎるんだ
努力が足りない
気分だけ焦って無駄に泣いてる場合じゃない
さっさと頭を動かさなきゃいけない
心底自分のくず加減に嫌気がさす
※
多少の警告をいただきましたがこっちはもともとドロドロ暗ーーぃの専用だったので
ピグなんて機能ついちゃったけどw
相変わらずこっちは暗い話題がつづきます。(ダンナサマに広く知られてしまったなら消しますが)
えぐさ抜きならjugemのほうを見るといいんだぜ(*′ω`)♪
