2018年4月7日、8日の二日間、奈良県橿原市で行われた「春の神武祭」に行ってきました。
(1つ前の記事から読んで下さっている方は既にご承知と思いますが、「橿原」は「かしはら」と読みます。)
神武天皇を祭る橿原神宮は、近鉄の「橿原神宮前」駅から徒歩5分ほどの所にありますが、境内は非常に広く、最初に見えてくる一の鳥居から拝殿まではさらに5分以上かかります。
こちらが一の鳥居。
砂利敷きの参道を進んで行くと、二の鳥居、さらに南神門を経て外拝殿前へ。
社殿の背景は大和三山の一つ、神武天皇ゆかりの畝傍山(うねびやま)です。
今回、初日の7日(土)は気温が低く、また風も強くて参拝の方はそう多くない印象でした。
一方、境内に設けられた特設ステージでは、神武祭のオープニングコンサートとして、畝傍高校音楽部のコーラスが披露されていました。
今にも雨が落ちて来そうな空模様だったので、コーラスを聴いた後、この日は早めに会場を離れて橿原市内を散策しました。
まずは、橿原神宮北参道の入口前にある「ジェイテクトアリーナ奈良」。
トヨタ系の株式会社ジェイテクトがネーミングライツを取得したのでこの名称になっていますが、要するに橿原公苑第一体育館です。
(この場所は明日また出てきます。)
さて、そのまま北参道の先へ歩いて行くと、すぐに橿原考古学研究所とその附属博物館が現れます。
橿原考古学研究所は埋蔵文化財に関する日本有数の研究機関で、特に古墳時代の遺跡発掘成果が有名です。
博物館の入口の目につく所には・・・
金銅製の履(くつ)があります。
まぶしいほどの輝きを放っていますが、実はこちらはレプリカ。
実際に藤ノ木古墳から出土した国宝は、館内の展示スペースにあり、長い時を経て色は青緑色に変化しています。
続いて、こちらも古墳からの出土品。
歴史の教科書で読んだ大型の円筒埴輪(はにわ)。高さは2mほどあります。
結局、橿原考古学研究所附属博物館には2時間近くいました。
次は藤原宮跡へ。
藤原京は奈良の平城京の前の都で、東西・南北に直交する街路を持ついわゆる「都城」としては、確認できる日本最古の都とされています。
その中心施設が藤原宮で、現在は大極殿などの柱列の跡が再現されています。
藤原宮の北側には醍醐池という小さな池があります。
その堤は桜の並木になっているのですが、今年は桜の開花が早すぎたので既に葉桜になっていました。
堤の下は菜の花畑。
桜の盛りには黄色い菜の花とのコントラストがきれいだったでしょうね・・・。
雲が切れて薄日が差してきましたが、夕方が近づいて気温はさらに下がってきました。
この日は、江戸時代の町並みが残る「今井町」に寄ってホテルに戻ります。
今井町は、周囲を堀で囲んだ「環濠集落」として有名で、古い町並みはCMのロケ地としてもたびたび登場しています。
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2日目、4月8日(日)。
この日は、ゆっくり起きて昼前にもう一度橿原神宮を参拝。
北参道から市街地へ出ると、ちょうど華やかな衣装で撮影が行われているところでした。
場所は、昨日前を通り過ぎたジェイテクトアリーナ奈良。
体育館がこの日行われる「参道パレード」の出発地点になっています。
参道パレードは神武祭の目玉イベントの一つで、特に写真前列中央の方々は古代の女帝、卑弥呼、推古天皇、持統天皇を演じます。
こちらの写真では左から推古天皇(吉岡新菜さん)、卑弥呼(辻本恭仁子さん)、持統天皇(前垣美沙さん)で、お三方とも現在(2017年度)の橿原市観光親善大使「さらら姫」を務めていらっしゃいます。
13時30分。
ハーレーダビットソンの車列を先頭に参道パレードが開幕。
橿原市の姉妹都市である宮崎市など、多数の参加団体の後に「創作女帝衣装みやび行列」がやってきました。
まずは、邪馬台国の「卑弥呼」女帝。
邪馬台国は九州にあったのか近畿地方にあったのか、今でも論争が絶えませんが、このお祭りでは3人のうち最も初期の女帝として登場します。
卑弥呼(演:辻本恭仁子さん)
続いて、推古天皇。
初代の神武天皇から数えて33代目。初の女性天皇として、また聖徳太子がその治世を助けた天皇としても知られています。
推古天皇(演:吉岡新菜さん)
推古天皇役の吉岡新菜さんとは、実は今回が初対面ではありません。
前回記事の「関西観光展」で奈良県と橿原市の紹介のため横浜に来ていらしたのが吉岡さんでした。
その時に顔を覚えて下さったのか、こちらにも何回か視線を向けて下さり(当方の思い過ごしかな?笑)、素敵な笑顔のショットを頂戴しました。
最後は持統天皇。
第40代 天武天皇の皇后となった鸕野讃良(うののさらら)皇女は、後に天武天皇を継いで第41代の持統天皇となります。
持統天皇(演:前垣美沙さん)
持統天皇は、昨日見てきた藤原京の造営など、現代の橿原市にも影響を与える大きな業績を残しています。
また、橿原市の観光PRキャラクター(いわゆる ゆるキャラ)の「さららちゃん」や、観光親善大使「さらら姫」の名は、もちろん持統天皇の幼名「うののさらら」にあやかったものです。
日本の古代史において重要な地位を占めるこの地方については、とても二日間の訪問だけでは見尽くせません。
かと言って、ずっとここに住む訳にもいかないので、今回は一旦これで一区切りとしたいと思います。















