☆ 健康維持のバロメータ~ ☆ -6ページ目

☆ 健康維持のバロメータ~ ☆

心不全の諸症状と戦いながら10年、元気になるためには、体に余力の力があるかどうかのバロメーターを知り、
体への負担を最小限に過ごすことが大切だと知りました。

いろいろな経験から得た知識や体験から模索した「ナースのつぶやきブログ」です。

「その心のままで、りっぱな看護師さんになってねラブラブ




私がまだ学生だった頃のお話です。



その頃の病院は、まだ今とは違い、消毒薬の匂いが病院に立ち込め、薄暗く、「怖~い」イメージです。



医療費も老人や社会保険の本人だと月の初診料のみ300円だったかな?と言う時代です。



看護学生と看護師さんにも格差があり、名前も呼んでもらえず「学生さ~ん!」 か呼び捨て!


学びたければ、「盗み見て学びなさい!」 「看護師さん、先輩にナースコールを取らせてはいけない、必ず先にとって報告すること」 ・・・で報告の仕方が悪ければ叱られる。




分からないことを質問すると質問ぜめ!など、今、思いだせば軍隊に居てるような環境ガーン



「この人たち、ほんとうに白衣の天使?」




今、思えば、看護師長は、戦争体験のある時代を生き抜いてきた人、命を向き合う仕事なんだからの厳しさだったからと思える歳になりました。




初めて、受け持ったのは、死を待つ老人病室?でした。




この部屋に入っているおばあちゃんは寝たきり状態。今の医療制度では難しくなりましたが、自宅で最期を看取れない家族の預け場所。




当然、学生の私達が世話がかりとしてはもってこいの仕事です。そのような環境で寝ていたおばあちゃん達が「もう一度、歩いて花見をしたい」と・・・しょぼん




もともと、おばあちやんをバイクに乗せて喫茶店に連れていくほどのおばあちゃん子だった私。学生時代に器械体操で筋肉づくりの勉強もしていた経験から、「もう一度、花見に連れていってあげる、リハビリ頑張ろう~音譜」と簡単な気持でリハビリを・・・・。




まずは・・・と始めたのが




旗揚げ体操。手足を動かす脳を活性~と「右旗上げて、左旗さげる・・・」 しりとり、おじゃみとよく時間をつくって遊んだ。




リハビリは筋肉が拘縮(関節が固まっている様子)があり、思うように起きてすらこれない!ゆえにリハビリは拒む。




仲良しになり、私が来るのを待ってくれるようになったおばあちゃん達に「もう遊びに来ない~」と脅し手段!




・・・でリハビリ再開。




辛かった試練を乗り越え、歩行器歩行。念願のお花見へ桜




その後、私は勤務場所移動しょぼん




おばあちゃん達は、「寂しくなったよ」とリハビリしながら会いに来てくれたラブラブ




・・・のもつかの間。




次々にこの世を去ってしまったしょぼん




何度も、危篤状態のおばあちゃん達に会いにと看護師長さんに頼んだけれど、「駄目ビックリマーク




そんな時、最後の一人のおばあちゃんの家族が申しでてくれて面会することができた。病室に行ったときには、昏睡4日目の状態。「なんで頑張って自宅に帰らなかったの~。私と一緒に頑張らなくとも、歩けるようになって帰りたいから頑張ると約束したのに~しょぼん」と泣きじゃくると




意識のない、おばあちゃんの目から涙が流れた汗




そして、翌日、おばあちゃんもこの世を去ったしょぼん




「なぜ頑張らしてあげてくれなかったの~」


「看護師さん、遊んでしゃべっているやん!」




退職届けを手に看護師になることをやめる決心をした。




どこから聞いたのか、「辞めないで、おばあちゃんは、出会えてよかったと・・・。」そして、おばあちゃんを大切にしてあげなければと考えさせる機会を作ってくれた学生さんには感謝すると・・・おばあちゃん達の家族が私に会いに来てくれた。




そして、「その心のままで、りっぱな看護師さんになってね」とラブラブ




よく考えると何も学びもできていない私。偉そうに辞めるという資格すらない自分自身を知った。




「今の心にままで、命に向き合えるような、りっぱな看護師になろう~」と決心をした。




あれから、30年余り・・・






いつまでも、、初心を忘れず、


その心のままの看護師さんでいたいですねドキドキ