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第十九期 竜王決定七番勝負


第十九期竜王戦七番勝負

将棋界は羽生七冠達成以降、羽生、佐藤康、森内の3強と言われて久しい。

後続のニュースターは出てきたものの、タイトル奪取にいたるのは同世代の棋士ばかりで、「羽生世代」と言われる壁を作った。


いわゆる「10年に一人の天才」が中原誠以降、谷川、羽生と続いたとするなら、その次の10年の世代に一人の天才棋士が渡辺明だという意見には多くの人に同意していただけると思う。渡辺はプロデビューが中学生と早すぎて、羽生と比較されてかえって活躍が目立たない時期が続いたが、二十歳を過ぎてそれまでの取り組みが目立った成果を上げ、その勢いは彼を棋界最高位の竜王に一気に到達させた。


竜王は1988年に制定された比較的新しいタイトルで、名人のタイトルに代わって将棋界最高のものに位置づけられた。この竜王戦の挑戦者には、なぜかその年で最も勢いのある棋士がなることが多いと言われる。これまで連続3期しか防衛記録がないのも事実である。渡辺は当時の名人でもあった森内竜王を破ることで単に勢いのある棋士ではないことを証明し、さらにその後の好成績とタイトルを維持することで棋界の新しい第一人者としての評価を徐々に獲得しつつある。公平に見て、棋界は現在3強+1の時代だというのが実情ではないだろうか。


さてその渡辺竜王に昨年挑戦したのは、やはりその年で最も勢いのある棋士、3強の一人の佐藤康光棋聖だった。


将棋自体が日々進化するなか、3強はそれぞれ独自の取り組みで自己を進化させ、その地位を確保し続けているように見受けられる。NHKの人気番組「プロフェッショナル・仕事の流儀」で紹介された「将棋の勉強をしなくなった」最近の羽生の生活は別次元のものとして、森内と佐藤は独自の将棋研究をさらに深めるところに進化の境地を見出してきたようだ。特に佐藤は、以前は絶対指さなかった戦法(例えば振り飛車、右玉等)を最近は多用するようになり、昇華した独自の最先端研究や棋理が抜群だったためか圧倒的な強さを見せ付け、彼のこれまでの棋士人生でピークとも言える時期を迎えていた。


「彼(渡辺竜王)とは読みが合わない」としきりに唱える佐藤棋聖、佐藤乗りの声が多い風潮に「私は下馬評を裏切るだろう」といつもの大胆発言をする渡辺竜王。この2人の七番勝負は、「勝負の流れ」の存在を大きく意識させるものとなった。この本の序文で渡辺竜王自身も、この七番勝負の流れを大きく意識していたことを告白している。これは2人がお互いの人物をイメージしあった結果発生した現象であり、当初はすれ違っていた2人の想いが、直接対決を通して強くコミュニケーションしたのが今期竜王戦だったと言えると私は思う。


全局を通して、稀に見る「精力戦」だったことがあらためて深く伝わってくるのが本書である。第三局の124手目△7九角、第七局の2手目△3二金、この2つの手が我々観戦者にとっても特に印象的だが、指された側に与えた印象が勝負に大きく作用しているのが解り興味深い。


本書と関係はないが、6/15の名人戦第6局での大逆転劇を読み解くのに大いに参考にはなるようにも思う。

お知らせとお詫び

皆様お久しぶり、月下の調べ♪です。

しばらくの間、体調を崩してアウトプットを出せない生活を送っていたのですが、それもようやく復活しつつあります。自分というものを見つめなおし、どうやって生き抜くべきかその術を少し身に付けることができたように思っています。

文章を書くという行為そのものにしばし思考活動の場を求めていた私ですが、書くことを辞めている間もいろんなことが頭をよぎりました。

小説とは何か?という広辞苑を調べても帰ってこない問いは、やがて文化とは何か?芸術とは何か?というとめどない概念に広がり、何度か着地と離陸を繰り返しました。

文章表現とは何か?ストーリーとは何か?という部分的なテーマの答えさえもまた、なかなかその実態の変化が留まりを見せてくれません(もちろん自分の勉強不足に起因しているところは大きいと思うのですが)。そして、体をあまり動かさなくとも、いろんな出来事を目の当たりできたり、世の中に関与していけるという文明の恩恵を受け続けることができました。

新しい文化に触れたときに自分の中に産まれたものを表現したり昇華させてみたい衝動に駆られるのは、自分がまた健康になってきた証拠だと思っています。小説という手段を使って照らしてみたいものは、多すぎて膨らみすぎて動きすぎて、書き留めるのをやめてしまいました。

人生の新しい夢と展望も産まれました。当面はそちらに注力しつつそれに体力が耐えたれるかを試してみたいので、ネタ量と反比例して小説やエッセーを書く時間はとれないでいます。

しかしまた、この場で発表したいものが書けましたら必ず掲載することをお約束して、これまでの読者さんへの非礼のお詫びとさせてください。

「ステイゴールド女」 最終話

最終話「気まま」

2001年暮れの有馬記念(GⅠ)は、その年の菊花賞馬マンハッタンカフェが完勝、世代交代を印象付けて5歳のテイエムオペラオーに引導を渡した。その頃になると、ショータの後遺症はようやく癒えてきたが、「奇跡の末脚」の謎がわからないままだ。仕事納めも終えたある日、ふと思い立って、手元の香港レースのビデオを見返しはじめた。何かを忘れるかのように、一心に。何度も、何度も。


注目したのは「奇跡の末脚」にギアチェンジする瞬間。残り200mでエクラールまで5馬身差に追い詰めたところ、ここまではいい。最後の11秒間、ここからステイが見せた次元の違う加速は何だったのか。武騎手はステイに何を指示し、そしてステイの脚に何が起きたというのか。

 あれっ?おかしい。加速する直前の地点ではステイは内側のラチ沿いを走っている。右回りを終えてラスト400mの直線に入ったときは確かにラチから離れたところを走っていた。もう一度見てみる。ややっ、こいつまた斜行して内ラチにもたれてしまっている!ラスト200mという大事な場面にきて、ステイが進行方向右側にヨレて、同じラチ沿いを走るエクラールの真後ろに潜りこんでしまうというハプニングが起こっていたことにショータは気がついた。

 秋の天皇賞の記憶が蘇る。内ラチにへばりついて減速していくステイの姿。‘98年もそうだったというではないか。当時は左側だったが、ここに来て右側にモタれるなんて。ステイの悪い癖。エクラールの真後ろでなくても一見致命的だ。

武騎手は持ったままだから、手綱で左側に向け直したはず。確かに左方向へ進路変更している。もう一度見てみると、確かにこの左に向いた頃から加速がはじまっているではないか。なぜだ?今度はもう一度、少し視線を落としてこの進路変更の瞬間を見てみる。もう一度、もう一度見てみる・・・。もしや!


 手前、つまり馬が走るときの左右の脚の順番、これがキーワードになった。手前が変わっているのだ。スローで見てみるとよくわかる。手綱で左側へ行くよう指示されたため、それまで道中ほとんど右手前ばかりだった走りが、ここで左手前に変わっている。左に向いたのだから自然なことだ。そう言えば、よく左にモタれたし、左回りの府中競馬場のレースが得意だった馬だから、利き脚は左脚だったのだろう。ラスト200mの走路で見せた加速は、フレッシュな左脚とステイの気ままさが偶然産み出した、まさに「奇跡の末脚」だったのだ。

「ヤロウ、大事なレースで好き勝手に走りやがって。」

ゴール前のさらなるひと伸びも、捕らえるべきライバルに並んだことで闘争心に火がついたのだろう、と理解できた。武騎手がムチを使わなかったのも、ステイが嫌いだったとしたら───きっとそうなのだろう───むしろ好結果に繋がったのかもしれない。

流したままのビデオから誇らしげなステイの姿があらためて映し出されたのを見て、調子に乗るなコラ、とショータはこづくフリをした。


2002年が明けると、感動のラストランで締めくくられたステイゴールドの競争生涯がマスコミ界を中心に異例のセンセーションを呼んでいたのが明らかになった。書籍やビデオが続々と発売されはじめ、JRA賞は特別賞を捧げて、彼の海外2勝という偉業を称えた。ドバイで破ったファンタスティックライトが昨年は6戦4勝2着2回と絶頂期であったことも、ステイゴールドの評価を大いに押し上げた。そして香港のGⅠ勝利は、この馬の持て余さんばかりの能力を証明する揺るぎない記録となったばかりでなく、その奇跡がステイゴールドをこれまでの競馬史上有数のスターホースの座に到達させた。負け続けた苦しく長い日々が「黄金旅程」の香港名と重なって、ラストランで昇華する物語に多くの人々が涙した。

あの目黒記念の頃だったか、JRAのキャッチコピーで使われた「愛さずにいられない」。ステイを正面から写した、こう白い文字で書いてあるポスターのフレーズが今、この馬の感動の物語のテーマとして再度大きく採り上げられている。当時も今も、確かにふさわしいとショータは感じた。これこそ、まさにステイの魅力を表した形容だと。しかし、今はこういう思いも重ねて、あらためて受け入れることができる。

着順も、レースの距離もグレードも関係ない。向けられたほうに走り、せかされたらその気になってから走り、走りやすい方向に傾いてみたり、嫌いなムチを入れられたらヨロけて、ライバルへの闘争心の分だけ全力で走る。この馬は、人間たちの冷ややかな笑いや賞賛、切ない思い入れや愛情さえもよそに、その青春をただ、ただ気ままに走って過ごしていただけなのだと。


2002年もすっかり春になり、マンハッタンカフェが天皇賞・春で3つめのGⅠ勝利を収めたゴールデンウィークのさなか、不意にマチコからのメールがショータのパソコンに届いた。表題は「結婚しました」。現在はロンドンに住んでいるのだという。本文は短く、年末からの経緯にも触れられていない。

彼女が真っ赤な乗馬服と黒い帽子姿で、鬣(たてがみ)の長い白馬に跨っている写真が添付されている。ペンキの真新しいコテージと曇り空がバックで、休日の風景なのか、新婚旅行で立ち寄ったところなのか。カッコよくキメたつもりが、彼女ひとりのニヤけ過ぎた笑顔で台無しになっている。馬の脇で手綱を持っている日本人男性がダンナだという。優しく笑っていて目がパッチリしているヒトなのかどうかはよくわからないが、その穏やかさから包み込むような雰囲気がにじみ出ていて、あの彼女に「ついて行く」と言わしめたことを納得させられる。

どんな言葉が交わされているのだろう、何がそんなに可笑しいのだろう・・・写真を見れば見るほど、彼女の満ち足りた様子だけが間近に伝わってきて、逆にイギリスよりもさらに遠くの存在に思えてくる。わずかばかりの未練に気が付いて、ショータは写真から目をそらした。

メールの一番下に一言「種付け済み」って、デキちゃった結婚かよオイ、しかたねぇなぁ・・・。「最後は笑うところですよね。」と一言だけ書いてメールを返信し、同時に彼女からのメールも閉じた。

「見せつけてくれて、まったく。」

正直、うらやましかった。彼女もまた、ステイと同じように気ままに生きて、そして幸せを掴んでみせたのだ。

・・・そうか。


そうだ、あの人は見抜いてたんだ!そんなステイがいとおしく、また憧れでもあったのだ。


彼女の言葉たちが蘇る。目黒記念の時の電話も、いや最初に声をかけてくれたときにはすでに、もしかするともっともっと前からなのかも知れない。スペシャルウイークに敗れた天皇賞・秋での幻影は、そんな彼女にだけに見えたステイの輝きだったろう。ホースマンたちと多くのファンを翻弄させ続けたステイの内なるものこそに魅力を見出し、さまよえる時の生き方さえにも明かりを照らし、長い迷走のゴールを天高く差し出す。彼女はそうやってステイとともに走っていたに違いない。ショータはそう考えると、あの馬を追いかけた日々から、もどかしく、悔しかった想いだけを、全て忘れていけそうな気がした。



その後、あの、ステイゴールド女からの連絡はない。


~終~


「ステイゴールド女」 第十話

第十話「奇跡の末脚」

決戦の金曜日は、遂に幕を開けた。

場所がわからなかったら電話して、という言葉は結局必要なかった。時間通りにチャイムが鳴る。こういうところはいつも几帳面だ。「よっ」と軽く言って入ってきた彼女は、しかしいつもより言葉少なげだった。ただ、質感のいい上着に、赤紫の鮮やかなロングスカートの格好はそれだけで、この部屋のじっとりとした雰囲気をかき消してしまうほどの眩さを放った。あらためて見とれている場合ではない。早速ワイドテレビ正面のS席にご案内する。彼女は左側を空けてちょこんと座り、そのスペースをショータがのそりと埋める。競馬場からショータの部屋へと場所は変わっても、レースを観戦するときの二人の位置取りはいつもと同じだ。

届いたばかりのビデオは事前再生でチェックできていない。「友」が親切にも同封してくれていたメモをこっそりカンニングして、つまらないであろう前振り、そして興味のない他のレースを頭出しでどんどん飛ばした。今日はこんなものを見るのに費やしている時間はない。デッキのカウンタが「ここから」とメモに書いてある時間になり、再生モードへ。華やかなプレ・セレモニーのあと、香港ヴァーズのゲートイン。ステイゴールドの9番のゼッケンには、日本の国旗マークとともに「黄金旅程」と香港名での記載があった。

「へぇ、こういう訳しかたをするんだぁ。」

馬名フリークのマチコは、香港名にも注目していたらしい。けして好みの可笑しいネーミングではないのに、本人は感心している様子。そのステイもゲートに収まり、最後のレースが、画面を見つめる二人の目の前で、今、始まる。

 穏やかにスタート。前の2、3頭で先行争いがはじまり、馬群がやや縦に伸びるがそれほどでもない。少し速めのペースを察してか、武豊騎手のステイは後方で待機した。日本語実況が読みあげる強豪のなかに、UAEからの刺客エクラールもいた。鞍上はまたもあのデットーリ。こちらはやや前めでレースを進める。

第三コーナーを曲がるラスト800mあたりでエクラールが先頭に立つ。そのまま巧みなコーナーワークを利して徐々に差を広げ始める。ここで動くかどうかは騎手同士の心理戦、ステイはまだ動かない。ラスト600m。気がついたときには世界のデットーリが自信満々の抜け出し。5馬身差をつけている。デットーリ得意の戦術だ。ステイも第四コーナーを迎えてようやく先団グループへと取り付くが、こいつらが邪魔で外を廻らざるを得ない。ラスト400mで直線へ。先頭と後続の差はもう7馬身ほど。ステイが動き、馬混みを捌いて3番手から2番手へ上がってくる。なぜか武騎手は手綱追いだけでムチを入れない。ついにラスト200m、5馬身差までつめよるが、勢いの伸びが止まったかのように見える。これでは届かない!言葉にしてしまいそうになるのを、レース結果を知っている理性がなんとか抑える。

すると突然、ムチが入ったわけでもないのに、ステイがギアチェンジしたかのようにぐいぐいと加速を始めた。何が起こったというのだ?武騎手は確かに手綱追いのままだ。ラスト100mを切るあたりで3馬身あまりの差、しかしもはやセイフティーリードか。速度を増しつつ2馬身、1馬身と詰め寄るが、ゴール板はその姿を現すのを待ってくれなかった。

「届かねぇじゃん!」

今度はほんとに言葉にしてしまったときに、ステイがさらにもうひと伸びを見せ、一気にエクラールをかわしてゴールした。ギアチェンジしてからの走りは、ステイがこれまで見せてくれたことのない、持ちあわせていないはずの、豪脚そのもの。最後の最後で発揮された「奇跡の末脚」だ。

「やったーっ!」

彼女がバチン、と背中を叩いてくる。くるのはわかっていたのだが、今日は上着がないからか、彼女の力がこもっていたせいか、少々痛くて、涙がにじんでくるのを止められなくなったように感じた。

「こんな末脚、今まで隠し持ってやがって。」

ごまかすように理性的に言うつもりだった言葉に感情がこもり、少し目からこぼれた。予め用意されていた新品のカシミヤのボックスティッシュが、予定外にショータ自身のためにまず役に立った。

「うふふ、『見たか!』って顔してるよ、ステイ。」

スタンド前に戻ってきて祝福されるステイを見て、そう指摘しつつ、マチコもティッシュをむしりとる。この人はそんなところまで観察していたのか。そう言えば、レース後のステイの様子なんて、見つめたことなかったな。関係者に囲まれた小さな体のステイは、まだ闘志の火がくすぶっているのか、力強い視線とやや神経質な仕草で、確かに誇らしげにその威厳を放っていた。

表彰式が終わり、ビデオを止め、画面の暗くなったテレビの電源も切る。

「あのね、ショータ」

マチコが切り出そうとするのを、もう心のゲートインが完了したショータが制する。

「待ってください、ボクからお話します。」

正面から向き合って、彼女の両腕を外側から掴み込み、視線でそう訴えかけるとわかったわと彼女は頷いた。荒くなっていた鼻息が彼女の顔に直接かかりそうになったが、この姿勢のまま顔の距離を遠くできないことに気がついて、顎の角度を少し低いものへと修正した。

「入社したときから、ずっとマチコさんのことを見てました。」

スムーズにスタート成功。予定のコースを最初はゆっくりのペースで流す。

「一緒に馬観にいけるようになったのがとても嬉しくて、」

「いつの間にか追いかけるようになったステイゴールドが勝った時、」

「マチコさんに気持ちを伝えようと、ずっと」

「ずっとそう思って、今日という日が来ました。」

少しづつ息を入れながら、徐々に心拍数のペースが上がって、用意していた言葉が第四コーナーを曲がり終えた。最後の直線を前にして、こんなに苦しくなるとは思っていなかった。きっと彼女が正面から見つめているからだ。

「マチコさんがちょっと遠くに行ったりして、」

ここにきて、用意していたはずの言葉が続かない。喉元にそれがあっても、出そうとするときの苦しみがなかなかそれを許さない。

「ステイゴールドもなかなか勝てなくって、えへへ、辛かったけど、」

咄嗟に思いついたアドリブと、照れ笑いで間をおいて、体勢を立て直す。

マチコとあらためてしっかり視線を合わせる。彼女が逸らすことはない。「今のショータなら、言える」と無言のメッセージを受けたように感じて、勢いを増した勇気を全開にしてラストの言葉を放った。

「好きです。だから、もうどこにも行かないでください。」

ついに見せることができた、彼の奇跡の末脚だ。ゴールは目前、彼女の反応を見る。

「あのね、あたし」

今度はあたしの番よね、とキラリと瞳が光って、今度は彼女が彼の両腕を外から握り返す。ショータが全身で、勝っても負けてもゴールのはずの、次の言葉を受け止めようとしていた。

「あたし、目がパッチリした人じゃないとダメなの。」

「へ?」

あまりにも唐突な発言で、一気に夢が覚めた。例によって対応の苦手なショータは、裏返った、情けない発声のあとの言葉が無い。細目のショータを気遣って、彼女はあたかも誤解を解くときのように続ける。

「あたしね、うまく言えないけど、強くて、輝いてる人に惹かれるの。そんなヒトからパッチリした目で見つめられると、もうダメ、落ちちゃうの。お馬さん好きなのも、パッチリした瞳がきれいだから。」

ショータは対象外なの、とは言葉に出さない。恋愛とはそういうものよと、その大きな瞳が真正面から発してくる光だけでそう諭してくる。経験の薄い彼は黙ったまま見つめ返して、ただ受け入れるしかない。

「会社辞めてからね、3人のオトコと付き合ったけど、もうこの人じゃないとダメってヒトに出会ったの。付き合って半年になるけど、そのヒトが来年から外国に行くことになって。あたしついて行くことに決めたの。ついこないだ、もう決めたの。」

次々と入ってくる新しい情報を処理できないまま、言葉そのものだけが耳に残る。もはや、相手とどこで知り合ったのか、何をやってるどんな人なのかなんて聞く気にもなれない。

「ショータの気持ちにはね、気がついていたのよ。でも楽しかったから、ほんっとに楽しかったから。」

その言葉を聞きたくなかったからではない。あまりの辛さに耐えられなくなって、やめてください、という声がすでにぐじゅぐじゅになって完結しなかった。

「ショータのことが可愛かったのよ!だから弄んじゃいけないって。今日はちゃんとお別れを言いにきたの。」

とめどなく涙が溢れてくる。ただそこにあったという理由だけで、彼女の腰元にしがみついて、スカートに顔を伏せて彼は泣いた。その間のことは何も覚えていない。マチコの太ももの感触も、体の温かみも、そして彼女が声をかけてくれたのかそうでないのかさえも。わかっているのは、醜い声を押し殺せなかったことと、彼女の赤紫のロングスカートを少々汚してしまったらしいことだけ。

 どのくらいたったろう、記憶が戻り、顔を上げる。彼女がいやな顔をすることもなく、ずっと起き上がるのを待ってくれていたのだと気がついて、ショータはこれ以上ないほど照れた。彼女がボックスティッシュを2、3むしり、彼の顔の汚れを拭き取った。

ショータの奇跡の末脚は、しかし彼に栄光をもたらさなかった。「これからはボクがマチコさんだけのステイゴールドになりますっ!」勝利者のものとして用意されていたこの言葉も日の目を見ることなく、ショータの胸の内ですでに消滅していた。

「じゃ、もうあたし帰るね。お腹空いちゃった。あはは。」

ショータの体を離れ、彼女は立ち上がった。玄関で背を向け、靴を履くのに手間取っているかのようだった。言葉がしばらく間をおいて、それだけがらしくないように感じた。やがてドアノブに手をかけて、振り返ってじゃあねというかわりに、

「あたしの前で泣いたオコトは、あなたで5人目よ、えへへっ。」

と最後の微笑みをプレゼントし、音もなく生じたドアのわずかな隙間にすっと消えていった。最後のも、いたずらっぽい、やはり魅力的なものだった。

やられた、今日は全てのものに裏切られた。全身の力が抜けたショータは、彼女を外へ見送ることもできないままぐったりとカーペットの上に横たわり、翌早朝の5時まで8時間、ずっと起き上がることができなかった。

「ステイゴールド女」 第九話

第九話「決戦前夜」

 ジャパンカップの着順だけで判断したショータは早計だった。日経新春杯以降、海外やトラブルのレースばかりでステイのデータ分析ができなかったのだが、このジャパンカップは久々のまともなデータを残してくれたレース。これを振り返って分析しておけば、非常にレベルの高いレースであり、ステイは衰えてなどいないことがわかったはずだ。メイショウドトウに先着していることだけからも、うかがえたはずだ。

 ステイが勝ってしまうなんて!最後の最後に香港のGⅠで勝ってしまうなんて!日曜日の夜に速報を知らされ、ショータはガク然とした。当日は現地に数百人からの日本人ファンが詰め掛けていたというではないか。それに、観ようと思えば、例え現地でなくても、ケーブルテレビを放映する飲食店なんかでできたはずだ。ステイへの思い入れは人一倍だと思っていたショータは、諦めてしまっていた自分が恥ずかしくなった。

香港国際レース。毎年12月に香港の沙田(シャティン)競馬場の芝コースを舞台に繰り広げられるシーズン最後の競馬の祭典。「香港スプリント」「香港マイル」「香港カップ」「香港ヴァーズ」という4つの国際GⅠレースが同日開催され、世界のトップホースが集まることで有名である。ステイゴールドが出走したのは、一番距離の長い「香港ヴァーズ(芝2400m))」。当日のレースの詳細はまだわからない。

しかし、ショータの立ち直りは、意外なくらい早かった。いい作戦を思いついたからだ。

彼女を部屋に呼ぼう。好きだったステイゴールドの最後のレースを一緒に観て、共に感動しよう。そうしておいてから、彼女に自分の想いを打ち明けよう。そうだ、ついにその時、まさに「その時」がきたのだ。

ワタナベに頼んで、ビデオを取り寄せることにする。

月曜日になると、彼が勤務している名古屋支店に電話。出張中だという。

「どうしても連絡取りたいんですけど」「携帯持っていっていませんか?」「えっ、忘れていってる?」

電話先の反応の鈍い庶務のおばさんを急かして、なんとか出張先の電話番号を聞き出した。客先の工場に納品に行っているのだという。切るが早いか続けてその工場に電話、「急用なんです!大至急!」と身内の不幸かと思わせる勢いをわざとみせつけて、工場の中にアナウンスをしてもらってまで呼び出しをした。

「なんや、お前か。えっ、ビデオ?」

タイミングが悪かったようで、次の言葉で機嫌を損ねたのがわかった。

「今、立て混んでんねん。こんなとこまで電話してこんでくれるか。」

弁護の余地もなく、一方的に電話が切れた。まずかった。夜にでも謝っておこうと思い、あらためて彼の自宅の電話番号を調べたが、帰宅していてもよさそうな時間になっても繋がらない。どうも「ハシゴ」の出張で不在のようだ。けして深くはない付き合い。絆がこわれてしまったかも知れない。

しかし深夜になって、ショータの電話番号を知らないはずのワタナベのほうから電話がきた。実は昼間のこと気になって、電話番号を彼のほうが調べてかけてきてくれたのだという。

「今日はどうしたん。あんなゴリ押し、お前らしくないで。何かあったんやろ。」

彼は見抜いてる。そして、わかってくれるはずだ。

「実はな・・・」

正直に、下心に満ちた計画も、偽らざる心の中までも全て白状したことで、奇跡が成った。よっしゃ、と言いながら、ワタナベはショータへの労力を買って出る返答をしてくれたのだ。

「持つべきものは友だな、あはは。」

こう表面はおちゃらけながら、しかし心底そう思いながら、頼んだぞと念押しして電話を切った。翌日、まだ出先を渡り歩く彼からメールが届き、香港のレースを収録したビデオを金曜日に到着できるよう、宅配便で発送してくれるという。

肝心のところへの根回しがまだだ。次のステップが本番、マチコ本人に来てもらわなくては。

「ショータです。金曜日なんですけど、会えませんか。」

「夜よね。時間作るけど、どこにする?」

相変わらず、察しがいい。そして一番話したいところをダイレクトに聞いてくる。

「オレの部屋・・・ステイのビデオ、一緒に観ましょう。」

「うん。場所教えて。」

あっさり承諾された。渋られたら、こう言って押そう、と思って準備していた言葉を、マンションの場所の説明のあとに続けた。

「その日は、お話したいこともあるんです。」

「あたしもなんだ。」

マチコも、有馬記念観戦のあとで話そうと思っていたことなので、ステイのいない競馬観戦はキャンセルしてそのときに話したいという。

「願いは通じる」「信じ続ければ成功する」のだと、何かの本に書いてあったことを思い出した。さらなる奇跡の予感は高まる一方だった。何も疑うものはない。初めてのことに際して、ショータは「その時」のイメージトレーニングを開始して、テープと彼女がやってくる金曜日までの残り少ない日々を、ずっと緊張感を消せないまま過ごした。

「ステイゴールド女」 第八話

第八話「ムチ」

「今度ね、群馬の乗馬クラブで働くことになったんだ。」

半年振りの再会の冒頭、いきなり、そして楽しそうにマチコはこんなことを告げた。温泉旅館の仲居はもう辞めたのだという。

「やっぱりあたし、お馬さん好きだし。」

この人の動機はいつも単純だ。素直というべきなのか、直感に正直とでもいうのか。深く考え込んでいるところはとても想像もできないが、その割には行動力のあることをやらかす。そういや、まだ会社にいた頃、夏休みに自転車で北海道の牧場巡りをしたこともあるって言ってたっけ。いちいち、どうしてと聞く気にもなれず、ショータはただ感心するばかりだ。

ステイゴールドの帰国第一戦、宝塚記念では、先行から会心の抜け出しを成功させたメイショウドトウが、仕掛けにもたついたテイエムオペラオーを出し抜いて、遂に念願のGⅠ勝利を達成した。直線勝負になったこともあり、ステイゴールドは4着。遠征帰りはまあこんなものかと、いきなり世界最強馬へ変貌したわけではないステイを確認して、ショータは秋の本格的なローテーションに期待しなおした。

2001年秋、ステイゴールド最後の秋。緒戦はいつもどおり京都大賞典(GⅡ)からだった。休養明けのレースはいつもどおりだろうと、テイエムオペラオーやナリタトップロードらの載っている出馬表を見てから、3着あたりに滑り込む様子をイメージして、一人で競馬場にきているショータは何も心配していなかった。

だから、異変に気がつくのが遅れた。ふと京都を実況中継している場内テレビを見上げると、もう直線に入ったあとで、ナリタトップロードをかわしてステイゴールドが先頭に立っている。オペラ、トップの2頭が巻き返してくるはずだという期待が、そのとおりになっても、頑として先頭を譲らないステイに、また徐々に裏切られていく。後藤騎手が最後の右ムチを入れ、さらに少しだけ伸びて、まさかを確信にさせたのは、しかしその瞬間だけだった。伸びた方向が左にヨレて、1馬身未満の差で追いかけていたトップロードの正面に踊り出てしまった。接触・・・?明らかな進路妨害に審議の心配をする間もなく、脚が絡まったのかトップロードがひどく前のめりになり、渡辺騎手が大きく投げ出された。大丈夫だろうか・・・。そのままゴール。気まずそうに、ステイ、オペラの順にゴール。

やってくれた、これは伝説になるだろう。あの2頭を直線でねじ伏せるというフェアな栄光を犠牲にしてまで、ステイが「伝説」を勝ち取った瞬間だった。やがてレース結果が発表され、ステイゴールド失格。ショータは、伝説にふさわしい結果だと正義感からそう考え、一番手に入線したという記録に残らなくなった結果を見つめていた自分を誇りに思った。諦めたのではない、いつも以上にもどかしく感じながら、そう思ったのだった。

次走は本番、秋の天皇賞。騎手は武豊になっていた。「お手馬がいないもんだから、『ボク、どの馬に乗ればいいんですかね?』とか言ったんだよ、きっと。」と熊沢騎手のこともあって、去年のマチコはイヤミっぽく冗談を言ったものだが、今年はそんなことはない。もうこの天才騎手しか「残っていない」のだ。そして今年もこのレースをショータは狙っている。

2年前と同じ3階席の階段で、去年のような不利がないことを二人は並んで見守る。ステイはスタートも第二コーナーでも問題がなかったが、逃げるはずの1頭が出遅れ。メイショウドトウがかわりにスローペースで馬群を引っ張る格好となった。ステイが2~3番手を内側で走ってくれるので今回はその姿をずっとターフビジョンで追いかけることができる。大きな動きがないまま、第四コーナーへ。一瞬他馬に隠れたその姿が直線に入って、ぐい、と伸びるのが見えた。

「あっ、ステイがいくよ!」

マチコの言葉だ。ショータはレースの最中に言葉を出すことはまずない。ただ今度ばかりは「いけえっ!」という心の中の言葉が、右手の握りこぶしとなって、彼女の言葉と同時に二人の間に突き上げられた。それをマチコが小さな両手で包んでくる。彼女なりの握力で、ちからいっぱい。彼がもう一方の手を添えようとしたその瞬間、しかしステイの勢いが衰えたのがわかった。左にヨレる悪い癖が出て、内側のラチにモタれかかってしまい、いくら武豊騎手が左ムチを入れてもダメ。まともに走れないステイは徐々に後退、前のほうにはドトウとオペラオー。二人の両手は力を失って下のほうへと解け、ステイのレースは終わった。結果7着。

1着争いのほうは、直線抜け出すかに見えたオペラオーを、目一杯の大外から一気に追い込んだアグネスデジタルが勝利。朝からの小雨で重くなった馬場を逆手にとり、誰も走らない脚抜きのいい馬場を確保したのが勝因だった。

4週間後、国内ラストラン、なぜか苦手のジャパンカップ。前走の教訓から、ステイに左眼だけにブリンカーが装着されたという。最後の直線コースこそブリンカー効果もあってか、ラチを避けた外を回っての武騎手の必死のムチ追いに応えてまっすぐ走ったのだが、やや早いペースにもかかわらずオペラオーやジャングルポケットの末脚に屈服。4着というそこそこの結果に終った。第四コーナーでは見せ場もあって、特に欠点もみあたらないレース振りに、ショータは逆にステイゴールドの限界を見せられたような気がした。もう7歳も末、ここまでか。ステイの次走、ラストランは香港遠征なのだというが、相手強化、遠征、ハードスケジュールとさらに悪くなる条件に、勝利の見込みはもうないもの。ショータはそう信じ、波乱万丈の数々のレースの思い出で、自分を満足させようとした。いつものもどかしさがこの日はもうこみ上げてこなかった。

「ステイ、とうとうGⅠ勝てませんでしたね。」

「そうね。でもよく走ったわ。」

さすがのマチコも、ステイの姿を見るのが最後と思うと感慨深そう。ただ、少し悲しそうな目は、心残りを訴えていた。

「有馬記念も行くよ。ステイは出ないけど。いい?」

彼女はもう分かっているかのようにそう告げ、彼も頷くだけでOKを返答した。ラストチャンスが有馬記念。失敗すれば、最後のデートだ。

そのときは、そう思った。そして、マチコへの告白のことだけで満ちた彼の心の中から、ステイはもはや分離されてしまっていた。

「ステイゴールド女」 第七話

第七話「砂漠の夜の夢」

UAE(アラブ首長国連邦)の一つの首長国であるドバイ。その頭首であるモハメド殿下は競馬界に対しての巨額の支援を続けていることで有名であり、その一環として企画されてきた競馬の祭典「ドバイワールドカップデー」が遂に1996年に創設された。それ以降毎年3月に、「砂漠の中の人工オアシス」ナド・アルシバ競馬場で開催されているこの祭典は、プログラムが7つの高額賞金レースで構成されており、特にメインレースでもある「ドバイワールドカップ(国際GⅠ、ダート2000m)」は一着賞金360万ドルという、世界最高クラスの額を誇っている。ステイゴールドが出走する「ドバイシーマクラシック(国際GⅡ、芝2400m)」も、賞金は日本のGⅠと同じレベルだ。レースは現地時間の夜に行われる。日本時間で言えば、土曜日の深夜になる。

 その、「ドバイシーマクラシック」で、ステイゴールドが勝利したという。ショータはもちろん期待はしていたのだが、日曜日のテレビでの結果速報にはさすがに驚いた。快挙だということは判っている。どのくらい凄いことをやってのけたのか、その詳細を知りたい、すぐにでも。今週末のテレビで詳しく放映されるだろうが、待ち遠しくて落ち着かない。

月曜日出社すると、たまたま出張で来ていた名古屋支店の同期、ワタナベに出くわした。入社当時は新入社員研修で一緒に合宿した、文字通り「同じカマのメシを食った」仲である。競馬の話題で花が咲き、合宿先から近い横浜のウインズにも一緒に行った。サニーブライアンが逃げ勝ったレースに一緒に呆れ、そのまま引退されて「勝ち逃げされた」とまた一緒に苦笑した、そんな思い出が懐かしい。

「おう、元気そうやん。『お馬さん』はやっとんの?」

「ケーブルテレビとPATに入っとんねん。毎週ウチでやっとる。」

どこの方言かわからないイントネーションは放っておく。もしかして、とショータは早速その「ケーブルテレビ」という言葉に飛びついた。驚きを顔で表現しながら、

「ステイゴールドは・・・」

と切り出すと、質問の内容も確認しないまま、ワタナベはふふんと得意げになって言った。

「ドバイのレースなら、全部ビデオに撮っとるで。」

頼んだダビングのテープが宅配便で届いたのは、水曜日のことだった。名古屋に戻ってすぐに送ってくれたらしい。早速梱包を解いてデッキにかける。

 スタジオのつまらない解説と座興をはさみながら、数十分おきに現地の1つひとつのレースが繰り広げられる。3つめのレースがシーマクラシック。ダリアプールやカイタノ、インディジェナスといった耳にしたことのある強力なメンバーのなかに、去年のジャパンカップにも出馬していたファンタスティックライトもいるではないか。昨年はジャパンカップこそ3着と破れたが、エミレーツWRCで総合優勝、世界最強の一頭との呼び声もあった。鞍上は世界の第一人者との呼び声高いL.デットーリ騎手で、文字通り世界最強コンビである。前評判は一番手、納得のいく評価だ。

 数日前の海の向こうのレースが、ショータの部屋で今まさに始まる。ステイはスタートも悪くなく、間もなく堂々と自分のポジションを馬群後方で主張する。馬群は固まった一団であったが、けしてスローペースではない。それぞれの馬のベストポジションが近いことがそうさせているのであろう。世界のトップジョッキーたちのレベルが感じ取れるような光景だ。ステイの武豊騎手もまた、その一人である。

 向こう正面で馬群と平行して走る中継車がアップで映し出す迫力満点の光景では、しかし何も目立った動きが映らない。やがて周回内側の中継車が離れ、一団の形が崩れないまま第四コーナーへと差しかかる。カーブを曲がり切るところで、馬群から早めに抜け出しを図った馬を追いかけて、脚色のいい馬が一頭、ファンタスティックライトだ。実況はまだ600mの直線という「期待」が残っていることを教えてくれる。

次の瞬間、馬群に隠れていたステイも顔を出す。またもや武豊騎手の仕掛けの瞬間がわからない。手綱追いだけで、勢いを徐々に増しつつ最後の300m。すでに先頭に立っていたファンタスティックライトと、追いかけるステイゴールド、2頭の一騎討ちの様相を呈してきた。ジリジリと、しかしステイの加速はまだ終わらない。デットーリ騎手が大きなアクションでしきりにムチを入れ、手綱で一体となったままのステイと武騎手が静かに追いすがる。1馬身、半馬身、徐々に馬体が重なって、届く・・・?かわしたとは思えない、並びかかったところでゴールした。何度か巻き戻して見返すと、2頭が並んだところで、首の上げ下げでステイが勝っていたのがようやく判別できた。

確かに素晴らしいステイのレース振りだったが、先着できたこと自体は幸運そのものだった。そしてこの結果はそのまま額面どおり、「世界最強馬」を負かした、としてよいものなのか?ファンタスティックライトはこの年の緒戦であり、本番前の前哨戦かもしれないし、去年ほどの力はもはや残っていないのかもしれない。ひょっとしたら、相手を甘く見ていたかもしれないし、負けてもいいと軽く考えていたのかも知れない。そんなことが頭の中を駆け巡り始める。レースシーンを巻き戻しては、同じことを考え、また巻き戻しては、ぐるぐるぐるぐる・・・・。

いつの間にか、テープを再生にしたまま上の空。ショータはこのレースが、どうしてGⅡなのか、どうしてGⅠじゃないのか、もう納得がいかなくなってしまっていた。メインの「ドバイワールドカップ」で4歳牝馬トゥザビクトリーが2着の快挙を成し遂げ、奇跡の度合いとしてはこちらが上なのかも知れないが、もう気にも留まらない。こうして、中東の砂漠の夜の夢の祭典は、部屋の中の砂嵐へと埋もれて、やがて消えていった。

翌日夜になって、マチコに電話。ビデオを宅配便で泊り込み先の旅館へ送った旨を伝えた。

「最後は届き切れないかと思ったら、首の上げ下げで勝ってやがった。」

「あはは、さすがあたしのステイね。ごほうびしてあげたくなっちゃった。」

彼女は何かプレゼントでも思いついたようだが、詳細は「うふふ、ないしょ」と教えてくれなかった。仲居の彼女にとっては、夜は仕事の時間。合間の電話は長くできず、次は宝塚記念だよ、と再会の見通しを確認し合ってすぐに終えた。

ちなみにこの「ドバイシーマクラシック」というレース、賞金はそのまま、翌年から国際GⅠに昇格されたことは、全くの余談である。

「ステイゴールド女」 第六話

第六話「不遇」

2000年の中長距離のGⅠレースは、次なるステップとしてGⅠ勝利を目論むステイゴールド陣営にとっては、不遇なものであった。結果を言ってしまえば、「横綱」テイエムオペラオーの独壇場。春の天皇賞以降、その年の2000m以上の芝GⅠレース5つ全てを勝利してみせた。この馬の全盛期の走りは、着差こそさほどではなかったが、先行、差しと自在な位置取りから、直線ではライバルに並びかけては必ず競り落とすという、勝負に徹した強い内容であった。圧巻だったのは有馬記念で、最後の直線で前が壁になった大ピンチの状況で、オペラオー自身が壁のわずかな隙間を見つけて割って入り、そして抜け出すのを、全国の観戦者が目撃した。その「賢さ」を見せつけたレースは、オペラオーの安定性、隙の無さを大いにアピールし、引退するまで無敵なのではないかとも思われた。また、同じ世代のレベルの高さから、この馬こそ史上最強馬との声さえも多く聞かれた。

メイショウドトウ、ナリタトップロードの「大関」らも横綱に準じた結果を毎回出した。オペラオーさえいなければ栄光は彼らのものであり、世代が違えば時の最強馬になり得たと多くのホースマンが認め、臍を噛んだ。彼らもまた、不遇の辛さを味わったのだ。

「今日のステイどうしちゃったんでしょうね?」

「きっと、おっきいのが邪魔したのよ、いじわる・・・」

2000mと中距離の秋の天皇賞は、長距離馬ステイゴールドにとって過去‘98年、’99年連続2着となぜか相性のいいレース。2000年のレースも再度武豊騎乗とあって一部で期待されたが、当時有名だった「魔の第ニコーナー」で不利を受けてしまい、見せ場なく7着と敗れた。府中競馬場の2000mのレースはスタート地点が第一コーナー付近にあり、スタート直後に第二コーナーの左カーブに入るという構造的な問題があり、第二コーナーのインコース争いがいつも激しくなるのは当然のことであった。その2年後には数ヶ月間開催を無くして改修・改善されたほどかつての悪名は高く、「秋天は一番人気が勝てない」というジンクスの一因とも言われた。ともあれ、結果的には新しいライバルたちの後塵を拝し、ステイは馬券に絡むことすらできずにその年を終えた。

鞍上のほうはというと、秋の天皇賞以外は後藤騎手が担当したが、やはりなかなか手に負えないでいる様子で、満足な結果を出せなかった。そして、春の天皇賞以来8ヶ月というブランクは、熊沢騎手にはもうステイに乗る機会が二度と来ないことを示していた。

ステイゴールド陣営は、有馬記念の前に来年も現役続行することを既に表明していた。彼らの思いもまた、このままで終わって欲しくない、ということのようだ。

2000年末最後のレースが終わり、ショータは馬券が当たったのにまったく喜ぶことができなかった。ステイが出走するGⅠレースは数ヶ月先のことになるからだ。しばらく会えませんねと、「素直」に寂しがることができるようになったのは、しかし駆け引きの上達でもあった。

「また来年があるから、ね?元気出しなって。」

そう言って、マチコはまたバン、と左手で背中を叩いてくれる。その時の距離が毎回近くなってきているのが密かに楽しみで、ここまでは作戦通りだったのだが、今回は彼の右腕を抱え込んで強く寄り添ってきたので、激しく動揺した。予定外の状況には弱いのだ。抱き寄せ返すどころか、言葉すらも発することができない。

マチコはむしろ判らないようにしていたのだが、実は彼女が買った馬券の変化を目ざとく彼は見つけていた。いつからなのか、復勝ではなく単勝馬券。2着や3着でない、ステイの勝利こそを、彼女期待するようになっているのだ。勝利の喜びは、確かに共有できるものなのだ。そして、確かに近づきつつある距離・・・。彼は「その時」の妄想を、彼女の側面の感触を味わいながら描いたが、傍から見るとただ固まったままの彼を、上目使いでちらと確認する彼女の視線は見逃してしまっていた。

ともあれ、馬券がハズれた彼女が当たった彼を励ますのは、競馬場においては異例の光景だった。

2001年、明けてステイはもう7歳。競争馬としてはもはや高齢であり、同期の馬たちのほとんどが引退してしまっていた。しかし当のステイは衰えを見せず、鬼の居ぬ間とばかりに1月の日経新春杯(GⅡ)を、格の違いを見せつけて勝利した。陣営が発表した次走のプランが、なんとUAEドバイへの海外遠征。その異例さと自信の程に、競馬界が大いに驚愕したのは言うまでもない。

「ステイゴールド女」 第五話

第五話「拍手」

2000年が明けても、ステイゴールドは休むことなく毎月レースをこなした。AJCC、京都記念、日経賞と3つのGⅡレースを2着、3着、2着。着順は相変わらずに見えるが、レースを観た者には、それまでとのレース内容の違いがハッキリと見て取れた。タイミングぴったりのスタート。差しにこだわらない積極的な位置取り。たとえスローペースであっても、早めの追い出しに鋭く反応して先頭をうかがう。瞬発力と結果さえ伴えば、最強馬の横綱相撲、そのものであった。

「強かったですね、今日のステイゴールド。」

「あはは、それで2着ってのがいいでしょ。でも、もう卒業かな?」

出遅れの克服、道中での反応の改善、斜行癖の回避。熊沢騎手の3年に渡る必死の取り組みが、ようやく結実しようとしていた。

迎えた本番、天皇賞・春(GⅠ)に、本物の横綱が出馬してきた。皐月賞馬、テイエムオペラオーである。しかしこの皐月賞馬という肩書きは、未熟な3歳時の結果を表した一時的なものでしかなかった。新聞の予想紙面は、この馬とナリタトップロード、ラスカルスズカで「3強」と一斉に報じた。

果たして、その評価は正しく、オペラオー、ラスカル、トップロードの順に、3/4馬身ずつの差でゴールになだれ込んだ。ステイゴールドの4番手という評価も結果的には正しく、スローペースに決め手を欠いたステイはトップロードからさらに3馬身離された。ただ、レースへの集中力は、それまでとは違い、抜群に高かったようにも見えた。

「土曜日はダメなの。日曜日だったら行けたんだけど。」

天皇賞・春から2週間半後、驚きのニュースを伝えようと慌てて電話したマチコからの返答は、ショータをさらに落胆させた。

「その日は大事な用事があるんだぁ。だからね、あたしの代わりにちゃんと応援してくるのよっ。立川じゃダメだからね、いい?」

驚きのニュースとは、ステイゴールドが土曜日のメインレース目黒記念(GⅡ)に急遽出走することになったことだけではない。騎手が武豊に変わったというのだ。まさか、熊沢騎手が主戦から下ろされたというのか?熊沢騎手をもいつしか応援するようになっていたショータは、一時的なものであって欲しいと内心思ったが、真相はわからなかった。

 レース当日は雨。悲しいくらいにしとしとと降る初夏の雨。ショータは午後一番には府中競馬場に乗り込んでいたが、もはや眼中にない前座のレースで遊ぶこともなく、ただ本番を待つ。午前中に分析してきたのも、この目黒記念だけだ。

 ショータの分析結果は、ハイペースならステイゴールド1番手、そうでなければ2番手の評価だった。強力な逃げ馬がいるのでハイペースは期待できるのだが、雨による重馬場という条件は不安要素だった。落ち着かずに部屋を飛び出してきてしまったショータは、到着してからはしかし何もすることができず、3時半のスタートをじっと待った。3時になると応援の垂れ幕に囲まれたパドックへ。それから地下馬道へもぐったステイを追いかけて、芝生の見えるスタンドへ。会話の相手がいない今日のショータは、透明のビニール傘を片手に、ただ黙ってステイを見守る。

 ターフビジョンがスターターの旗振りをアップで映し出し、ファンファーレのあと間もなく、スタンド前に設置されたゲートが、カシャ、と乾いた音を響かせて開く。出遅れの波乱も、GⅠレースのような一周目の大きな歓声もない。変わったことと言えば、2500mという長距離のレースなのにすぐに先行争いが始まり、競り合った2頭がぐんぐん伸びて他馬を置き去りにしていったことだ。時計と距離標識を見比べなくてもわかる明らかなハイペースで、まずは第一条件クリア。ステイは後方待機している。

 レースが第3コーナーに差し掛かり、馬群に、スタンドに、そしてショータの胸に、いつもの緊張が高まり始める。後続のペースも上がり、いつもなら熊沢騎手が反応の鈍いステイを必死に追い出しにかかるところ、武騎手はまだ強くは追い出さないでいた。逃げ馬の1頭がさらに抜け出し、そのまま第4コーナーへと突入する。先頭からはまだ10馬身以上、重馬場の直線で伸び切れるのか?残ったもう一方の条件、その不安が消せないまま、耳を傾けていた場内アナウンスは歓声で徐々にかき消されていった。

 武騎手は仕掛けの瞬間を大きく見せない。いつの間にかステイに勢いがついていて、前の馬群のカベを大きく避けてその姿を見せたときには他のどの馬よりも脚色がよく、そこへさらにムチが入って本格的なスパートに入った。残り200mで先頭に立つと、力の残っていない2線級の他馬たちは従うしかなく、ステイは2着に1馬身1/4の差をつけて勝利した。溜めて、爆発させる。熊沢騎手とは違う発想の、確かに武騎手の好騎乗が光ったレースだった。「さすが武騎手」とアナウンスまでもが称えたが、ショータは熊沢騎手でも勝てたのだと信じたかった。

レース直後、前代未聞の珍事が起きた。スタンドから拍手が起こったのだ。暖かく、優しく包み込むような、マラソンで最終ランナーがゴールするときのあの拍手と同じものだった。おめでとう、やっと勝てたね、小さい体でよく一生懸命走りとおした、そしてお疲れ様・・・ファンたちの様々な想いが込められているのが感じ取れた。もはや、ステイゴールドはGⅡなら勝って当然の馬と受け取られていたとも言えた。

悔しさがこみ上げてきたのは、ショータ自身でも予期せぬことだった。この拍手は、この拍手だけは許せないという気持ちに駆られた。彼に対してのものではないのに、こんな同情は受けたくねぇよという怒りさえも覚えた。この勝利を心から祝福するという群集の行為に違和感を覚えたのは、けして騎手のことがあったからではない。

これで終わって欲しくない、ステイはこんな勝利で満足して終わる馬じゃないんだ、これはゴールなんかじゃない!かねてから抱いていた気持ちが、消えるはずだったこの勝利で、逆に膨らんでくるのがわかった。実に2年9ヶ月ぶりの感動的な勝利という絶好のチャンスであったはずだが、それを活かせなかった不運に対しての悔しさは、逆にもうこみあげてこることはなかった。いや、彼女の不在は不運ではなかったのだ。

GⅡではない、GⅠというこの馬にふさわしい勝利が達成されたその時こそ、初めて心から「やった!」と言える、そしてあの人にも・・・。自分の気持ちをはっきりできたこの瞬間を胸に刻み込み、人だかりができた表彰式に背を向けて、ショータはひとり帰途についた。

 

 帰宅するとすぐ、部屋の電話が鳴った。夕方には珍しいことで、やはりマチコからだった。

「テレビで観たよ~。」

レースシーンを振り返り、余韻に浸ったのは少しだけだった。武騎手の騎乗ぶりも話題には出さなかったし、拍手のことにも触れなかった。

「それでね。あたし、会社辞めることにしたんだ。」

切り替えられた話題の、突然の衝撃に動揺する。今日はそのことで家族、つまり単身赴任の父親と実家を守る母親、妹を交えた4人で話し合っていたのだという。なるほど、大事な用事だ。

「これからはあたし、自分の好きなことをやって生きてくの。」

まずは、以前からやってみたかった、温泉旅館の仲居という仕事にチャレンジするのだという。また、当面熱海に住み込みになるので、競馬観戦にはあまり行けなくなるというのだ。

「ステイのGⅠだけ、行こうよ。あたし、府中まで行くからさっ。」

間をおかずマチコはこう続けてくれたので、ショータの不安はすぐに消えた。しかし、「ステイの引退」=「観戦デートの終焉」というただの予感であった図式が、近い将来確かに成立してしまうのだと通告された瞬間でもあった。一瞬訪れた悲しい気持ちを悟られないよう、しかしけして強がりでなく、彼もすぐさま言葉を返す。

「ええ。ステイ、このままじゃ終わりませんから。」

「そうよ、じゃまたね。」

ふたり、それぞれの決意を伝え合った電話は終わった。最後にあっさり同意されたのがちょっと意外で、少し拍子抜けした。

「ステイゴールド女」 第四話

第四話「あたし見たもん」

ステイゴールドが勝てない原因のひとつがその「ジリ脚」にあることは、関係者の間だけでなく、すでにファンの間でも有名な話になっていた。自身が小柄だったからであろうか、ラストスパート時の一時的な最高スピード(つまり瞬発力)がない馬であり、スローペースからの直線勝負のレースともなると他馬との差が歴然としていたのだ。一流馬の魅力が、直線で発揮されるその豪脚にあるとしたら、確かにステイは逆に「イマイチ」であった。それゆえ、彼が勝つには、ハイペースが必須条件とも言われていた。

‘99年秋を一戦、京都大賞典(GⅡ)で叩いたステイゴールドは、そのまま天皇賞・秋(GⅠ)に向かった。他の一流馬たちと同じ、本番のGⅠで力を発揮しやすいローテーションである。

本番の天皇賞のメンバーには、強力な逃げ馬が多かった。かつて大逃げでターフを沸かせた1番人気のセイウンスカイこそ差し馬に転向していたが、それでもハイペースは必至だとショータは予想した。なにより、最有力のはずのスペシャルウィークが前走からおかしく、調教も絶不調だという。これは、ひょっとすると・・・。

「今日のショータ、なんかカッコいいね?」

「いつも、って言って下さいよ。」

ショータは前日に特に綿密な分析を済ませてから、マチコと府中競馬場に乗り込んだ。彼の分析結果が大きな「チャンス」を示しており、膨らんだ期待が彼をさっそうと歩かせ、いつもと逆にマチコをリードするかのようだった。

「チャンス」とは、パソコンがハジき出したステイゴールドの勝率がこれまでのGⅠより倍以上高いことだった。12番人気と人気落ちしているということもあって、自称馬券師のショータにとってはこの上なくおいしいレース。迷わずステイの単勝馬券につぎ込んだ。

しかしこの場合は馬券のことはニの次、ステイが勝ったときにどうキメるかが重要なのだ。ゴールの瞬間に手を取り合って、いやいっそどさくさにまぎれて抱き合って、それから見つめあって・・・そうだ、観戦場所は重要だな。ショータはターフビジョンとゴールの瞬間を一望できる絶好のオープンスペースとして、スタンド3階の通路階段の一段を、マチコと並んで占領しスタートを待った。

 ファンファーレ、そしてちょっとした事件が起こる。1番人気のセイウンスカイがゲートインを嫌がったのだ。3分、5分・・・古馬GⅠのスタートがこれほど手間取った例もないほど遅れたが、イライラするどころかショータはむしろ、内心ほくそ笑んでいた。ライバルのトラブルでステイゴールドの勝利の要素がさらに高まったと解釈したからだ。当のステイはゲートの中でおとなしく待ってくれている。

ようやくスタート、逃げ馬は単騎で競り合いにならないが、やはりハイペースだ。タテに長い展開のまま一分ほど過ぎるのを、スタンドはじっと見守っている。昨年のような悲劇もなく、各馬無事に4コーナーを迎えたのを確認すると、群集はそれぞれが握り締めたものを叫びだし、スタンドはフェアな活気に包まれた。

ステイゴールドの小さな馬体が目立って見える。熊沢騎手が直線早めに追い出すのはいつものことだが、このときばかりは反応と勢いが違って、輝いてすら見えた。そのまま外に持ち出し、府中自慢の長い直線。これならいける!

ジリ脚、お前は今回もそうか。一跳びずつ、前脚を投げ出すたびに、確かに先頭との差を詰めてくるのだが、ショータはヤキモキさせられて仕方がない。このままいけば、ゴールで先頭に立つと信じるしかない。坂にさしかかってからもなお、とてつもなく長い20秒間。

不意に、忘れかけていた黒い馬体がステイの外から襲い掛かり、勢いが違うその瞬発力から目をそらしたい気分で一杯になる。ステイだけを注視、もうかわしそう!そして、遂に先頭に立った!すぐに外からステイよりも一回り大きな馬体が覆いかぶさり、思わず心の中で叫ぶ。「スペシャル邪魔するな!」

 明らかに、かわされたと判るところでゴールした。歓声で聞き取りにくい実況を確認するまでもない。ステイは最後のひと伸びが足りなかった。鞍上の熊沢騎手が、スペシャルウィークの武騎手と健闘を称えあってかハイタッチする。

ショータは予定の行動を実行に移せず、悲しい目だけをマチコに向けると、彼女は青い馬蹄形のゴール板を見つめたまま、いつになく真剣な表情。視線に気づくと彼女はこう切り出した。

「ねね、いま、すごいの見ちゃった。」

同時にショータの背中をバンと叩いてくる。初めてのことだ。

「えっ?負けちゃいましたよね。」

「違うの。今ね、ステイ。一着を『譲った』のよ。あたし見たもん。」

「そんな・・・」

こんなに笑える話なのに、彼にとっては強烈な追い討ちだった。悔しさで涙が出そうになるのをぐっとこらえ、かわりに「11月は小遣いナシですよぉ」と単勝馬券がハズれたことに転嫁して、作った苦笑いでごまかした。

後日発行の競馬雑誌に熊沢騎手のコメントが載った。

「決め手の差としかいいようがない。」

そんなこと言うな。GⅠだから、相手がスペシャルだから勝てなかったと言うのか。それにあのハイタッチはなんだ。お前はそれで満足なのか・・・。熊沢騎手が苦労して乗っているらしい情報は、雑誌の中にこれまで何度も書かれていた。なんとかして勝たせてやりたい、そう一番強く想っているのはおそらく熊沢騎手なのだろう。それだけに、このコメントにはやりきれないものを感じた。そして、またとないチャンスが去ってしまったという想いを、否定したくて、ぬぐい切れなくて、ショータはしかたがなかった。

 ‘99年、ステイにはその後ハイペースのレースは訪れず、ジャパンカップ(GⅠ)が6着、有馬記念(GⅠ)が10着となり、この年のスケジュールが終わった。ジャパンカップは、スペシャルウィークが、有馬記念はそのスペシャルをわずか4cm差で制したグラスワンダーが、それぞれ勝利した。世界の舞台へとまさに羽ばたいていったエルコンドルパサーを除けば、この2頭が主役の1年と言えたが、サラブレッドの年月は早いもの。スペシャルは引退を表明する一方で、「来年はこの馬の年になる」と囁かれた成長途上の3歳馬が、もう有馬記念の時点では主役からクビ差の3着までと迫ってきていた。

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