かっこいい自分は残念な自分
ここ最近の夢は、自分の意見や思いを
直接相手に伝える、というような内容で
あの時、こう言いたかった、こう言えばよかった
と思った場面にいることがほとんどで。
いわば、恨みつらみのようなもの。
あの時、自分の感情と向き合わないまま
相手をなんとなく許してしまった自分。
本当は、許せないと思っていたのに
そう言えなかった自分。
それは、相手を思っての行動ではなく
許せないと思う自分の醜さと向き合いたくなかった
だけだったんだな、という気づきにつながる夢でした。
思えば、結構ひどい仕打ちを受けているのに
相手が素直に謝ってくることで、許さなければならない
という、雰囲気になっていたなぁと。
謝ってくれているんだから
許さないのは大人げない、みたいな。
でも、その時のわたしの本当の気持ちは
許せないというより、ショックだったんですよね。
そういう風に思ってたんだ。
裏でそんなことをしていたんだ。
っていう、ショック。
でも、そういうことをされる自分を
受け入れられなくて、わかった顔で許してきた。
ようするに、自分のプライドを優先したわけです。
なんか、かっこいいじゃないですか。
何をされても、別に気にしてないよという
態度でいるのって。
そういう、本音とは裏腹な態度でいれば
当然のことながら、だんだんと人は離れていく。
それも、わたしのプライドが許せないので
自分から離れるという選択をしてきたわけで。
こうやって言語化すると
むしろ、こっちの方がかっこ悪いですよね![]()
こういう夢を見ているということは
そして、そういう自分を客観視できているということは
その自分という枠から出られた、ということ。
気づきは、その領域の外へ出ないと
起こらないから。
ここ最近の睡眠量の多さは
内側の浄化に必要だった模様。
今、本当にそれぞれの中で岩戸開きが
起きているんだなぁと。
と、いうことで今日のタロット。
【comparison】
比較
これはねー、ほんっとーに
手放すのが難しい意識ですよね。
誰かと自分の比較。
これをしている限り、劣等感に苦しめられ
ひと時の優越感に踊らされる。
多くの人は、ひと時の優越感を味わいたいがために
比較をしていると思うんです。
わたしも、もれなくその一人なわけですが。
でも、これをやっている以上その反対にある
劣等感も感じざる負えないわけで。
だって、どうしたって自分より素敵な人はいるし
自分より多くを手にしている人は存在する。
一時の優越感を味わうために
比較という意識を使い続けるのは
あまりにもリスキーだということを
そろそろ本気で理解しなければならない。
なぜなら、その反対側にある劣等感を
味わう時間の方が圧倒的に長いから。
比較をする根底にあるのは
「安心」を確保したいという想いです。
自分の幸せ指数を他者との比較によって
測っている状態は、とても危ういです。
そんなこと、百も承知なのに手放せない。
それは、わたしたちにとって「比較」は
自然なことだから。
これに対して不自然な行為だという
発想の転換をしていく必要があるのでは?
という、提案を宇宙がしてくれています。
誰かやナニカとの比較をやめた時
本当の自由を手に入れられるのだろうと思います。
寝ている時は宇宙図書室で学んでいます

