折に触れて大学の時分の昼休みを思い出す。



土曜の2限終わり、昼休みに食堂で飯を喰らってか煙草を吸いに行った喫煙所には、いつもその先生がいた。


フランス語を受け持つ非常勤講師で、のんでる煙草はいつも安物の手巻きのものだったように記憶している。



外国語には一寸ほどの興味もなく単にフランス文学が好きだというだけで第二外国語の選択を仏語にした自分ではあるし、正直外国語の講義を真面目くさって受けた記憶がないからこそいうのだと思うが、僕にとっての「大学的」講義の時間は、間違いなくその喫煙所で煙草の火種がフィルターに届くまでの五分間だった。



先生の難解な論議を拝聴するたび、僕は彼を能力「偉大なる暗闇」を地で行くひとだと思った。




……いや、もちろん授業は面白かったですよ?
フランス語の授業なのに脱線が多くて途中でパリ大学の話になったり、OECD基準で比較した日本の大学の学費の話になったり、早稲田でやるサヨク集会(あえてこういう表現をする)のシンポジウムのビラを配り出したりして、受講生のヒンシュクを買っていた。






ただ、圧倒的に印象深かったのは喫煙所でのやりとりだった。



「君の名は。」を見てハイデッガーの話をしたり、池澤夏樹監修の文学全集の存在も教えてもらった。僕が若い疑問をぶつけると、先生からはいつも「こういう本があって……」と返された。



つまり「読め」ということなのだろう。



石牟礼道子の存在を知ったのも先生がきっかけだったし、三島由紀夫や石原慎太郎の初期作品より面白い文学の存在を知ったのも、先生のビブリオがきっかけだった。




そういう意味で先生は僕にとってのかけがえのないlibrarianであったし、僕の不精を叱りつける文学の父でもあると思った。





(すいません先生、オススメされた本、半分も読んでません)






3年に上がると外国語の必修はなくなり、非常勤の任期が切れたのかどうかは知らんが、先生を大学で見かけることはなくなった。



けれどもそこでまずいタバコをふかすたびに、先生の飄々とした笑顔を思い出す。



そうして、今でも何かケッタイなことを考えつくたびに、そのニヤケ面でこう言われるような気がする。



「あなたはよっぽど馬鹿ですね」



何十年後になるか知らないが、ぼくかそこそこキャリアを積んで、好きに撮れるようになったら、いつか立ち上げたいアニメの企画がある。




漱石の「三四郎」をアニメにしたい。




先生があの時ふかしていた「哲学の煙」の答えを、いつかどこかで言語化・映像化したいと思う。