1日
■薩英戦争の談判において、薩摩藩は軍艦の購入、
および留学生の派遣の斡旋を求めた。
この提案が、閉塞感を打破し、一気に妥結に向かうことになる。
詳細は拙著『グローバル幕末史』
「第五章 薩摩藩の世界観-斉彬・久光に見る現実主義」を参照下さい。 http://soshisha.com/book_wadai/books/2152.html………
2日
■「生麦事件」から160年、事件勃発の謎とその後の日本にもたらした影響
幕末維新人物伝2022(20)
生麦事件160年ー歴史的な大転換の真相①
3日
■語りたい人物と、語れる人物は微妙に違ったりする。
■Sir Harry Parkes, British Representative in Japan, 1865-83 By Gordon Daniels
どなたか、翻訳してくれないかな・・。
4日
5日
■叱ることは簡単だが、誉めることは難しい。
相手のタイプによっても、対応は変わる。
基本、長所を伸ばすこと、つまり誉めることを優先している。
■『朝彦親王日記』に、「坂本龍馬」が登場するって、何気にすごい気がする。
6日
7日
■語り尽くされ、定説とされていることにも、疑問を持つことは重要。
「史料に忠実であれ」と仰せの歴史家が、必ずしも完全に実行できているわけではない。
■『新真公法論』、再確認。
8日
■幕末外交史を扱う場合、和暦と西暦を併用するが、細心の注意が必要。
混乱し、誤記し易い。
9日
■文久2年の山内容堂。軽視できず。
■「生麦事件」英国人のリチャードソンはなぜ切られたのか?
人物像から探る真実 幕末維新人物伝2022(21)
生麦事件160年ー歴史的な大転換の真相②
10日
11日
■今日は1日、堀田正睦。
12日
13日
■五卿については、もっと研究をしなければいけない対象。
その従者、中岡慎太郎や土方久元も然り。
五卿は長州藩だけでなく、薩摩藩にとっても超重要な存在であった。
三条実美は太宰府時代以降、むしろ薩摩藩と深い関係に。
岩倉具視は薩摩藩、三条実美は長州藩という図式にこだわると、思わぬ陥穽に・・。
14日
15日
■坂本龍馬について、拙著『新説 坂本龍馬』をご一読ください。
https://www.shueisha-int.co.jp/publish/%E6%96%B0%E8%AA%AC-%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E9%A6%AC
16日
■生麦事件は薩摩藩士の攘夷行動だった?
英国との戦争を防いだ小松帯刀の神対応
幕末維新人物伝2022(22)
生麦事件160年ー歴史的な大転換の真相③
■フェートン号事件、重要な大事件。
17日
■明治6年政変について、内地優先派VS征韓派と言われて久しいが、
大久保らに内地優先の思いがなかったとは言えないが、
実際は西郷内閣(留守政府)と外遊グループの権力闘争の域に留まるというのが自説。
詳細は拙著『歴史再発見 西郷隆盛 その伝説と実像』を参照ください。
https://www.amazon.co.jp/dp/4149109664
18日
19日
20日
■片岡健吉に関心を持つ。
21日
■国泰寺「広島」は残っていたら、幕末期の一級史跡。
原爆で灰燼に帰した。
■元治元年(1864)の第1次長州征伐において、
幕府軍の総督府(総督は徳川慶勝)が置かれ、
切腹した長州藩3家老の首実検が行われたのが国泰寺。
翌慶応元年(1865)には永井尚志による
長州藩家老宍戸璣(山県半蔵)への糾問が行われた。
ちなみに、近藤勇・伊東甲子太郎ら新選組幹部も同行。
その国泰寺は、1945年8月6日の原爆投下時、
爆心地から500mの位置にあったため、全焼全壊している。
残っていれば、超一級の幕末史跡だった・・
■前原一誠を見ることで、長州藩の政治史の難しさを感じる。
22日
■文政7年(1824年)8月の宝島事件、実はかなり重要な局地紛争。
宝島は、吐噶喇列島の有人島では最南端。
23日
■鳥居耀蔵を調べる。
■英国が幕府と薩摩藩両方に賠償を求めた生麦事件、
幕末史にもたらした余波とは
幕末維新人物伝2022(23)生麦事件160年ー歴史的な大転換の真相④
24日
■清河八郎を過小評価してはいけない。
文久期、西国に尊王志士が派生したのは、清河の遊説に負うところ大である。
新選組の誕生も、清川である。その清河と京都で意気投合したのは田中河内介。
文久期の志士活動において、田中も無視できない。
それどころか、極めて重要なキーパーソンである。
25日
■本日の朝日新聞朝刊の文化面
「山内容堂、150年後の再評価 幕末の土佐藩主、進む研究」
に私のインタビューが掲載されています。
webでは有料記事ですが、以下の通りです。
■松下村塾門下の杉山松助に注目している。
池田屋事件に巻き込まれ、吉田稔麿と同様に落命しているが、
品川弥二郎は非常に高く評価している。
「文久二年壬戌上京久坂通武等ト力ヲ王事ニ盡ス」とされるが、
如何せん史料が乏しい。
■杉山松助、文久2年5月に藩主の命により、
幽閉されていた真木和泉の解放周旋のため、
山縣九右衛門と久留米藩へ赴いている。
池田屋事件で斃れていなければ、相当の事績を残せただろう。
■幕末、幕府からの上海使節団は4回にも及んだ。
文久2年(1862)の初回には、高杉晋作・五代友厚が参加している。
26日
■例えば、戊辰戦争、鳥羽伏見の戦い、禁門の変、寺田屋事件、
天狗党の乱などなど、当たり前に使っている用語であるが、
そもそも、「戦争」「戦い」「変」「事件」「乱」、
それぞれの定義をスラスラ言える人はいるのだろうか。
このあたり、最近気になる。
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