1日

■薩英戦争の談判において、薩摩藩は軍艦の購入、および留学生の派遣の斡旋を求めた。この提案が、閉塞感を打破し、一気に妥結に向かうことになる。詳細は拙著『グローバル幕末史』「第五章 薩摩藩の世界観-斉彬・久光に見る現実主義」を参照下さい。

 

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3日

■Sir Harry Parkes, British Representative in Japan, 1865-83 By Gordon Daniels どなたか、翻訳してくれないかな・・。

 

 

■「廃藩置県と熊本藩」

 

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5日

■『朝彦親王日記』に、「坂本龍馬」が登場するって、何気にすごい気がする。

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7日

■語り尽くされ、定説とされていることにも、疑問を持つことは重要。「史料に忠実であれ」と仰せの歴史家が、必ずしも完全に実行できているわけではない。

8日

■幕末外交史を扱う場合、和暦と西暦を併用するが、細心の注意が必要。混乱し、誤記し易い。

9日

■文久2年の山内容堂。軽視できず。

10日

11日

12日

■大河ドラマ「花神」の冒頭のナレーション。引き込まれた。「一人の男がいる。歴史が彼を必要とした時、忽然として現われ、その使命が終ると、大急ぎで去った。もし維新というものが正義であるとすれば、彼の役目は、津々浦々の枯れ木にその花を咲かせてまわる事であった。

■続き)中国では花咲爺いの事を花神という。彼は、花神の仕事を背負ったのかもしれない。彼―村田蔵六。後の大村益次郎である」やっぱり、ゾクゾクする(^^)

■島津久光・小松帯刀を研究すればするほど、西郷・大久保史観の不味さを痛感するが、一方で、西郷・大久保の凄さを再認識する機会にもなる。

13日

■天保の改革の本質とは何か、朝からそこを考えている。

■アヘン戦争による対外危機が、天保の改革を必然たらしめたと考えます。実際に相手との対応は、阿部正弘からでしょうか。

■五卿については、もっと研究をしなければいけない対象。その従者、中岡慎太郎や土方久元も然り。五卿は長州藩だけでなく、薩摩藩にとっても超重要な存在であった。三条実美は太宰府時代以降、むしろ薩摩藩と深い関係に。岩倉具視は薩摩藩、三条実美は長州藩という図式にこだわると、思わぬ陥穽に・・。

■坂本直は、明治8年7月に宮内省の雑掌、9年10月に「皇后宮西京、行啓ニ付供奉」、11年7月には明治天皇による東海道と北陸道への巡幸に同行。私の実家は旧北国街道の牟礼宿にあり、そこで昼休憩があった。岩倉具視、高崎正風、大隈重信、 大山巌、品川弥次郎、 井上馨、 川路利良も同行した。

14日

■天保13年8月3日、幕府は江戸湾防備を2藩に命じた。川越藩は間違いないが、もう一つは忍藩か、今治藩か?

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16日

17日

■明治6年政変について、内地優先派VS征韓派と言われて久しいが、大久保らに内地優先の思いがなかったとは言えないが、実際は西郷内閣(留守政府)と外遊グループの権力闘争の域に留まるというのが自説。詳細は拙著『歴史再発見 西郷隆盛 その伝説と実像』を参照ください。

18日

■一つの史料を検討する場合、違った解釈が存在するのは当たり前。私の場合、その史料のみから言えることは差し控え、様々な史料や当時の政治動向の分析、その藩特有の問題を考察しつつ、自分の見解として提示しています。

■実証をせずに論に走ったところで、説得力がない空論。しかし、実証だけでは、事実確認に止まる。やはり、論にもっていかないと。つまり、両方必要になる。何を言いたいために、今の緻密な作業があるのか。意識しながら進めたい。しかも、柔軟性を持ちながら。

■井上聞多・伊藤俊輔。この二人、幕末期においても、極めて重要なコンビ。

■西郷隆盛の沖永良部からの赦免決定について、具体的な日時を特定することはできないが、大久保一蔵と吉井友実の書簡のやり取りから、文久3年11月中旬頃までには、久光の入京が10月3日であることから、それから間もなくであることが窺える。

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20日

21日

■国泰寺「広島」は残っていたら、幕末期の一級史跡。原爆で灰燼に帰した。

■元治元年(1864)の第1次長州征伐において、幕府軍の総督府(総督は徳川慶勝)が置かれ、切腹した長州藩3家老の首実検が行われたのが国泰寺。翌慶応元年(1865)には永井尚志による長州藩家老宍戸璣(山県半蔵)への糾問が行われた。ちなみに、近藤勇・伊東甲子太郎ら新選組幹部も同行。

 続き)その国泰寺は、1945年8月6日の原爆投下時、爆心地から500mの位置にあったため、全焼全壊している。残っていれば、超一級の幕末史跡だった・・。

■前原一誠を見ることで、長州藩の政治史の難しさを感じる。

■ドラマの中で、五代友厚は自らの開拓使官有物払下げ事件への関与を否定。高校の教科書で、五代が登場するのは実はココだけ。よくぞ!と思った次第。ちなみに、五代については、拙著『グローバル幕末史』で。薩摩スチューデントの産みの親です

22日

■文政7年(1824年)8月の宝島事件、実はかなり重要な局地紛争。宝島は、吐噶喇列島の有人島では最南端。

23日

24日

■清河八郎を過小評価してはいけない。文久期、西国に尊王志士が派生したのは、清河の遊説に負うところ大である。新選組の誕生も、清川である。その清河と京都で意気投合したのは田中河内介。文久期の志士活動において、田中も無視できない。それどころか、極めて重要なキーパーソンである。

25日

■松下村塾門下の杉山松助に注目している。池田屋事件に巻き込まれ、吉田稔麿と同様に落命しているが、品川弥二郎は非常に高く評価している。「文久二年壬戌上京久坂通武等ト力ヲ王事ニ盡ス」とされるが、如何せん史料が乏しい。

■杉山松助、文久2年5月に藩主の命により、幽閉されていた真木和泉の解放周旋のため、山縣九右衛門と久留米藩へ赴いている。池田屋事件で斃れていなければ、相当の事績を残せただろう。

■幕末、幕府からの上海使節団は4回にも及んだ。文久2年(1862)の初回には、高杉晋作・五代友厚が参加している。

26日

■拙著『攘夷の幕末史』 (講談社現代新書)、新書中古で2,800円の値が。意外と、著者宅には在庫があったりして。

■例えば、戊辰戦争、鳥羽伏見の戦い、禁門の変、寺田屋事件、天狗党の乱などなど、当たり前に使っている用語であるが、そもそも、「戦争」「戦い」「変」「事件」「乱」、それぞれの定義をスラスラ言える人はいるのだろうか。このあたり、最近気になる。

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