★慶應2年11月6日、「鹿児島藩士大山格之助「綱良」、元権中納言三条実美の内命を以て福岡に至り、是日、藩主黒田斉溥「美濃守」に謁し、同藩志士救解のことを陳ず」。

 

★慶應2年11月12日、「老中板倉勝静、鹿児島藩士小松帯刀「廉清」を召し、藩主茂久「修理大夫」生父島津久光「大隅守」上京遅延の情由を質し、且諸侯の召集に就き、其意見を徴す」。
 

★慶應2年11月22日、「 鹿児島藩家老新納刑部「久修」帰藩の途次、太宰府に至り、元権中納言三条実美等の従臣に京情を報ず。松江藩主松平定安、登営、徳川家主徳川慶喜に謁す。佐賀藩、曩に「元治元年」返上せる軍艦観光丸の代船貸与を申ねて幕府に申請す」。

★慶應2年11月23日、「三条実美等警衛5藩「鹿児島・熊本・福岡・佐賀・久留米」士等合議し、実美等の帰洛の周旋に決し、各藩主の許容を得、鹿児島藩士大山格之助・熊本藩士秋吉久左衛門・福岡藩士森三右衛門等、太宰府を発し、黒崎より乗船、上京の途に就く」。

★慶應2年11月23日、「勘定奉行小栗忠順・外国奉行柴田剛中・神奈川奉行水野良之、英国特派全権公使パークス・米国弁理公使ファルケンブルグ・仏国全権公使ロッシュ・蘭国総領事ポルスブルックと横浜居留地分界並に公園競馬場・墓地等に関する条約12箇条を改締調印す」

★慶應2年11月24日、「萩藩使者小田村素太郎「素彦・変名塩間鉄蔵」・同林万樹多及長門府中藩使者林勝七郎、太宰府に抵り、元権中納言三条実美等の起居を候し、物を贈り、藩情を報ず」。

★慶應2年11月25日、「英国特派全権公使パークス、幕府に牒し、我邦より仏国博覧会に出陳すべき品目並に監督官姓名の提示を請ふ。人吉藩士岩奥八右衛門、英国公使館付近に於て同国公使パークスに暴行す。尋で「晦日」パークス、幕府に牒して其処分を求む」。

★慶應2年11月25日、「鹿児島藩主島津茂久、麾下士に着用を令せし筒袖・陣股引の由来を幕府に問ひ、我国風に悖ることなきやを質す」。

★慶應2年11月30日、「幕府、静寛院宮・天璋院に以後金六千両・銀百貫目を贈る旨を其用人に達す。幕府、老中板倉勝静・若年寄保科正益「弾正尹・飯野藩主」・同京極高富「主膳正・峰山藩主」等に大将軍宣下に関する事務取扱を命ず」。