★文久2年12月4日、「勅使三条実美・副使姉小路公知、江戸城に臨む。大将軍徳川家茂、攘夷決行、親兵編制につき、奉答書を上る。高知藩士間崎哲馬「則弘」・同坂本龍

馬「直柔」・同近藤長次郎「昶」政事総裁職松平慶永に謁して、摂海防備の策を陳ぶ」。

 

★文久2年12月6日、「幕府、大将軍徳川家茂の戊午以来の失政を謝して官位降等を奏請せるを布告す。 高知藩主山内豊範、勅使三条実美等に先だちて西上の途に就く。高知藩士武市半平太「小楯、仮称柳川左門」、政事総裁職松平慶永の邸に至り、大将軍入朝の急務を説く」。

 

★文久2年12月18日、「幕府、徳島藩主蜂須賀斉裕を以て陸軍総裁に補し、海軍総裁を兼ねしむ」。

 

★文久2年12月21日、「幕府の和学者塙次郎「塙忠宝」を殺す者あり。次郎さきに国学者前田夏蔭と共に廃帝の典故を按ずとの説あるを以てなり」。