慶應1年8月6日、「所司代松平定敬「越中守・桑名藩主」京都を発し、大坂に抵る。仏国パリ東洋語学校講師レオン・デ・ロニー、書を外国奉行柴田剛中「日向守・時にパリに在り」に寄せ、パリ万国博覧会に出品を勧告す」。

慶應1年8月7日、「前宇和島藩主伊達宗城、書を熊本藩主細川慶順弟長岡良之助に致し、時事を報じ、所見を問ふ。尋で「20日」再び書を寄せ、萩藩再征を難ず。浪士中岡慎太郎「道正・石川清之助・元高知藩士」萩藩に到り、藩主毛利敬親父子に面し、上国の事情を告ぐ」。

慶應1年8月8日、「幕府、米・仏・蘭・普国使臣に牒し、開港以来の往復の書翰類の焼失せるを以て、吏員を遣して謄写せしめんことを求む。「普国は11月6日。」幕府、八幡「山城」・山崎「同上」に塁壁関門及船舶改所を設け、譏察を厳にせしむ」。

 

慶應1年8月13日、「幕府、大垣藩の伏見「山城」豊後橋警衛を免じ、水口藩をして之に代らしむ。島原藩士大竹直記・同中村端平・同川島昇・同伊藤虎之介、家老松坂丈右衛門を殺し、其首級及罪状書を携へて自首す。尋で、其党井上三四郎等20余人、亦自訴して罪を待つ」。

慶應1年8月15日、「萩藩主毛利敬親、家老宍戸備前、松原音三・小田村素太郎を広島藩に遣し家老連署の歎願書を致し幕府に周旋せんことを依嘱せしむ。是日備前等広島藩世子浅野茂勲に面し藩情を陳じ之を依頼す。広島藩、家老野村帯刀を大坂に派遣し之を幕府に提出せしむ」

慶應1年8月17日、「元権中納言三条実美、書を鹿児島藩主島津茂久「修理大夫」及其父久光「大隅守」に致し、去冬以来の斡旋を謝し、且福岡藩の内情を報じ、尽力を希望す。久留米藩士芳村武兵衛、元権中納言三条実美等の動静及警衛諸藩の態度を所司代に内報す」。

慶應1年8月26日、「鹿児島藩家老新納刑部「久修・変名石垣鋭之助」・藩士五代才助「友厚・変名関研蔵」 ブルッセル「白耳義国」に於て、仏国人モンブランと貿易商社創立に関する契約に調印す」。

慶應1年8月27日、「仏国全権公使ロッシュ 外国奉行山口直毅・軍艦奉行並栗本鯤を熱海「時にロッシュ湯治中」に招き、時務策を建言す。是日、老中松井康直「棚倉藩主」・阿部正外「白河藩主」、大坂より書をロッシュに致して好意を謝し、列国使臣に対する斡旋を依頼す」。

慶應1年8月28日、「鹿児島藩士西郷吉之助「隆盛」京都より書を在藩の大久保一蔵「利通」・同蓑田伝兵衛に寄せ、幕府の内情及征長の愚策を報じ、元権中納言三条実美等護衛兵増遣の要を告ぐ。本年度分賜米金を廷臣に賜ふ」。

慶應1年9月1日、「日仏国全権公使ロッシュ、幕府に牒し、蚕卵紙「一万五千枚」の寄贈及病気見舞の懇情を謝し、且速に萩藩処分を了して其権威を失はざらんことを望む。横浜在留外国人四名、小田原藩領関本村「足柄上郡」に止宿、尋で、箱根地方に旅行す。四日横浜に帰る」。