★元治1年8月8日、「萩藩主毛利慶親、藩士高杉和助を執政宍戸刑馬と称せしめ正使、参政杉徳輔・同渡辺内蔵太を副使、藩士井上聞多・同伊藤俊輔を通弁と為し、連合艦隊旗艦ユーリアラスに赴いて和議を講ぜしむ。連合艦隊司令官キューパー、諸艦に休戦を令し、之に応接し、其文書の不備を難じ、慶親の直書を求む。尋で、艦隊、諸砲台の大砲六十二門其他を艦に運ぶ。萩藩攘夷派、講和を怒り、晋作等を刺さんとす。晋作及俊輔、八日夜有帆村に潜伏す」。

★元治1年8月10日、「萩藩主毛利慶親、藩士毛利登人・山田宇右衛門・波多野金吾「後広沢真臣」・渡辺内蔵太・井上聞多等を英艦ユーリアラスに遣し、司令官キユーパー等と講和談判を継続せしむ。登人等、慶親の直書を致し、衷心和親を望み、海峡通航自由等を確約す」。

 

★元治元年年8月12日、「内大臣近衛忠房、鹿児島藩家老小松帯刀の帰藩に依り、書を其藩主島津茂久及生父久光に寄せて、京情を報じ、帯刀をして再び上京、国事に斡旋せしめんことを求む」