★文久2年8月20日、「左近衛権中将岩倉具視・左近衛権少将千種有文・中務大輔富小路敬直に蟄居を命じ、辞官落飾を請はしむ」。

★文久2年8月21日、「鹿児島藩主茂久父島津久光、勅使大原重徳に先だち、江戸を発し、帰洛の途に就く。偶々生麦村「武蔵国橘樹郡」に至り、横浜在留英国商人ウイリアム・マーシャル、同ウードスロープ・クラーク、同チャールス・リチャードソン、マーシャルの従妹ボロデールの川崎大師に向って騎行するに遇ふ。供頭奈良原喜左衛門「清」等、英人の馬より下らず道を旋さんとして先駆の列を紊るを憤り、之を襲撃し、リチャードソンを殺し、マーシャル、クラーク二人を傷つく。「ボロデール、纔に難を免る。」

★文久2年8月28日、「萩藩士来原良蔵「盛功、贈従四位」江戸藩邸に自刃す」。慶應元年、前原一誠はいわゆるノイローゼ気味となり、それを気遣った高杉晋作は、「来原良蔵」のようにならないように注意が必要と訴えている。