★慶應1年7月2日、「蘭国総領事ファン・ポルスブルック、幕府に牒し、同国商会の武器売込を紹介し、又、藩注文の加農砲到着を報じ、幕府の購入を欲すれば斡旋すべきを告ぐ。是日、幕府、之を謝絶し、諸藩に対する武器売込の条約違反なるを警告す」。

★慶應1年7月4日、「英国特派全権公使パークス、幕府に牒し、横浜駐屯同国海兵の帰国を報じ、且交代として香港より陸兵「第十一連隊及第二十連隊の一部」来著するを告ぐ。幕府、書を復し、其不当を難ず。露国軍艦一艘、樺太楠苗に来り、国人男女百余人を上陸駐屯せしむ」。

★慶應1年7月6日、「外国奉行柴田剛中「日向守」等、馬耳塞港「仏国」に帰著す。尋で「九日」ツーロン軍港等を視察し、巴里に入る。「十七日」」。

★慶應1年7月9日、「幕府、米国代理公使ポートマンに牒し、上海に於ける萩藩蒸気船密売買に関する取調書を送致し、之を本国政府に報告して該船購入の米国商人及其関係者を処罰せんことを求む」。

★慶應1年7月13日、「福岡藩、家老黒田播磨「溥整」・同矢野相模「幸賢」・同加藤司書「徳成」を罷め、藩士衣非茂記「直正」・同月形洗蔵「詳」・同海津幸一「正倫」等を処罰す。是日、同藩使者斎藤蔵人、太宰府に抵り、元権中納言三条実美等に其事情を陳弁す」。

★慶應1年7月17日、「萩藩士井上聞多「馨・変名山田新助」・同伊藤俊輔「博文・変名吉村庄蔵」 藩命を以て太宰府に到る。明日、鹿児島藩士篠崎彦十郎・同渋谷彦助と会し、武器購入の事を謀る。尋で「十九日」 聞多・俊輔、元権中納言三条実美に謁し、実美の従士楠本文吉「安茂・谷晋・元高知藩士」を伴ひ、長崎に向ふ」。

 

★慶應1年7月21日、「萩藩士井上聞多・同伊藤俊輔、長崎に到り、海援隊士千屋虎之助「高知藩士」・同多賀松太郎「同上」・同上杉宗次郎「近藤昶次郎・同上」・鹿児島藩家老小松帯刀「清廉」等に頼り、英商グラバーより銃砲を購入す。尋で「二十八日」聞多、帯刀と共に鹿児島に赴き、同藩家老桂右衛門「久武」・同側役大久保一蔵「利通」等と会し、両藩の融和を商る」。この段階では海援隊ではなく、「社中」。もっと言うと、小松家お抱え土佐脱藩浪士グループ。

★慶應1年7月27日、「英国特派全権公使パークス、幕府に牒し、泉岳寺「江戸芝」境内新設の公使館を洋式構造と為し、且横浜に仮公使館を建造せんことを要求す。是日、幕府、国用多端なるを以て之を拒絶す」。

★慶應1年7月27日、「浪士土方楠左衛門「久元・元高知藩士」・水野丹後「元久留米藩士」、鹿児島藩士篠崎彦十郎・渋谷彦助・肥後直次郎、大村藩士渡辺昇・平戸藩士佐々謙次郎等、屡々会合して福岡藩論の挽回を議る。是日、元権中納言三条実美等、丹後等を福岡藩に遣す」。