★慶應元年閏5月12日、「浪士土方楠左衛門、太宰府に帰著し、元権中納言三条実美等に謁し、京摂の情況及薩長二藩融和に関する斡旋事情を報告す。鳥取藩主池田慶徳、書を岡山藩主池田茂政に致し、水戸藩の内訌措置に関して意見を求む」。

 

★慶應元年閏5月15日、「萩藩主毛利敬親父子、府中「長門」藩主毛利元純・徳山藩主毛利元蕃・清末藩主毛利元純・支族吉川経幹を会し、幕府の征長再役に対する方策及藩政・軍制の改革を議す。敬親、申ねて撰鋒隊の鎮撫を経幹に嘱す」。

★慶應元年閏5月15日、「浪士中岡慎太郎・鹿児島藩士西郷吉之助・同岩下佐次右衛門「方平」等、鹿児島を発して海路東上す。彦根藩主井伊直憲、申ねて征長軍の旗本先鋒たらんことを幕府に請ふ。高遠・松代・高島諸藩地方、豪雨、各領内諸川氾濫、被害あり」。


★慶應元年閏5月17日、「前左近衛権中将岩倉具視「友山」書を参議中御門経之に寄せ、征長再役に関する諸藩の態度・鹿児島藩の動静等を問ふ」。

★慶應元年閏5月21日、「浪士中岡慎太郎、下関に到り、萩藩士桂小五郎・浪士坂本龍馬等と会見し、薩長二藩連合の事を議す。29日、慎太郎・龍馬、上京の途に就く」。
 

★慶應元年閏5月23日、「鹿児島藩士西郷吉之助・岩下佐次右衛門等、京都に到る。盛岡藩主南部利剛「美濃守」参府に依り、久保田藩主佐竹義尭・亀田藩主岩城隆邦、就封に依り、各登営す。幕府、小幡藩に令し、其領内上野国小坂村の鉄鉱検査の為、吏員を派遣するを達す」。

 

★慶應元年閏5月27日、「鹿児島藩士大久保一蔵、京都より上国の近情及征長勅許阻止に関する周旋の状勢を在藩の家老小松帯刀に報ず」。

★慶應元年閏5月28日、「萩藩、藩士椋梨籐太「景治」を斬に処し、同中川宇右衛門「以徳」に死を賜ひ、同進藤吉兵衛・同工藤半右衛門・同村岡伊右衛門を遠島に処し、同三宅忠蔵に謹慎を命じ、他人面会を禁ず」。高杉晋作の功山寺挙兵から続いた内訌の終幕。

★慶應元年閏5月30日、「老中水野忠精「和泉守」等、英国特派全権公使パークス等と応接す。パークス、信任状写を致し、仮公使館の移転を請求す。幕府、英国特派全権公使パークスに牒し、長崎居留民の請へる競馬場設置は、同所奉行をして施設せしむべきを報ず」