★明治2年5月2日、「正三位西郷隆盛「鹿児島藩士」の請を容れ、其位階返上を聴す。権中納言大原重徳を議定と為す。神祇官副知事亀井茲監「隠岐守・津和野藩主」をして教導局用掛を兼ねしむ。海軍夏季制服を制定す」。

★明治2年5月2日、「海軍参謀、諸艦に命じて、陸兵の箱館攻撃を掩護せしむ。賊軍の港内防備厳にして、深く艦隊を進むるを得ず、纔に賊艦及弁天崎砲台を砲撃す。是日、賊軍中にありし仏国士官等、悉く仏艦に搭じて逃る」。

★明治2年5月4日、「官艦「甲鉄・丁卯・朝陽・春日」箱館港内の賊艦「回天・蟠龍」を砲撃す。賊軍、海中に障害物を設けて其進航を防ぎ、勝敗決せず。尋で「六日」官軍、掃海作業を行ふ。集議院議員を召集す」。

 

★明治2年5月17日、「黎明、官軍「伏見親兵隊及鹿児島・弘前・熊本・松前・大野・福山・山口・津・黒石・岡山の諸藩兵」三方より千代ヶ岱の賊営「旧津軽陣屋」を襲ふ。官艦「陽春」亦之を援く。賊軍、支へず、営忽ちに陥り、賊兵五稜郭に遁る。「守将中島永胤此役に死す。」官艦「甲鉄・春日」陸兵「松前・岡山・大野・水戸の藩兵」と相呼応して五稜郭を攻撃し、其支塁を陥る。賊将榎本釜次郎、配下大島虎雄を官軍に遣し、休戦を請ふ。官軍、之を諾す」。明日、釜次郎以下将卒、五稜郭を出ず。官軍、乃ち其の城郭兵器を収め、釜次郎等を箱館の商家「伊倉屋」に謹慎せしめ、降人士卒千八人を箱館に押送し、称名寺・実行寺・浄玄寺及旧会津屋敷等に収容し、諸藩兵をして監守せしむ」。

★明治2年5月17日、「五稜郭の賊軍、降を請ふ。海軍参謀増田虎之助「明道・佐賀藩士」・軍監前田雅楽・陸軍参謀黒田了介「清降・鹿児島藩士」等、賊将榎本釜次郎・松平太郎「正親」・大鳥圭介「純彰」・荒井郁之助と亀田会議所に会し、降伏条件を議定す。