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★慶應1年3月2日、「幕府に令して、萩藩主毛利敬親父子及元権中納言三条実美等五人の江戸召致を中止し、諸侯の参勤交代制を曩日「文久二年閏八月」の令に復し、且速に大将軍の上洛して、永世不朽の国是を図らしむ。幕府、瑞西国大統領に答礼として武具・織物類を贈る」。
★慶應1年3月2日、「鹿児島藩士吉田清右衛門、在京の同藩家老小松帯刀「清廉」の書を齎して岩国に到り、朝廷・幕府の近情を萩藩支族吉川経幹「監物」に報ず。萩藩主毛利敬親、令を発せんとし、諸隊を山口「周防国吉敷郡」に召集す」。

#3日

#4日

#5日

★慶應1年3月5日、「鹿児島藩士西郷吉之助「隆盛」博多を発し、上京の途に就く。「十一日著京す。」萩藩主毛利敬親、山口祖霊社遥拝所「多賀社境内」に臨時祭を修し、諸隊に親諭す。長門府中藩主毛利元周「左京」・清末藩主毛利元純「讃岐」、山口に到る」。
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#20日

★慶應1年3月20日、「幕府、仏国全権公使ロッシュに牒し、曩に依頼せる貨幣鋳造機の送付を促し、遣欧使節池田長発等の依嘱せる軍艦建造を中止し、且長発等を宥免せるを報ず」。
#21日

#22日
★慶應1年3月22日、「鹿児島藩家老新納刑部「久脩・変名石垣鋭之助・若年寄町田民部「久成・変名上野良太郎」・藩士寺島陶蔵「宗則・変名出水泉蔵」・同五代才助「友厚・変名関研蔵」・同藩留学生森金之丞「有礼・変名沢井鉄馬」・鮫島清蔵「尚信・変名野田仲平」等十五名「田中蜻洲・中村宗見・吉田清成・高見矢一・東郷愛之助・町田申四郎・町田清蔵・礒永彦助・市来勘十郎・村橋直衛・堀孝之・畠山義成・名越主税」を率い、羽島「領内串木野郷」より英国船オーストレリアンに塔じ、英国に向ふ」。
#23日

#24日
★慶應1年3月24日、「福岡藩士早川勇等、京都に到る。明日、鹿児島藩士西郷吉之助を訪ふ。萩藩、藩士高杉和介・同伊藤俊輔「博文」に命じ、英学修業・時勢探索の為、横浜に赴かしむ。時に二人渡欧の意あり。後寢む」。