#1日

★元治1年3月1日、「幕府、二条城に於て朝廷尊崇の事を議す。京都守護職松平慶永「春嶽・前福井藩主」意見書を上る。幕府、軍事総裁職松平容保「肥後守・会津藩主」に金二万両を貸与す。鹿児島藩主島津茂久「修理大夫」家老島津図書を以て、御馬拝領の恩を謝す」。
#2日

#3日

★元治1年3月3日、「幕府、軍事総裁職松平容保に命じて、旧に依り新撰組を管せしむ。前名古屋藩主徳川慶勝「前権大納言」に朝議参予を命ず。慶勝、固辞して受けず」。朝政参与(いわゆる参与会議)の様々な可能性に留意すべき。
#4日

#5日

#6日

★元治1年3月6日、「参予島津久光「大隅守」家士小松帯刀「清廉」を弾正尹朝彦親王及前関白近衛忠煕邸に遣し、疾あり、且時局稍所見と合せざるを以て、暇を賜はらんことを請はしむ。親王及忠煕父子、慰諭して、之を抑止す」。
#7日

#8日

#9日

#10日

#11日

#12日

★元治1年3月12日、「弾正尹朝彦親王、京都守護職松平慶永を召し、島津久光の為に幕府の嫌疑を釈き其帰藩を停めんことを諮る。慶永、別に書を前宇和島藩主伊達宗城に寄せ、徳川慶喜の漸く鹿児島・福井・宇和島三藩を嫌忌する状あるを告げ相共に其融和を図らんことを議す」
★元治1年3月12日、「前宇和島藩主伊達宗城・鹿児島藩主茂久生父島津久光・熊本藩主細川慶順弟長岡護久・同良之助、二条城に登り、大将軍後見職徳川慶喜・政事総裁職松平直克及老中等と会し、諸藩士の諸公卿邸出入取締及萩藩の下関に於る外艦砲撃の阻止等を議す」。
#13日

#14日

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#17日

#18日

#19日

★元治1年3月19日、「関白二条斉敬、鹿児島藩主茂久生父島津久光の帰藩抑止に関し、同藩士高崎猪太郎をして久光の意見を徴せしむ。幕府、諸侯に令して、参府並に京都警守に関する時日調書を提出せしむ」。
 

★元治1年3月20日、「横浜鎖港談判使節池田長発・副使河津祐邦・河田煕、仏国外務大臣ドルーイン・ドゥ・リュイと其官邸に於て会見す。尋で「二十二日」リュイ、長発等を旅館グランド・ホテルに訪ふ」。
 

★元治1年3月28日、「横浜鎖港談判使節池田長発・河津祐邦・河田煕、仏国皇帝ナポレオン三世に謁し、幕府の書を捧呈す」
 

★元治1年4月2日、「横浜鎖港談判使節池田長発「筑後守」仏国外務大臣リュイと会見し、カミュス中尉及通報艦キァンシァンの賠償・横浜鎖港・下関海峡通航等に関し談判す。後申ねて談判あり。六月十二日及二十三日」。